現代諸学と仏法

創価学会(公明党)は内外一致の外道宗教、故に神道と親和しこの国を戦争に導く

内外一致の創価学会##########################################################################現代に復活した六師外道の法門########################################################################## ● 六師外道の法門 日蓮大聖人様の御法門は、五…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 2 法身中心は一応の話 (4)存在論者が陥り易い執著の穴――法身中心主義

(4)存在論者が陥り易い執著の穴――法身中心主義 その点で困るのが一つ在ります。それは「結局、天台は存在論へ転落した」と言う意見です。存在論らしい所は色々在りまして、例えば『止観』正観章・観不思議境の<十界の所居>の説明・などは確かに存在論に…

現代諸学と仏法 はじめに

はじめに 一 仏教一般の知識の内に<分別虚妄>という事が有る。「若し衆生・虚妄の説に因って法利を得と知れば(如来は)宜しきに随って方便として則ち為に之を説き給う」(『涅槃経』)・「故に知らんぬ迹の実は本に於いて猶(なお)虚なり」(『法華文句記』)と言う…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (1)歴史に果たした役割

序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (1)歴史に果たした役割 (石田) これから現代諸学と仏法についての話を始めたいのですが、つまりは一番新しい所と一番古い所とを交互に照らし合わせてみる訳です。それには、仏法を内道・内教・内学と…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (2)物理学者の哲学志向

(2)物理学者の哲学志向 宇宙を扱えば、一方は思弁対象としてのコスモス・一方は認識対象としてのユニバース・に分かれます。こうして哲学的世界観・物理的世界観・が出来てきます。一時は哲学的世界観の方は大きく後退して、物理的世界観の方が華々しく取…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (3)物理的世界観での第一原理

(3)物理的世界観での第一原理 アインシュタインは、後期になるに従って、この天地宇宙の第一原理は<構造>である・四次元時空構造である・という風に考えた・のではないでしょうか。運動から力の概念を排除して・宇宙内の運動を時空の幾何学的構造で統一…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (4)客観性への執著と限界

(4)客観性への執著と限界 最近では、素粒子はクォークという更に小さいもので組立てられている・とされ、クォークは今の所・三種類発見されているそうです。このクォークが物質の基本単位だ・とされていますが、それでも尚これさえ内部構造か転換構造を持…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (5)主観要素の影響

(5)主観要素の影響 色々な科学の中で、物理学は主観の影響が一番少ない分野である・一番厳密に追求出来る学問だ・と言われて来ました。という事は、客観性が一番確保されている・という事ですが、この点はどうでしょうか。 長い間そう言われて来ました。…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (6)前提は常に問直される

(6)前提は常に問直される 人間の行為によってエントロピーを減らす事が出来る・これは当然ですが、チンパンジーが毎日巣作りをするのは、枝を折られる樹木側ではエントロピーは増え、巣作り行為の側ではエントロピーは減ります。生命現象の自然過程も又・…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (7)内観における約束事

(7)内観における約束事 アドホックな仮定で処理しよう・というのは、科学の限界を押拡げて行く努力だ・とも言えそうです。然し科学としては、限界そのものを撤去する方法は無い訳です。 そうです。限界は常に付纏います。それで気に食わなければ、対象の…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 2 法身中心は一応の話 (1)認識が先か存在が先か

2 法身中心は一応の話 (1)認識が先か存在が先か 第一原理論争の中には、昔から・もう一つ面白い論題が在ります。<存在が先か認識が先か>という・優位を争う問題です。この問題を解こう・という動機が、認識論を生み出す一つの契機になった・と思います…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 2 法身中心は一応の話 (2)自覚への勧め・自覚への学び

(2)自覚への勧め・自覚への学び 仏様の方からすると、仏教の全体は「この様に修行して苦から解脱しなさい」という大慈大悲(与楽抜苦)からの<仏様からの勧め>です。自覚の勧め・とはこの事ですね。 この勧めを受取る衆生の方としては「ではどの様に行…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 2 法身中心は一応の話 (3)仏法は反省自覚法――自覚の上での認識論

(3)仏法は反省自覚法――自覚の上での認識論 そうすると、仏法の論は自覚論であって、存在論でも認識論でもない・という事になりますが……。 仏法そのものは・小乗から文底迄全部・修行論による自覚論であって、その他の何物でもありません。そこがややこし…

現代諸学と仏法 序 第一原理考争 2 法身中心は一応の話 (5)如来秘密(体験)と神通之力(表現)

(5)如来秘密(体験)と神通之力(表現) 各宗派の本尊を見ると、禅宗は本来は無本尊で、法身本尊は真言宗だけです。東南アジアの小乗仏教には応身本尊が見られますが、あと、中国や日本では報身本尊が圧倒的に多い・と思います。この事は、仏法は報身中心…

3 インドの伝統――<分けない>流儀 (1)自覚中心の相補関係、仏法・哲学・科学の相補

3 インドの伝統――<分けない>流儀 (1)自覚中心の相補関係、仏法・哲学・科学の相補 自行における自覚体験としての<自己認識・世界認識>から、化他の為の理論へ・となって、ここ迄来ると論理というものが絡まって来ます。論理の立て方を誤らない様にし…

3 インドの伝統――<分けない>流儀 (2)真理と法・仏(覚者)――第一原理

(2)真理と法・仏(覚者)――第一原理 第一原理論争を振返って思う事ですが、昔からとにかく何等かの<真埋>が第一原理として立てられて来ました。真理性の無い第一原理という事は考えられない訳です。個か普遍か・物か心か・と言っても、それ自体には真理…

3 インドの伝統――<分けない>流儀 (3)縁起は法の根幹――法は縁起の焦点

(3)縁起は法の根幹――法は縁起の焦点 話が段々逸(そ)れて来ました。法という概念を整理する方へ戻りましょう。無常という法そのもの――無常法――は常住不変だ・という事でしたが……。 <縁起>とは「此れ有るが故に彼れ有り、彼れ無くば此れ無し」という・…

3 インドの伝統――<分けない>流儀 (4)信と批判精神――不疑と無疑

(4)信と批判精神――不疑と無疑 理法さえも事法と縁起している・となりますと、事法も理法も……つまりは内外一切法皆これ非実体法(無本質法)という事になります。実体か非実体か、実はこれが古今東西の大問題です。解決には批判精神が是非共必要です。 そ…

3 インドの伝統――<分けない>流儀 (5)実体か非実体か・正論因果――内外相対という事

(5)実体か非実体か・正論因果――内外相対という事 ここでは余り専門分野には立入らないで基本線を追って行きましょう。仏法では戒定慧の三学・信行学の三義等々・そのどれも反省―自覚以外には無く、学一つ取ってみても、知る為の学ではなくて、反省―自覚の…

Ⅰ 仏法と論理学 1世法と仏法と空仮中の三諦 (1)仮名(名辞)と存在との自動対応はナンセンス

Ⅰ 仏法と論理学 1世法と仏法と空仮中の三諦 (1)仮名(名辞)と存在との自動対応はナンセンス <仏法と論理学>と言うと、古来・仏教と関わりが深かった<因明>(いんみょう)の事を思浮かべますが、これとは別に全く新しい開拓を試みたい・と思います。…

(2)概念虚妄・分別虚妄・文字は三世諸仏の気命

(2)概念虚妄・分別虚妄・文字は三世諸仏の気命 ところで竜樹が、命題の真偽を問わず概念は皆虚妄だ・と取合わないのは、概念を引出す元になる主語事象は、諸支が縁起関係の上に成立っているのに、古典論理学にせよ現代論理学にせよ当時の因明にせよ、縁起…

(3)命題界の遣いで論理は分かれる

(3)命題界の遣いで論理は分かれる 論理について仏法で能く「言語道断・心行所滅」という事を言いますが、この心行所・行ずる所(しよ)というのは<舞台>とでも申しますか。現代論理学では<命題界>というのがこれに当ります。この<所>は<命題界>と…

(4)世俗は<究極の真>ではない

(4)世俗は<究極の真>ではない 三諦論というのは、仏法としては最も基本になる法門ですが、この空仮中の<空>の理解の仕方に実体化が忍び寄るのは、主観者から離れた客観存在・というものをどうしても考えざるを得ない・という事と関係が有るでしょう。…

(5)真ではないが使わなければならない

(5)真ではないが使わなければならない 三諦論の話へ入ろうとしているのですが、そうしてみますと、三諦も・仮も空も中も・果ては<妙法>も、言語として捉えた側面から言うならば、全て施設した仮名である・という事になります。 こうした言語を、論理学…

(6)三諦の基本的な意味

(6)三諦の基本的な意味 三諦の基本的な意味は、求道の自行面では、縁起の仮から空へ、そして空の儘仮を備えて仮空相等の中へと行く。化他面では、空仮相等の中から仮へ帰って来る・という事でしたが……。 化他面は果位の教主の双照の立場です。本当の三諦…

(7)<待>と<対>との違い――絶待と待絶

(7)<待>と<対>との違い――絶待と待絶 結局、三諦・と言えば法体は円融頓成の三諦しか無い訳ですね。この円頓の三諦の仮・空・中の関係を明らかにすべく、天台は破立とか遮照とか、相待(そうだい)・絶待(ぜつだい)・待絶(たいぜつ)という事を説き…

(8)円融三諦しか無い――破立・遮照・中道――現量・比重・思量

(8)円融三諦しか無い――破立・遮照・中道――現量・比重・思量 次に<破立>と<遮照>との問題に移りますが、これは仮空中の間の関係を明らかにする操作であり、これによって即仮即空即中の筋道が正当である事が示される・という事ですが……。 <破立>は・…

(9)科学的形而上学的存在論の乞食スープ

(9)科学的形而上学的存在論の乞食スープ 或る記事に「三諦の法理はあらゆる存在・事物に具わっている不変の真理ですが」という書き出しで 「水には”湿り”という性質があり、温度によって変化するという力用(りきゆう)があります。こうした性質は空諦と…

(10)反省自覚の筋道――縦型縁起法

(10)反省自覚の筋道――縦型縁起法 本覚論に立ちさえすれば、仮であれば何でも仮諦・であるかの様な立論は根底から誤っている訳ですね。そうした議論が流行しているのは困った事です。 反省する所行妙法の己心にしか仮諦は得意されないのですから、結論を…

主語世界と述語世界と反省世界 (1)縁起仮有の主語世界を述語し反省する――その一

主語世界と述語世界と反省世界 (1)縁起仮有の主語世界を述語し反省する――その一 これまでは空仮中の三諦を<判断の繋辞(コプラ)>という側面から考察して来ました。つまり、述語側に属しながら主語と述語とを一つの判断の中に統一する所の、肯定又は否…