現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (5)主観要素の影響

f:id:ekikyorongo:20181112185229j:plain

(5)主観要素の影響

 色々な科学の中で、物理学は主観の影響が一番少ない分野である・一番厳密に追求出来る学問だ・と言われて来ました。という事は、客観性が一番確保されている・という事ですが、この点はどうでしょうか。

 長い間そう言われて来ました。ところが素粒子論の発達がそれへ横槍を入れてきた訳です。

 素粒子の運動を観測すると、当てた光が素粒子運動の中へ重要な要素として参加してしまう。光は客観存在でも、どれ位の強さ(質)の光をどの位(量)当てるか・は観測者の主観が決めます。光を当てない事には観測が成立たないのですから仕方が有りません。

 そこで<不確定性原理>(運動量の不確定度X位置の不確定度=プランク常数・という原理)というものが引出されて、これが物理理論の一方の旗頭の様な位置を占めてしまいました。

 結局、マクロの世界から誕生した一般相対論と、ミクロの法則の主役である素粒子とが、物理理論の中で出逢って、再び第一原理論争へ火を付けた格好になっているのは、客観世界へ主観の要素が権利を主張して入って来た様なものでしょう。未解決な新分野が生まれたのは、これは偶然な事ではありません。

 それでも客観的学問性が一番厳密にやれる領域だ・という点はどう見るべきでしょうか。

 大昔では、エイドス派の幾何学が一番厳密な学問だ・と思われて、宇宙は幾何学的エイドス(形相)を実体とする・と思われていました。今の一般相対論の時空構造第一原理は、或る意味で昔のエイドス実体論へ戻った様でもあります。

 これは面白い事です。或いはアインシュタインの頭の中に・この昔の事・が在って、その応用的な気分が・時空構造論の主張・として出て来たのかも知れません。この推測は多分当たっているだろう・と思います。

 まあ、それはそれとして置いても、物理学の場合は、帰納して行って、蓋然的な法則から必然的な法則の方へ・と一方的に進んで行くでしょう。不可逆にこの一方向へ進みますから、一番厳密な科学だ・と言われてきたのでしょう。

 古来、観測や実験は、始めは大雑把でも段々正しさの確度が高まって行って、偶然性から蓋然性へ・蓋然性から又高まって行って必然性の方へ・と一本道を進んで行く。これが現象を煮詰めて行く観測とか実験とかの遣り方でしょう。

 今度は、それを表現する理論とか法則・の方は主に数学を使う訳です。数学は計算ですから、否応無しに一意的必然的な結論へ導いて行くでしょう。確率論的な素粒子の世界でもそうなります。絶対的必然迄は到達しないだけです。

 観測や実験は帰納の面・表現する計算は演繹の面・両方合わせて演繹的に帰納法の世界が構成される。これが物理学の世界ですから、古来、最も厳密にやれる自然学だ・と言われてきました。物理は統一法則や第一原理を見つけ易い分野だったのです。

 その同じ物理学の中に、無秩序の度合いを表わす<エントロピー>という概念が在ります。熱力学の第二法則から導き出された概念です。熱であれ何であれ、自然界は黙って放って置くと、段々秩序が崩れて・諸状態が平均化してしまう。一方的に秩序から乱雑へ・と進んでその逆は起こらない・と言う。

 これから見れば、物理学の法則追求は・偶然→蓋然→必然・の方向を辿る・としても、その対象である自然界は、寧ろ、エントロピー増大の法則・に従って、必然→蓋然→カオス(混沌)の方へ・と進んでいる事になります。

 そうなれば、エントロピーの法則が第一原理として宇宙を支配する様でもあるし、カオス化が徹底すれば第一原理も何も成立たなくなるでしょう。話はあまりにも遠い未来かもしれませんが……。

 エントロピーという唯一の窓口からだけ見れば、自然界の遠い未来像はそうならざるを得ません。それに連れて物理の法則性も無に帰して行く・と言うしか有りません。四劫説の・成・住・壊・空・の内の・住→壊→空・の過程を能く示しています。でも、宇宙や大自然界は、果たしてエントロピー第一原理の支配下に在るものかどうか・はまだ判ってはいないでしょう。天文では重力(引力)がそれに逆らっています。

 星間物質が引合って新しい星を生み出したり、回転し合ったり・がそれですね。これは四劫説の内の・空→成→住・のコースを示しています。エントロピーの”マイナス”を引力の”プラス”がせっせと埋めている形です。

 少なくとも動植物の生活・人間の生活・だけはエントロピーに逆らって遣っています。自然界の現象は放って置けば均一化の方向へ進みますが、人間が物事に手を加えれば又逆戻りします。整理という作業がこれです。

 例えば、この皿の中の煎餅も、今こうしてごちゃごちゃ混沌としていても、手を加えて並べ直せば整然と規則的に並びます。エントロピーは減った訳です。その他一般に動植物の身体はエントロピーを減らす方向で生育して行っています。

 物質とエネルギーだけを考える狭い立場からすれば、際立った状態(秩序)から有触れた状態(乱雑)へ・というネガティブな形にしろ、秩序という事に関係が有るエントロピー概念の登場は、一歩・秩序という枠を食み出した方向を示している訳でしょう。

 そうですが、このエントロピーの増大の仕方も、数式で表現される様に秩序性を持っておりますから、乱雑度の進行も秩序に則(のっと)って現れます。裏で秩序性が糸を引いている・という事です。

 結局、秩序と乱雑さ・とが相寄って現象しますから、一概に極め付ける訳には行かないでしょう。そのどちらを窓口にして現象を追及するか・は人間の主観が関わって来ます。この辺りにも主観要素の影響が有りそうです。こうして、主観要素の影響・というものは、ぼんやりしていると見過ごし易くても、以外に色々と沢山在るものだ・と思います。

 

 

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)