寺院の意味とは

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 「寺院」は御本尊様が在す修行の根本道場です。『百六箇抄』に、
 「下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」(御書1699)
と仰せのように、日蓮正宗においては「寺院」を建立することが大事です。更に第二祖日興上人は『富士一跡門徒存知事』に、
 「凡(およ)そ勝地を撰んで伽藍(がらん)を建立(こんりゅう)するは仏法の通例なり。然れば駿河富士山は是日本第一の名山なり、最も此の砌(みぎり)に於て本門寺を建立すべき由(よし)奏聞し畢んぬ。仍って広宣流布の時至り国王此の法門を用ひらるゝの時は、必ず富士山に立てらるべきなり」(御書1873)
と三大秘法の本門戒壇の大御本尊様は、富士山の麓に寺院を建立し御安置すべきであると仰せです。以上の意味から日蓮正宗の地方の末寺において、富士山の麓に建立された「大石寺(たいせきじ)」を総本山とし、大石寺の御住職様である御法主上人猊下の御指南に信伏随従し、末寺は存在するのであります。
 寺院を軽視する人は、日蓮大聖人の弟子ではありません。大聖人と第二祖日興上人の御指南に背くことになります。
 寺院の意味と存在は、私達の気持ちが休まる安堵感を得るところです。そして、現実を客観的に見る時間をつくり、様々な現実に起こりうる問題を安心して解決できる場所なのであります。御経をあげ御題目の南無妙法蓮華経を唱えることで、心の汚れを本堂に御安置されている御本尊様が、綺麗に洗い流して下さるのであります。
 寺院は、御先祖様を追善供養するためだけの建物ではありません。本来は自分自身の心と精神を鍛錬する場所です。正座をして御念珠をし合掌する姿勢を持つことで、精神が御本尊様の正境に縁することで磨かれていくのであります。
 日蓮大聖人は『一生成仏抄』に、
 「深く信心を発(お)こして、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」(御書46)
と御指南であります。時々寺院に参詣すれば信心が更に深まり、毎日朝夕の勤行を怠らず、行うことが磨くことであります。そして合間を見付け、寺院に参詣し唱題をして更に磨くことが大事です。寺院は、御題目を唱えて心を磨き、生活を揺さぶる魔の働きを乗り越える精神を身に付ける必要な場所であります。心の葛藤に明るい兆しを降り注いで下さるところです。
 『草木成仏口決』に、
 「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこなひの学者ゆめにもしらざる法門なり」(御書523)
と御教示のように、寺院に安置される大曼陀羅の御本尊様に御題目を唱えることで、一念三千の法門といわれる、世間の学者も知ることが出きない御法門を、御住職様から伺うことが出来、御仏智を頂くことが出来るのであります。寺院に参詣し精神を磨きましょう。

 

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