3 インドの伝統――<分けない>流儀 (1)自覚中心の相補関係、仏法・哲学・科学の相補

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3 インドの伝統――<分けない>流儀

(1)自覚中心の相補関係、仏法・哲学・科学の相補

 自行における自覚体験としての<自己認識・世界認識>から、化他の為の理論へ・となって、ここ迄来ると論理というものが絡まって来ます。論理の立て方を誤らない様にしませんと、間違って伝わってしまいます。

 この為に、仏法においては、受取る側としても、仏法の中では認識論の為の存在論であり、その認識論は自覚論の為の認識論である……という・この位置付けをしっかり掴んでいないと迷いの基になります。この三論は縦型の関係下での縁起関係でもあり、・相補関係にもなっている・と思います。

 そうです。従って<体・用>についても同じ(縦型縁起)様な事が見られます。体は本・用は迹・という関係下に在る訳ですが、体(本)に非ずんば迹(用)を垂るるに由無く・迹(用)に非ずんば本(体)を現わす事を得ず・でして、用を持たない体は体ではなく、体を持たない用は<本無今有>で<カラ理屈>にすぎなくなります。

 用が無ければ表現法を失って体を現わす事が出来ませんし、体が無ければ用に化他の力を欠いてしまい・用ではない事になってしまいます。体用は本迹関係であり縁起関係であり相補関係であって、別々に切離す事は不可能なのです。

 そういう関係から、哲学としても、もう一度、存在論と認識論・存在と認識・これについて、既成の議論ではない見直しをすべきである・と思います。本迹・縁起・相補・の三関係を正して考え直せば好いと思います。横に並べて見るのだけが能ではありません。

 その点からもう一度、仏法・哲学・科学の三つを振返って見るべきです。仏法は<認識→修行(反省実践)→悟り(自覚)>というコースを行くものですし、哲学は<認識→思索→愛知>というコースを行くものですし、科学は<存在→認識→活用(実用)>というコースを行くものです。分野が違いますから三つは相補の関係になります。排除し合う筋合は元々全く有りません。

 してみると、認識論と存在論との第一原理争いは全く無意味でした。その極端になったのが観念論と唯物論との対立ですが、対立した事自体が誤りでした。存在と知慧との相依関係を見落して、執著の塊になっていた訳ですね。

 世界の現実把握の為とか思索の為と称して、ちぐはぐで無駄な設問を立てている場合が非常に多い・と思います。成立たない議論を無理遣り成立たせようとする。存在と認識とはどちらが第一原理か・というのは、闇の中で色を求めるみたいで無意味です。こうした類いの不成立で無駄な議論が歴史上・過去にも在りましたし、まだ哲学界に残っていはしませんか。

 こういうのは、つまりは検討不足の一点に尽きる・と思われます。他への批判に先立って、まず自分の方の内部から正して行くべき必要を感じます。

 要するに、存在論の存在一般・を能く検討してみると、事実の上では流動しつつ存立しているものを、まず<仮定の上で>固定化して――固定化という事は既に実体化です――これに対して一義化した名辞を差向けて把えているでしょう。だから一意共通化した槻念が発生します。これが認識です。

 してみると、何の事は無い、存在一般は知覚し認識されたものとしての存在であって、これ以外に存在は有得ない・のですし、逆に対象を持たない意識も発生出来ない・のですから、物心相依の縁起関係を無視しては一切が成立しません。縁起法が第一原理な訳です。

 存在論が外へ向けば科学を生みます。科学は万人共通に納得出来る様に、ひたすら客観化し理論化して、応用・実用・技術化・を志向します。哲学は理論化はしますが愛知の線で留まります。仏法は解脱を目標に進みます。これは決して客観世界ではなくて主観世界になります。

 その辺は難しい所です。普通、仏法は活きた主観世界を展開する・とは言いますが、本当は、生活の現実では、常に・我々が掴んだ念々の主観世界も<刹那に過去化し乾上り固型化した仮構>にすぎなくなっているのです。この”スルメ”みないな一駒一駒を<記憶>の力で繋合わせて・連続実在・の様に思っている――誤解――だけなのです。

 これは本当には実でもなければ虚でもない・非実非虚・非如非異・の・一時仮有無常の連鎖・なのです。こういう困難の中で眼前・現前・当面の<現実只今>を生きるのが仏法でして、天台ではこの生きる手法が<大止観>という観法(禅法)になっております。

 もっと昔は各種の禅定修行・という事をしておりました。今流行のヨーガという術も、元を糺せば<正理(ニャーヤ)に呼応する身心相応行>という禅法だったのです。それが今、美容体操化している訳です。これらは皆<止観>と呼ばれて然るべきものです。

 

龍樹 (講談社学術文庫)

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中論―縁起・空・中の思想 (上) (レグルス文庫 (158))

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中論―縁起・空・中の思想 (下) (レグルス文庫 (160))
 
中論―縁起・空・中の思想 (中) (レグルス文庫 (159))

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