現代諸学と仏法 はじめに

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はじめに

 仏教一般の知識の内に<分別虚妄>という事が有る。「若し衆生・虚妄の説に因って法利を得と知れば(如来は)宜しきに随って方便として則ち為に之を説き給う」(『涅槃経』)・「故に知らんぬ迹の実は本に於いて猶(なお)虚なり」(『法華文句記』)と言う様に、「分別(直接判断・叙述判断・反省判断、一般に判断)というものは、得道に取って、時機相応の無分別法を説く分別以外は全て虚妄だ・と言う。してみれば、分別に対して万人が取るべき態度は、非離非著・亦用亦離・亦離亦明・という所か。

 この様に分別一般は・命題の真偽に拘らず全て虚妄だ・と言う。この対話は<内外相対論>という仏法の入口論であり、極意に立入る事は極力避けた。この点で分別虚妄の部に入る事になるが、極意の力を借りて分別を蘇生させ、それによって所述の真実を確保した積りである。

 ではその極意が意図する所は何か。『像法決疑経』には言う「文字に依るが故に衆生を度し菩提を得」と。「若し文字を離れば何を以ってか仏事とせん」である。この意図の下、虚妄性不可避の分別ではあるが、常に非著非用の方便として闊達に駆使される。

 我々もこの意図の万分の一を見習いたい……との願いに基づいて、この対話では、仏法としては一番当り前で・然も最も基礎になる部分を論じ合った積りである。ではその入口論の所詮は何か。それは<諸法因縁仮和合・万法無実体無本質>の一言に尽きる。そしてこれが世間では難解とされる所である。

 無実体・無本質・は・実体・本質と相対して初めて成立つ考えであって、一般に外なる道では<実体・本質>を説き・内なる道では<無実体・無本質>を説く。この両者の比較を<内外相対>と言う。相対して捨てるべきを捨て取るべきを取れ・と教えているのである。この相対論が仏法の入口である。入口が解らなければ一切は解らない。

 <分別虚妄>とは言っても、それだけで尽きそれだけで終わるものではない。何故かならば<虚妄>とは<真実>と相い対して初めて成立つ概念だからである。ではその<真実>の方はどうか。

 『法華経』には言う。「我れ方便を以って……この因縁を以って虚妄無し」と、『涅槃経』には「願わくば諸(もろもろ)の衆生に悉く皆・出世の文字を受持せしめん」と、天台大師は言う「文字は三世諸仏の気命なり」(『摩訶止観』)と、「釈迦牟尼世尊・如所説者・皆是真実」(『法華経』)と。

 ここに<分別真実>が在る。分別の中でも仏陀の秘妙方便の分別は<真実>である。<実語>である。実語は魔も破壊(はえ)すべからず……この真実の力を借りれば分別は生返る。双照建立の分別として蘇生する。妙とは蘇生の義なり・と言う・宜(むべ)なる哉。

 言語(仮名分別)の問題さえ解決されれば既存の哲学諸問題は大半程解消してしまう・と言う。論理実証主義者から始まった現代の論理基礎論は、この事を明白に示している。蘇生分別……ここに足場を置いて、分別虚妄を承知の上で敢えてそれをしよう・というのが本書である。「説を離れて理無く・理を離れて説無し」(『止観』)だからである。

 本書には一つの目標が有る。それは人類が三千年以上もの長きに亘って・産み出しては執著し続けて来た古い形而上学諸概念への批判である。こうした物事の見方考え方への批判である。執著は一切諸苦の母体となる。離れるべき諸執著を明らかにし、捨てるべき執著は敢然として捨てなければならない。

 竜樹という人は、形而上・形而下を問わず、<概念>なるものは皆・頭から信用しなかった・と言う。概念操作つまり・名辞の連鎖から成立つ諸命題を生(産)み出す・その能生(のうしょう)の根源となる反省法しか信用しなかった・と言う。

 見様見真似でその後を追おう・という訳でもないが、兎に角・古来の形而上学諸概念を現代の光で照らし出してみよう・というのがこの書の元意と申し述べて置く。現代人における実体概念の多様乱用がこの事を思い立たせて呉れた。

 形而上学諸概念を主語に立て……この主語は外延を持ち得ない……それへ相反する述部を付けて作った二命題は、論理上どちらも正当に成立する……つまりアンチノミー(両断)が発生する・と証明したのはカントであった。彼は学者であったからそこで踏止まった。竜樹は学者ではなく実践家であったから、論争相手に「汝の大前提を放棄せよ」と迫って止まなかった。

 この実践一途の精神は後年・中国の天台智者大師の己心の中に鮮やかな大輪の妙華となって咲き開く。「摩訶止観」第七章正修止観の四・破法遍(法を破す事遍ねかれ)がそれで、中には「法は知るべく学ぶべく著すべからず」の大見識が開示されている。

 学べば著し親しめば著するは凡夫の習い世の習い、<信>と<著法・著人>とは全く異なる事態であるのに、世上この二つが何と混同されている事か……。保身・出世に利用すべく、万々承知で著愛する例もまた何と多い事か。自己満足の著人法では話にもならない。

 大見識はまだ続く。智者大師は<疑いの三義>(『止観』)という事を指摘して、自(自己)師(自分の師匠)法(親愛すべき法)の三を挙げ、妙楽大師は「信受すべき師法の二は、事前にまず大いに疑って正邪を明らかに見極め、選び取ってから信すべきである」事を説いた。

 三疑を釈して妙楽大師は「自身に於いては決して疑うべからず、師法の二は疑いて後まさに決すべし。……。正法正師決定せば其の時に三疑は永く棄つべし」(『弘決』)と述べた。既存の学説に対しても今後の学説に対しても、それに接する求法の人の態度は正にこれでなければならない。この意味において私共二人のこの論文はまず大いに疑って貰いたい。その上で若しも疑う余地が無くなったらその時は認めて頂きたい。”不疑曰信”ではなく無疑曰信を旨として読んで頂きたい。

 形而上学的手法と形而上学とを混同してはならない。客観一般に対して、内観する点で仏法は一部分・形而上学と同じ手法を取るが形而上学ではない。終点無き<無形存在の学>……形而上学という橋は六道を横切る”三途の川”を渡る為に架けて在るので、その上に立ち止まれば害を為す。

 形而上学形而上学の領域に閉篭る間は、常に無用無益な認識に転化して・存在意義を失うだろう。おもえば宿命的な学問である。万学の王は大王では有得ない。形而上学を学ぶ者はこの学の領域から抜け出し脱皮して、必然的に信仰という実践の舞台へ進み入らねばならぬ。

 この事からし当然の帰結が出て来る。それは、仏法を形而上の雲の上に祭り上げている世間の常識は丸きり誤っている・という一事である。だからこそ諸学との比較をしてみたい・というのが言いたい事である。これも分別虚妄・乃至・真実の内ではあろうが敢えて指摘して置きたい。

 

   昭和五十三年八月

 

 仏教とは如何なる事であるか。喧しい内部の詮索を抜きにすればこれ程自明の事は無いであろう。つまり・抜苦の為に、悟った仏陀が仏の方から迷っている衆生の方へ<悟りへの道筋を教え示す>という事だからである。

 結果は與楽(よらく)となる。三世の諸仏は皆そうなのだが、この為に仏陀は悟ったその刹那から衆生の方へ面(おもて)を向け変えている。その仏陀に取っては(初めに中道在りき)である。これを果位の立場と言う。

 これに引替えて衆生の方はどうか。衆生の面(おもて)は人により時により・あちらへ向きこちらへ向いて一向に定まらない。<初めに迷妄在りき>という態(てい)である。こうした衆生の手中には<虚仮(仮有)>しか無い。だが発心するや否や仏道修行の仕始めから仏陀へ面を向け変えている。これを因位の立場と言う。

 こうして仏陀衆生との<対坐>が成立する。仏は衆生の方へ慈悲と無上無分別智慧つまり般若の光を投掛けて、道を照らし衆生を励ます。衆生はその光に導かれて仏の方へ真直ぐに視線を向けて進み出す。因から果へ……これが衆生の取るべき・取得る・唯一の道となる。

 無明即明とは言うが、私も衆生の一人であるから<初めに迷妄在りき>どころか、今でも迷妄在りきという儘で生きている。こうした自分が、照らされている光を遡って・迷妄の因位から果位へ向けてのコースで、内外相対の諸問題を見よう・というのがこの対話である。これも反省の所産というものである。従って当然の事では有るが、<仏の方から衆生を照らす>方向の論議はほぼ一切を省略する事にした。従って欠落が大きい事は謝って置かなければならない。こうした欠落部分はそれぞれ別の資料から得て頂ければ幸いと思う。同趣旨で・修行論・倫理論・実在論・なども全的に省略した。

 本書の路線は竜樹と天台との・それも主に天台の立場に敷いた。然も智解の理・中心の迹門に敷いた。『法華経』の解釈は天台大師によって究竟せられ・加減すべきものは何一つ無い・と言う。その『法華経』を巡る名著・三大部は古今未曾有有の書であろう。

 この『玄義』や『文句』に説かれている様に、天台においても・仏から衆生へ・と施設した路線(本門)が元意であろうが、本書ではそれも採らない。『止観』が教える様にひたすら<衆生から仏へ>の路線で話を進めた。多謝の所以(ゆえん)と謝りを申し上げて置く。

 従って路線が著しく片寄る事も・話が数学みたいに無味乾燥になる事も承知の上・という積りである。理屈過剰で飽きが来るであろうが、拙いながら<内外相対とはどういう事か>の課題に取り組んだ積りである。全文を文底義で読んで頂ければこの上無い。

 そして更に、副次目標として<四句分別の取扱い>というテーマを取り上げた。これ無しでは内外相対が論じ難い(にく)いのである。四句(四論)に就いては・インドの昔から・使用形式が・習慣的に・或る型にほぼ統一され(本文第二章参照)ていた様であるが、古来の一様式に固執し囚われなければならない必然的な理由も見当たらない。私なりに組替えた様式にして提示した。試論であるから、刺戟になって、四句の研究が進んで行けば有難い・と思う。

話の内容はなるべく仏教学の手法で行きたい・と思ったが、そうばかりは出来なかった。仏教学にはそれなりに縛られる約束事が有るからである。客観研究の約束事に縛られると、肝心の仏陀の真意から遠ざかってしまう欠陥も生ずるのである。仏教学では宗派の意見に縛られる事からは免れるが、その逆も又起こるのである。須らく令離諸箸を旨として行こう・と思った次第――。 

 論理学の側面に力を入れたが、自分は斯学に就いては素人にすぎない。そこで、厚かましい事だが、本橋氏の伝手(つて)を頼って、五十六年にその道の権威であられる末木剛博教授(東京大学)に原稿の御目通しをお願い申し上げた。入院の為に原稿の清書も一部しか出来ない儘、失礼をも顧みず、手入れだらけの・本当に読み難(にく)い原稿を提出申し上げた事を誠に心苦しく思う。改めてここにお詫びを申し上げる次第である。  それにも拘わず先生には快く引き受けて頂き、後日に色々・訂正と御教示とを与えて頂いた。又この事とは別に、各大学の仏教学の諸先生方にも色々と有益な御意見を伺う機会を得て有難い事であった。各先生によって私と本橋とが知らなかった数々の事に気付き得たし、蒙を啓き誤りを改める事が出来て何よりも有難く思う。ここに先生方の御好意に厚く御礼を申し上げて微意の一端と致したい。

各先生方の御意見・御指摘に鑑みて、私達なりに自明と思っていた為に省略していた事も・改めて説明する必要がある・と反省した。この為に事後に大幅な説明の加筆をした部分も多くなった。又、先生方の御意見に対して、恐縮ながら意見を異にする為に、その理由や根拠を明らかにすべく加筆した部分も沢山生じた。その結果、末木先生に御目に掛けた原稿からは大幅に改まった事を先生へ御報告致し、感謝申し上げると共にお詫び申し上げたい。 

 長年の経験から思うのであるが、仏教を取り扱うにせよ信仰するにせよ、案外入口の所で躓いてその儘押渡って行く事が多い様に見える。この入口の所というのが内外相対……内外を比較検討して充分に弁(わきま)える・というその事である。

 この・入口での躓き・は今に始まった事ではなくて、釈尊の厳戒にも拘らず・仏教二千五百年の歴史の中で多々見受けられたし、我が国では明治以来のギリシャ哲学の影響その他によって、今でもやはり沢山見当たるのである。私と本橋とが意図したのは・その歯止めを試みよう・という事であった。

 まだ色々問題は在ろうし、本書の中にも若干の誤り・間違いの類い・はまだ在ろうか・とは思うが、それでも大方の目的は達成出来た・と思う。菲才を顧みずやたらと論旨の枠を拡げたが、要は<内外>の一点をしっかり受け止めて頂ければ望外の幸せである。後は全て読捨て忘れて下さって大いに結構・と思う。

 対話を終え文を整理して振返れば、まだまだ論旨単調であった・との反省も有る。然しこれ以上分量や時を引延ばしても仕方が無い・という想いも有る。目を通して下さる方々には、本書を起点として、これ以上の意見を世に出現せしめられる要切にお祈り申し上げる。

 「後生(こうせい)畏るべし」と言う。今はこの事の将来における可能を深く信じて筆を擱きたい。弟子菲才の身ながら、恩師戸田城聖先生にこの一書を捧げて不肖のお許しを乞うものである。

石田

  昭和五十八年十二月