現代諸学と仏法 序 第一原理考争 1 科学の眼・哲学の眼・宗教の眼 (2)物理学者の哲学志向

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(2)物理学者の哲学志向

 宇宙を扱えば、一方は思弁対象としてのコスモス・一方は認識対象としてのユニバース・に分かれます。こうして哲学的世界観・物理的世界観・が出来てきます。一時は哲学的世界観の方は大きく後退して、物理的世界観の方が華々しく取り上げられた事も在ります。日本では終戦直後の一時期十年程がそうでした。

 宇宙観・世界観・人生観、この三つは何時でも離れ難く結び附いて来ました。どの民族でも世界創成談・国土創成談の類いは持っていた事がそれを裏付けております。日本では古事記の中で語られている訳です。つまり最初は神話の形で語られ、段々と合理的に考えられて物理的世界観・宇宙観へ到達してくる訳です。

 その点は民族を問わず形が共通しております。

 これらは、<神と人と自然>の三者の関連から語り始められて、段々と神が追放されてきて、合理性が高められると共に、人や個物は、宇宙の中の対応物と密接に実質的な連絡が有る・と考えられて来た訳です。人間は小宇宙だ・と言う主張はここから来ております。そして<宇宙即我れ>と言う考え方になって参ります。こういうものとしての宇宙・に関する<宇宙論>の一つの特徴は、「どの様に生まれ、どのように今日の姿に到達し、将来はどの様になるのか」という歴史的展開に興味が集中しているのだそうです。

 宇宙には秩序が在る・という事は、月や太陽の巡り合わせで一月・一年が出来たり、或いは月の満ち欠け・海洋の潮の干満・四季の巡り合わせ・雨季乾季の整然とした到来・等々から、どの民族も物理的に知っていた事です。コスモスとは元意は<秩序>という事ですから、思弁宇宙はコスモスと名付けられましたが、この名付けの中にすでに物理的世界観・宇宙観が根付いていた・と言うべきでしょう。神話の殻が脱ぎ捨てられるのは時間の問題だった・と言うべきでしょう。昔の学者は物理などと哲学とを兼学しておりました。ギリシャ時代からそうでした。

 何か実用に迫られて研究する・というのは技術者の仕事であって、これはまだ本当の学者ではない訳です。本当の学者は已むに已まれぬ探求心から研究しているのでしてこれは誰が止めても止まるものではありません。ですから昔から科学者はそれなりに哲学者でしたし、哲学者も又それなりに科学者でした。例を挙げればきりが有りませんが、物理の圧力に関する<パスカルの原理>(水圧機の原理)の発見者パスカルは立派な哲学者でしたし、ニュートンは物理学者であって哲学者でした。彼の物理体系は永い間・物理学的宇宙論の最終的な説明・として信じられて来た訳です。

 ところが今世紀前半に相対性理論が発見され、殆ど平行して素粒子の発見からミクロ世界の物理学が開けて、ついに物理帝国主義時代などという言葉さえ出来た位ですから、哲学的世界観へも革新的な大影響を与えた訳です。そればかりか、そうした物理学者が、進んで哲学的世界観を述べる・という風潮があるのは面白い事ですね。

 私は終戦の時には内地に居たので復員が早かったのですが、帰ってすぐ、新しい思想が欲しくて神田の本屋へ行きました。ところが敗戦直後でめぼしい本など何も無くて、棚さえがらがらでした。やっとマックス・プランクの『物理学と世界観』というのを見附けまして、喜んで読んだものです。この学者は、物理学の立場から・決定論と非決定論との両立・を説いて「紳士淑女諸君、神を信ぜよ」と言っているのです。それでも当時の私には新鮮な学説でしたので、意までも記念として、このザラ紙に印刷された本を大事に持っております。

 物理帝国主義といえば、これと並んで理性万能主義や知性万能主義も在りました。然しこれも・行き過ぎだ・と盛んに反省されているのが現代ではありませんか。でも仏法の方では、理性や知性を欠いた仏法や反省自覚の修行は在りませんから、理性・知性は極めた大切です。

 事実、理性や知性を欠いた人は反省しませんし、仏道修行には仲々馴染めません。情念ばかり発達した理性や知性が後退している人は、仏法には本当に融け込めない・というのが経験上・統計的な実情です。それでも仏種を下して遂には得道させる仏法が在るのですから、これは有難い事です。

 日本では湯川秀樹博士も世界観についての論文や本を出しております。或る本によれば、物理学界全般の風潮・というものが在って、湯川門下生達も、ハイハイと師匠の学説に従っている・という様なものではない。それ以上の発想をして、それ以上の発見をして、それ以上の世界観を創り出してみせるぞ・という気概に燃えているのだ・と在りました。

 とにかく湯川博士は、西洋の哲学も東洋の思想も読みこなしているのでしょう。有名な話に、素粒子と時空間が分割出来ない領域……素領域の考え・を説明するのに、李白の詩「夫れ天地は万物の逆旅にして光陰は百代の過客なり」を持ち出した・などというのが在ります。当然、長い間の第一原理論争など、精密に内容を知っている・と思います。

 

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)

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