正林寺法華講員手引書

思春期という心の葛藤を乗り越えるには

思春期の自分を思い出すと。。。恥ずかしい 「思春期」は人間誰もが迎える時期であります。一般的に十一歳~十二歳から十六歳~十七歳に迎えます。この「思春期」は心に生まれる様々な欲望や未来への期待感が活発化する時です。両親や人生において尊敬する先…

寺院の意味とは

「寺院」は御本尊様が在す修行の根本道場です。『百六箇抄』に、 「下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」(御書1699)と仰せのように、日蓮正宗においては「寺院」を建立することが大事です。更に第二祖日興上人は…

神社に「悪鬼神」が住み着いています

ピッコロ大魔王も神様そっくりでしたね 世間では、「神」の存在に対し様々な概念があります。「神」という言葉を知らない人は全くいないでしょう。しかし、「神」に対する存在については信じる信じないという意見があります。「神」を信じない人は無神論者と…

諸天善神といわれる神の働き

ドラゴンボールの神様は・・・いい人でした 日蓮大聖人は「神」の守護について『四条金御殿御返事』に、 「魔訶止観(まかしかん)第八に云はく、弘決第八に云はく『必ず心の固きに仮(よ)って神の守り則ち強し』云云。神の護ると申すも人の心つよきによ(…

邪宗・邪師の利根と通力に踊らされない信心を

カリスマ性や演説能力は、宗教の正しさとは無関係です。 『唱法華題目抄』に、 「通力をもて智者愚者をばしるべからざるか。唯仏の遺言の如く、一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は、権経に宿習(しゅくじゅう)ありて実経に入らざらん者は、或は…

日蓮大聖人の「御書」とは

平成新編 日蓮大聖人御書(大石寺) 作者: 平成新編日蓮大聖人御書編纂会,阿部日顕 出版社/メーカー: 大日蓮出版 発売日: 2018/10/13 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る 「御書」とは書の尊敬語で、御妙判(ごみょうはん)ともいいます。日蓮大聖人…

家庭訪問の心得

日蓮大聖人は『教行証御書』に、 「雑言(ぞうごん)・強言(ごうごん)・自讃気(じさんげ)なる体(てい)、人目に見すべからず、浅猿き事なるべし。弥身口意を調へ、謹んで主人に向かふべし、主人に向かふべし」(御書1110)と主人に向かう折伏の姿勢…

御本尊様に向かって正座をし合掌をするのは

私達は、信心する上で御本尊様に「正座」をし「合掌」をすることが基本です。素朴な疑問ですが、信心に縁の薄い方には生まれる疑問ではないでしょうか。正座をし合掌するという姿勢は、気持ちを落ち着かせ冷静になる一番の方法です。「禅定」を得る近道であ…

病を克服する信心を

「病は気から」という諺もありますように、気の持ちようによって、気の緩みから、病気は起こります。信心は、病にならないよう事前に心の準備を調えるものであり、また、すでに病になっていても、病から立ち直って御本尊様を信じ境界を高めることが信心です…

九思一言を心がけましょう

日蓮大聖人は『崇峻天皇御書』に、 「孔子と申せし賢人は九思一言とて、こヽのたび(九度)おもひて一度(ひとたび)申す」(御書1174)と外道である儒教の孔子でさえも、九回も思い止まって慎重に言葉を選んで話しなさいと言っているのであるから、尚更…

動執生疑を起こさせる折伏を

『法華取要抄』に、 「然りと雖も略開近顕遠・動執生疑の文に云はく「然(しか)も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於て、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん」等云云。文の心は寿量品を説かずんば末代の凡夫皆悪道に堕せん…

願兼於業は地涌の菩薩の証

『開目抄』に、 「願兼於業(がんけんおごう)と申して、つくりたくなき罪なれども、父母等の地獄に堕ちて大苦をうくるを見て、かた(形)のごとく其の業を造りて、願って地獄に堕ちて苦しむに同じ。苦に代はれるを悦びとするがごとし。此も又かくのごとし。…

善知識と悪知識を見分ける眼を

人は生きていく時、知識が必要です。知識がなければ生きることは出来ません。人は本能的に無意識のうちに学んで知識を身に付けています。これを身に付けよう、あれを身に付けようと、その都度、確認をして知識を身に付けることは少ない方です。興味のあるも…

転重軽受の法門とは

戸田城聖さんはお寺を大事にされてました 日蓮大聖人は『転重軽受法門』に、 「涅槃(ねはん)経に転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と申す法門あり。先業の重き今生につ(尽)きずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかゝる重苦に値ひ候へば、地獄の…

日蓮正宗の信心は師弟相対が大切

世間の諸芸百般、師匠と弟子の関係が基本です 日蓮大聖人は『華果成就御書』に、 「よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくは(蓄)ひぬれば師弟地獄にを(堕)つといへり。師弟相違せばなに事も成すべからず」(御書1225)と仰せで…

異体同心の信心

幕末の志士が異体同心だったかどうかは、分かりませんが 「異体同心」とは異体異心の反対語で、異体同心の意味は身体は異なっていても、心を同じにしていくことです。この異体同心、信心には当然必要であり、生活にも不可欠な心がけです。家族や仕事場におけ…

信心は柔和な心と忍辱が大切です

柔和な微笑みは素敵ですね 法華経の法師品第十に「柔和忍辱衣」(法華経332)という経文があります。正法を素直に受持し、いかなる難にも屈せず耐え忍ぶ心構えを衣に譬えたものです。 日蓮大聖人も『法衣書』に、 「殊に法華経には柔和忍辱衣(にゅうわに…

信心を阻む三障四魔

ハードルを越えて進もう 「三障四魔」とは、三障が煩悩障・業障・報障、四魔が煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔です。仏道修行の途上で競い起こる障害です。 日蓮大聖人は『兄弟抄』に、 「其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は、今一重立ち入りたる法門ぞかし。…

死魔を乗り越える信心を

みよ吉さんになら、連れていかれても。。。よくない 「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 作者: シェリー・ケーガン,柴田裕之 出版社/メーカー: 文響社 発売日: 2018/10/05 メディア: 単行本(ソフトカバー) この商品を含むブログ (3件) を見る…

冥の照覧を恐れる信心を

天網恢恢疎にして漏らさず 「冥の照覧」とは、諸仏・菩薩や諸天善神が衆生の一切の一念・言動を悉く存知していることです。「冥」は暗くて、凡夫の眼に見えないことを意味しますが、深遠で奥深い力用をあらわします。「照覧」は明らかに見ることです。つまり…

身・口・意の三業

身・口・意の三業2005-11-21 | 手引書② 私達は、身口意の三業にわたって信心をすることはなかなか難しいことです。日蓮大聖人は『女人成仏抄』に、 「然るに一切衆生、法性真如の都を迷ひ出でて妄想顛倒(てんどう)の里に入りしより已来、身口意(しんくい…

私達の心に吹く八つの風(八風)

私達の心に吹く八つの風(八風)2005-11-21 | 手引書② 日蓮大聖人は「八風」について『四条金吾殿御返事(八風抄)』に、 「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、を…

人生の苦悩となる四苦八苦

人生の苦悩となる四苦八苦2005-11-21 | 手引書① 人間は生まれれば誰しも受ける苦しみが「四苦八苦」です。恵まれた環境や逆境を体験しない人には理解できませんが、実際に経験をするとその苦しみは身に染みてわかります。四苦八苦は、御本尊様に御題目を唱え…

教学の学とは

教学の学とは2005-11-21 | 手引書① 「信」と「行」を強力にするため教学という「学」が必要不可欠です。教学である「学」は、日蓮大聖人が説かれた「御書」や歴代の御法主上人猊下の御指南を学びます。教学を学ぶことで人生の苦悩を未然に防ぐ知識を付けるこ…

修行の行とは

修行の行とは2005-11-21 | 手引書① 御授戒を受け、御本尊様を持っていても、「行」が伴わなければ功徳を得ることが出来ません。日蓮正宗の行は、「勤行唱題」と「折伏」が基本です。これを「自行化他(じぎょうけた)」といいます。自行化他を行うことで、御…

信心の信とは

信心の信とは2005-11-21 | 手引書① 宗祖日蓮大聖人は『日女御前御返事』に、 「仏法の根本は信を以て源とす」(御書1388) と仰せであります。仏法を学び行じ信心していくときは、疑うことなく信じることが大切です。人は生きていく上で無意識のうちに信…

心の汚れ三毒の貪・瞋・癡

心の汚れ三毒の貪・瞋・癡2005-11-21 | 手引書① 心の汚れ貪・瞋・癡の三毒は、生きていく上で一生付き合わなければならない心の汚れであり、心を害すため毒に譬えられます。体の中で発生する毒素です。この貪瞋癡の三毒という汚れを、洗い流し清める方法を知…

謗法与同罪を恐れる信心を

謗法与同罪を恐れる信心を2005-11-21 | 手引書① 日蓮大聖人は『秋元御書』に、 「常に仏禁(いまし)めて言はく、何なる持戒智慧高く御坐(おわ)して、一切経並びに法華経を進退せる人なりとも、法華経の敵(かたき)を見て、責(せ)め罵(の)り国主にも…

正しい仏法を教える折伏の必要性

正しい仏法を教える折伏の必要性2005-11-21 | 手引書① 折伏とは、腐敗堕落した世の中を正しくていく、日蓮大聖人が御指南される日蓮正宗の伝統的な修行です。世の中における腐敗堕落の原因には、主師親の三徳に報恩申し上げ、敬っていく姿を失っているところ…

御本尊様から頂く功徳

御本尊様から頂く功徳2005-11-21 | 手引書① 功徳について『御義口伝』に、 「功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今(いま)日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり。されば妙法蓮華経の法の師と成りて大きなる徳(さいわい)有るなり。功(く)…