現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (6)前提は常に問直される

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(6)前提は常に問直される

 人間の行為によってエントロピーを減らす事が出来る・これは当然ですが、チンパンジーが毎日巣作りをするのは、枝を折られる樹木側ではエントロピーは増え、巣作り行為の側ではエントロピーは減ります。生命現象の自然過程も又・その様に出来ております。増減相伴っております。

 更に、単細胞から多細胞へ・植物から動物へ・という進化や生長の過程も、乱雑から秩序への、エントロピー減少の変化が営まれています。これを理解するために、物理学者のシュレディンガーは「生物はネグ(負の)エントロピーを食べて生きている」という表現をしました。

 生物を理解する場合は、そういう方向を考えざるを得ないでしょう。生物はそのように出来た身体を持って生まれて来ています。それが土台で行動でもそうするのでしょう。物の結晶から単細胞へ・という生命発生の過程を考えてみると、物質も又チャンス次第では「負のエントロピーを食べている」のかも知れません。

 とにかく、エントロピー・エネルギー・素粒子・四次元時空構造・その他・そのどれか一つだけで宇宙万象を一つの統一的な理解に纏め上げよう・というのは一元論思想ですが、そうしようとしても、これは神様でも出来ない相談でして、終点が出来てしまっては、物理学進歩の安楽死を意味します。

 それはどういう事ですか。

 客観的な現実世界についての理論としても、<唯一を以って万象を統一理解に纏める>という事が原理上不可能なのです。すべてを外延に含む事は、無分別になってしまって外延が無い・事ですし、内包の方は<法の中味>が全く無い事になります。分別ではなくなります。

 次に、客観世界は相対世界であって・絶対世界ではありません。相対世界なのに、唯一が在って・二も三も無い――この状態は絶対世界ならば在る――という事は、相対性を失って、その<唯一>も又消えて無くなる・事だからです。

 これは哲学サイドからの反省ですね。了解致しました。

 第一原理思想からして一元論指向なのですが、一般に・こういう一元論思想には、それが、<妥当であるかどうか>という問題と、<何処迄妥当か>という問題と、果たして<好もしいものかどうか>という疑問とが付いて回る・と思います。

 でもこれは哲学分野の問題になってしまいますから、ここではこれ以上触れません。一元論に対しては二元論が在ったし・現に在るし、又、弁証法的反省として、一元論に対する<反>の提唱が必ず有得る・事だけを申し上げて置くに留めましょう。

 先程、自然科学の中では物理学が最も厳密さを保ち得る領域であって、偶然性から必然性の方へと辿る・という話が在りましたが、生物学の場合はどうでしょうか。

 生物研究では・必然性・という事はもっと少なくて、蓋然性の・確度の高い所・で留まらざるを得ないでしょう。生物学基礎論のそれぞれの立場には、相当に主観要素が入ってくるでしょう。ダーウィンの進化論がその一例です。

 生気論の場合は類推法でやりますが、一番新しい現代の生物学という事になれば、これは機械論でして、演繹的帰納法で研究を進める・のだそうです。この生気論と機械論との総合はまだ未解決だそうです。

 あらゆる自然科学は、客観の領域ではありますが、元々・主観の領域と客観の領域とを・画然と切り放しが出来る・という考え方自体が、第一原理みたいなもので、限界が在る事です。仕方が無い事です。

 物理学では、一応、そういう事が出来る・という前提の上に立っています。ところが、その前提が、最後の所で怪しくなり、逆に困難な問題となって現れて来ます。前提が逆に難問化して現れる・のはどの科学でも同じでして、数学でも、今でも未解決の問題が、数学基礎論の中に可成り在るのではないですか。

 そう言われております。数学基礎論や論理基礎論は、最早単なる科学ではなくして、哲学の分野にも跨がり入るのでしょうが、それはさて置いて、何時でも既存の前提を問い直して学問は進むのでしょう。

 有名な思考実験ですが、放射性元素の崩壊によって、一匹の猫が、半身は完全に死んで・あと半身は完全に生きている、決して気息奄々・半死半生・呼吸(いき)断え断え・などではない……という<シュレディンガーの猫>(量子力学パラドックスの一例)の話が在ります。

 こういう所に来ますと、最初に前提して置いた、人間の意識と客観対象とを切放せる・という前提が怪しくなって来る訳です。又、そうでないとすれば、その適用範囲は何処から何処迄か・という風に・結論や法則を導入するのに使った論理法を検討せざるを得ません。

 そうです。前提を反省し再検討するか、論理法の適用範囲を見極めるか、いずれかの作業が必要になります。極限迄来ると、どうもそこに不可解な所が顔を出します。だからそういう際の解決法として、アドホック(便宜的)な仮説を設ける・という遣り方も在るでしょう。

 行き詰まったら・便宜的な前提条件をとにかく付加えてみる・という仕方です。これを付加えてみて、それで一歩でも二歩でも前進できたら、次はアドホックな仮定をなるべく消去する様に努力する……こういう学問の遣り方が在りましょう。これも前提の問直しの一例です。

 

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)

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