思春期という心の葛藤を乗り越えるには

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思春期の自分を思い出すと。。。恥ずかしい

 「思春期」は人間誰もが迎える時期であります。一般的に十一歳~十二歳から十六歳~十七歳に迎えます。この「思春期」は心に生まれる様々な欲望や未来への期待感が活発化する時です。両親や人生において尊敬する先輩などからこの「思春期」の過ごし方をある程度教えて貰い理解していなければ、人生において取り返しの付かない事態を招くことがあります。心の中に生まれる様々な欲望が葛藤を起こし、その欲望の扱い方に迷い悩む次期が「思春期」であります。この「思春期」を乗り越えることによって、大きく成人として飛躍していきます。身心両面にわたり成長著しいのが「思春期」です。幼少の頃と違い、「思春期」は多くの事柄へ更に興味を持ちます。この興味の持ち方を間違えると人生を大きく脱線する場合があります。正しい判断力を身に付け心に生まれる欲望や葛藤を処理することが大事です。
 日蓮正宗の信心は、「思春期」における心の葛藤を御本尊様の尊い力によって、人間として理想的な方向へ教え諭して下さいます。また私達の力では対応できない心の迷いや抑えきれない心の欲望や葛藤を正しい方向へ導いて下さるのであります。その方法が日蓮正宗の修行である「勤行唱題」です。この御本尊様に向かい正座をし御題目を唱える姿勢には、心のあらゆる葛藤を沈静化し、気持ちに余裕をもたせ、落ち着かせて現実を冷静に見ることが出来ます。それにより、「思春期」に迎える心の迷いや悩みを知識とし智慧として自分自身の成長の糧になるわけです。それが日蓮大聖人が御指南くださる「煩悩即菩提」という御法門です。
 心の迷いである煩悩を利用して、成仏という幸せになる要素へと変えてしまうのであります。
 また「思春期」は、三毒である貪・瞋・癡という貪る気持ち、瞋る気持ち、癡という愚癡が旺盛になります。自分自身の感情ではコントロール出来ないときがあります。この時「柔和忍辱衣」という気持ちに柔軟さを持ち、耐え忍ぶ心が大事です。しかし、頭では理解できてもいざ実行に移すとなると、それぞれの性格によって上手くいかない場合があります。この時こそ、御本尊様に向かって声を出し御題目を唱えることです。御題目を声に出すことで、心の中に渦巻く世の中に対しての様々な不満を解消することが出来ます。「思春期」には、心に不満をためるのは禁物です。この不満やストレスを適度に他人に迷惑をかけないように扱うことが必要です。不満やストレスの処理方法に失敗すると世間を騒がせることになり、楽しいはずの人生が暗黒になります。
 「思春期」には、更に法統相続における重要な身心における機能が発動する時期です。つまり法統相続に必要な性欲が活動します。正しい仏法を広宣流布の暁まで伝えるには大事なことです。性欲は、人間の命に具わる尊い本能的な働きです。正しい知識を持って「善知識」と考えるか、人生を悪くする「悪知識」をもって性欲を考えるかで、人生を大きく分けます。世の中には性欲に対する「悪知識」が氾濫しています。御本尊様から仏眼を頂いて正しい眼を持つことが大事です。
 「思春期」では、法統相続における性欲に対しての正しい知識を身に付けることが大事です。

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創価脳青年への回答というか。。。メール処理?

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創価脳青年に受診してほしい病院ですね

創価脳青年からメールが。。。

とりあえず処理しておきました。

もう、対話にも何もならないです。

>「 あなたも、創価学会の言うことを信じているのでしょう?それと同じだということが分かりませんか?」
同じではありません。勘違いをされているようですが、我々創価学会員にとって唯一絶対に誤りのない存在は主師親の三徳を備えた御本仏日蓮大聖人ただお一人であって、池田先生・戸田先生といえども御書の内容に反することを言われたならば 「師なりとも誤ある者をば捨つべし」曾谷殿御返事1055 との御文に従いその誤りを弾劾するなり組織を離れるなりしなければなりません。「法主の言うことは絶対に正しい」と主張する宗門とは違います。
 
自分勝手な信心ですね
 
>「根拠ばかりもとめて客観性の罠に陥ると、最終的に不可知論者になってしまいますよ」
「若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり」祈祷抄1355
「仏法の邪正をただす事・皆経文をさきとせり」星名五郎太郎殿御返事1207
このように日蓮大聖人は証拠を重視しておられます。そのような発言は日蓮大聖人のご精神に背くのではありませんか。
 
また、切り文ですね。
 
>「戸田先生は、日蓮正宗の僧侶にダマされたまま死んだ間抜けですか?そんな人が、創価学会の永遠の師匠でしょうか?」
確かに戸田先生は宗門の誤った主張をそのまま用いてしまったこともあったようですが、創価学会を発展させ多くの人々を救った功績は甚大であると思います。
 
創価学会は退転しましたよ。戸田さんの悪臨終の相が前兆だったんじゃないですか?
 
>「多くの日蓮系宗派の中で、創価学会を正しいとする根拠は何ですか?相伝を否定してるんですよね?1930年11月18日まで、誰も成仏できなかったのかな?」
創価学会日蓮大聖人の仰せの通りの信仰を実践しているからです。創価学会が設立される以前であっても、日蓮大聖人の仰せの通りに信仰を貫いた人は当然成仏できるはずです。
 
はずですって・・・適当な仏様ですね。
 
>「御書には日蓮正宗相伝を否定する文証はない。」
あります。日蓮大聖人はこの様に仰せになっています。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり」御義口伝巻上744
 「日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」四菩薩造立抄989
 「設い天台の釈なりとも釈尊の金言に背き法華経に背かば全く之を用ゆ可からざるなり、依法不依人の故に」立正観抄528
 「仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず」唱法華題目抄9
 「唯人師の釈ばかりを憑(たの)みて仏説に依らずば何ぞ仏法という名を付くべきや。言語道断の次第なり」持妙法華問答抄462
 「仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」如説修行抄502
 「設い仏菩薩為りと雖も法華涅槃に依らざる仏菩薩は善知識に非ず況や法華涅槃に依らざる論師・訳者・人師に於てをや」守護国家論67
 「論師人師の料簡を閣いて専ら経文による」善無畏三蔵抄881
 「仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず只経文を先きとすべし」聖愚問答抄481
 「此の経の信心と申すは少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ」新池御書1443
 「今の人他の所引の経論を信じて謂いて憑み有りと為して宗の源を尋ねず謬誤何ぞ甚しき」真言見聞148
これらの御文を拝すれば、御本仏日蓮大聖人以外の誰人の言葉も信じてはいけないということが明白にわかります。
 
全く明白になっていません。切り文です。

また、日興上人はこの様に仰せになっています。
 「富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事」日興遺誡置文1617 
 「案立若し先師に違わば一身の短慮尤も恐れ有り」五人所破抄1616 
僧宝日興上人といえども日蓮大聖人が仰せになっていない法門を立ててはいけないということです。
 「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」日興遺誡置文1618
 「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」日興遺誡置文1618
日蓮大聖人の御書を根本にするべきであって、法主であろうとも御書に背いたならば用いてはならないと仰せになっていますね。
 
学会が主張する御書根本なんて、日興上人様は一言も仰っておりませんが。

以上のように、日蓮大聖人はただ法のみを信じるべきことを強調され、日興上人も法主が誤りを犯すことを想定しておられました。従って宗門の「法主は絶対に正しい、法主に信伏随従しなければならない」という主張は誤っているということ、主張の正当性を証明するに際してはただ日蓮大聖人の御書のみを用いるべきであり、法主や他の人師の言葉を用いてはいけないということがわかりますがいかがですか。
 
そのようなことは一言も仰っていません。
 
守護国家論は、法然の選択集破折の書。切り文不可。
経典に後加文を加えたり前後を入れ替えたりする者が魔の伴侶であるという仏法の真理は全ての宗に当てはめることができるはずです。
「当世日本国の真言等の七宗並に浄土・禅宗等の諸学者等、弘法・慈覚・智証等の法華経最第一の醍醐に法華第二・第三等の私の水を入れたるを知らず仏説の如くならば・いかでか一切倶失の大科を脱れん、大日経法華経より劣る事七重なり而るを弘法等・顚倒して大日経最第一と定めて日本国に弘通せるは法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたるなり水にも非ず乳にも非ず大日経にも非ず法華経にも非ず而も法華経に似て大日経に似たり大覚世尊此の事を涅槃経に記して云く「我が滅後に於て正法将に滅尽せんと欲す爾の時に多く悪を行ずる比丘有らん、乃至牧牛女の如く乳を売るに多利を貪らんと欲するを為ての故に二分の水を加う、乃至此の乳水多し、爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有て是の経を鈔略し分て多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除せん、乃至前を鈔て後に著け後を鈔て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云。」諌暁八幡抄577
このように守護国家論で引用された涅槃経の文を用いて諌暁八幡抄では法然の選択集だけではなく「真言等の七宗並に浄土・禅宗等の諸学者等」を破折していますね。当然、宗門の後加文を破折するために用いても構いません。善無畏三蔵抄も同様です。
 
相伝猊下様御一人が所持される内証ですから、引用御書では破折にはなりません。
 
>あなたは創価の言葉を信じているんでしょ?
上にも述べたとおり、我々創価学会員にとって唯一絶対に誤りのない存在は主師親の三徳を備えた御本仏日蓮大聖人ただお一人であって、池田先生・戸田先生といえども御書の内容に反することを言われたならば 「師なりとも誤ある者をば捨つべし」曾谷殿御返事1055 との御文に従いその誤りを弾劾するなり組織を離れるなりしなければなりません。三代の会長や本部の言葉を全て信じているわけではありません。
 
貴殿がなぜ正しい判断ができると言い切れるのですか?
 
>用いられています。我見教学を指します。
具体例を示してください。
 
創価教学で検索してね。
 
>思います。。。計我ですね
計我とは「自分の独りよがりな考えで仏法を推し量り解釈すること」です。僕は「思います」という表現を用いましたが、きちんと文証を示したではありませんか。独りよがりな考えではありませんので計我ではありません。
 
それも計我です。
 
>いっぱいあります
過去に創価学会が日寛の主張を用いたこともあったようですが、現在は創価学会が自らの主張を正当化するために日寛の主張を用いることなどありえないはずです。
 
あったんですね。
 
創価学会は過去に許されないことをしていたことになりますね?破前だから無罪ですか?
確かに過去に創価学会が誤った主張をしたこともありました。しかし現在は誤りを認め訂正しています。宗門も誤りを誤りと認めるべきではありませんか。
 
やっぱり誤ってたんですね。解散してください。
 
まだご回答を頂いていない質問を再掲します
二箇相承において日蓮大聖人が法を付属した対象は日興上人ただお一人であるので、それによって「代々の法主への信仰」という結論を導くことはできませんがいかがですか。
御本尊七箇之相承について
御本尊七箇之相承の第七条に「日蓮と御判を置き給ふ事如何、師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり、之に付いて受持法華本門の四部の衆を悉聖人の化身と思ふ可きか」とありますね。つまり「一切衆生日蓮である」という意味です。それなのになぜ「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」という後加文のみを取り上げて法主一人が特別であるかのように偽装するのですか。
ポリ銀さんは前のメールで「戒壇の大御本尊を信受しないのであれば実体のない法を根本にすることになる」と批判されましたが、まさにおっしゃる通りで、法とは実体のないものだと思います。法とは本来永遠不滅の存在であるはずですが、弘安2年10月12日の御本尊のような実体として存在しなければならないのだとすると、日蓮大聖人が700年前に誕生するまでは法が存在しないことになってしまうではありませんか。矛盾すると思いますがいかがですか。
平成3年7月31日能化文書「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」について
ポリ銀さんは宗門の主張をそのまま引用されたようですが、ポリ銀さんご自身はこのことについてどう思われるのですか。宗門は代々の法主の内証が日蓮大聖人の内証と等しいと主張していますね。つまり代々の法主の内証は久遠元初の自受用身すなわち御本仏であると主張しているわけです。これほどの大増上慢、大謗法をなぜ見抜くことができないのですか。
戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本とする」という主張は「無二に信ずる故によって此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」日女御前御返事1244 「唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可し」富士一跡門徒存知の事1606 との御文に違背していますね。このことをどう思われますか。
 
ブログにて回答済みです。
 
On 2019/05/10 0:44, ポリ銀 wrote:

  

妄想の対処法―認識プロセスを観察し、妄想ループを絶ち切る: 『マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』

妄想の対処法―認識プロセスを観察し、妄想ループを絶ち切る: 『マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』

 

 

 

 

寺院の意味とは

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 「寺院」は御本尊様が在す修行の根本道場です。『百六箇抄』に、
 「下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」(御書1699)
と仰せのように、日蓮正宗においては「寺院」を建立することが大事です。更に第二祖日興上人は『富士一跡門徒存知事』に、
 「凡(およ)そ勝地を撰んで伽藍(がらん)を建立(こんりゅう)するは仏法の通例なり。然れば駿河富士山は是日本第一の名山なり、最も此の砌(みぎり)に於て本門寺を建立すべき由(よし)奏聞し畢んぬ。仍って広宣流布の時至り国王此の法門を用ひらるゝの時は、必ず富士山に立てらるべきなり」(御書1873)
と三大秘法の本門戒壇の大御本尊様は、富士山の麓に寺院を建立し御安置すべきであると仰せです。以上の意味から日蓮正宗の地方の末寺において、富士山の麓に建立された「大石寺(たいせきじ)」を総本山とし、大石寺の御住職様である御法主上人猊下の御指南に信伏随従し、末寺は存在するのであります。
 寺院を軽視する人は、日蓮大聖人の弟子ではありません。大聖人と第二祖日興上人の御指南に背くことになります。
 寺院の意味と存在は、私達の気持ちが休まる安堵感を得るところです。そして、現実を客観的に見る時間をつくり、様々な現実に起こりうる問題を安心して解決できる場所なのであります。御経をあげ御題目の南無妙法蓮華経を唱えることで、心の汚れを本堂に御安置されている御本尊様が、綺麗に洗い流して下さるのであります。
 寺院は、御先祖様を追善供養するためだけの建物ではありません。本来は自分自身の心と精神を鍛錬する場所です。正座をして御念珠をし合掌する姿勢を持つことで、精神が御本尊様の正境に縁することで磨かれていくのであります。
 日蓮大聖人は『一生成仏抄』に、
 「深く信心を発(お)こして、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」(御書46)
と御指南であります。時々寺院に参詣すれば信心が更に深まり、毎日朝夕の勤行を怠らず、行うことが磨くことであります。そして合間を見付け、寺院に参詣し唱題をして更に磨くことが大事です。寺院は、御題目を唱えて心を磨き、生活を揺さぶる魔の働きを乗り越える精神を身に付ける必要な場所であります。心の葛藤に明るい兆しを降り注いで下さるところです。
 『草木成仏口決』に、
 「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこなひの学者ゆめにもしらざる法門なり」(御書523)
と御教示のように、寺院に安置される大曼陀羅の御本尊様に御題目を唱えることで、一念三千の法門といわれる、世間の学者も知ることが出きない御法門を、御住職様から伺うことが出来、御仏智を頂くことが出来るのであります。寺院に参詣し精神を磨きましょう。

 

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神社に「悪鬼神」が住み着いています

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ピッコロ大魔王も神様そっくりでしたね

 世間では、「神」の存在に対し様々な概念があります。「神」という言葉を知らない人は全くいないでしょう。しかし、「神」に対する存在については信じる信じないという意見があります。「神」を信じない人は無神論者として自分だけの智慧を頼りにし、その反面「神」を信じていても全て一つの「神」に定まって信じられているものではありません。過去の先人達が神格化した創造上の「神」が世の中に氾濫しています。この神格化した創造上の「神」は、あくまでも人間が創りあげたものであり、「神」本来の力を有しているか疑問が残ります。
 多くの人は、この神格化した創造上の人間が創りあげた「神」を崇め信じているのが現実ではないでしょうか。世の中に蔓延する「神」には、人間が創りあげたものと、仏様が説かれたものがあります。人間に随うか仏様に随うかで大きく異なり、「神」の働きにも自ずと違いが出てきます。「神」を信じる上で、この点を注意深く考えなければいけません。日蓮正宗に縁しなければ、思いも付かないことです。
 仏様が説かれた神は、先人達が考えた神とは根底から違います。それが三種の神「法性神・有覚神・邪横神」です。世間に蔓延る創造上の神しか知らない人は聞いたことがないと思います。これは人間が想像して創りあげた「神」ではありません。仏様が三世を達観されて説かれる「神」です。凡眼凡智では計れない「神」です。 
 三種の神「法性神(ほっしょうしん)・有覚神(うかくしん)・邪横神(じゃおうしん)」とは、台家の相伝に説かれ、御書を心肝に染めて拝する必要があります。『百五十箇条』に、
 「問テ云ク神に於て三種有り、其貌何と分たるや、答テ曰ク是は台家切紙相承の法門なり、凡神に三種有り一に法性神・恒遍法界の神なり此ハ有情非情ノ神なり、二に有覚神・我滅度後於末法中・現大明神・広度衆生垂迹和光の神なり、三ニ邪横神なり」
と説かれています。「法性神」とは、無辺の法界(宇宙)に存在する有情・非情の神。風神、火神、山神等の神を指します。「有覚神」は垂迹和光(すいしゃくわこう)の神をいいます。権現・大明神の本誓、仏・菩薩の本地を隠して現れます。「邪横神」は、実迷と名付け、垂迹和光の神が天上界に去った後、神社などの社に入る悪鬼魔神をいいます。日本に存在する全ての神社には、「邪横神」が聖者を装い住み着いています。
 「善神」となる「法性神」や「有覚神」は、御本尊様を信じ御題目を唱える人を諸天善神となり守護するのであります。「神」は、お金を貰って護るのではありません。「邪横神」が住み着いた神社運営における邪義邪説です。謗施を止めることが大事です。一体誰がお金を賽銭箱に入れれば神様が願いを叶えてくれると言い出したのでしょう。神社の神を信じている人は一度、神主さんにでも聞かれてみては如何でしょうか。おそらく文証の原点が不明確な文献に依って、邪義邪説を述べてくることでしょう。
 世間では神社に「善神」が住んでいると思われていますが、その「善神」は「法味」を貰えないので天界へ去ってしまい、かわりに邪横神といわれる悪鬼神が住み着いています。「善神」は御題目の南無妙法蓮華経を「法味」とし主食としていますので、お金を貰っても「法味」が貰えないので力が出ないのであり、そのため天界に去ってしまったのです。逆に邪横神である悪鬼神にお金を施すので国は滅びる方に向かってます。当然、悪鬼神が住み着いた神社で「法味」である御題目を唱えても御利益はありません。神道を信仰される方は、今一度考え直されることが必要でしょう。本当の「神」は日蓮正宗の寺院にしか居りません。今までの信仰を改宗し日蓮正宗を信心しましょう。

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諸天善神といわれる神の働き

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ドラゴンボールの神様は・・・いい人でした

 日蓮大聖人は「神」の守護について『四条金御殿御返事』に、
 「魔訶止観(まかしかん)第八に云はく、弘決第八に云はく『必ず心の固きに仮(よ)って神の守り則ち強し』云云。神の護ると申すも人の心つよきによ(依)るとみえて候。法華経はよ(善)きつるぎ(剣)なれども、つかう人によりて物をきり候か」(御書1292)
と仰せであります。信心が強ければ神の働きは強くなり、信心が弱ければ神の働きは弱くなります。自分自身の信心の強弱に神の守護は大きく左右されます。他力本願では、諸天善神の加護は弱いのであります。
 神である諸天善神は、御題目の南無妙法蓮華経を主食としています。朝の勤行で東天に向かい、御経をあげ御題目を唱えなければ諸天善神は、力を出すことが出来ません。初座をあげるのは、諸天善神に「法味」を捧げ、護って下さるように御願いをするのであります。これを怠ると当然、神の働きは期待できません。御本尊様を受持しているのに、諸天善神の御加護がないと悩み疑いを抱いている人は、東天に向かい「法味」である御題目を唱えているかいないかを見直す必要があります。
 諸天善神の守護は、「善神」とある如く、善行をおこなう人に守護の働きがあります。悪意を持ち、悪行に対し成功するよう諸天善神に御題目を捧げても守護の働きは一切なく、逆に仏罰を被ることになります。
 世間の神社仏閣や邪宗の寺院には、神は存在せず悪鬼や魔人が住み着いています。「神天上の法門」というのがありますが、世の中は正法を信心する人が少ないために、「法味」である御題目を貰うことが出来ないので、天上界に神は帰ってしまったのであります。その代わりに邪神・邪横神である悪鬼が住み着いています。悪鬼が住み着いた神社で交通安全の「お守り」を購入して、車に付けると事故にあいます。時々、テレビのニュースで眼にしますが神社で買った「お守り」を付けた車が事故を起こしています。この現証は、正しく神社に悪鬼が住み着いている動かぬ証拠です。神社に初詣に行ったり、神社にお参りに行く人は以上のことを深く考え、正しい宗教である日蓮正宗について信心することを勧めます。
 『立正安国論』に、
 「守護の善神去(さ)りて来たること無し。是偏(これひとえ)に法然(ほうねん)の選択(せんちゃく)に依るなり。悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷(まよ)へり。謗(ぼう)を好んで正(しょう)を忘る、善神怒(いか)りを成さゞらんや。円を捨てゝ偏(へん)を好む、悪鬼便(たよ)りを得ざらんや。如(し)かず彼(か)の万祈を修せんよりは此の一凶(いっきょう)を禁ぜんには」(御書241)
念仏宗である浄土宗・浄土真宗を破折されております。神社と同様に、間違った仏法にも守護の善神は去ってしまい、その寺院には悪鬼が住み着いています。この間違った仏法を断たなければ、本当の諸天善神の働きがないことを御指南されています。
 諸天善神は、三大秘法の御本尊様を受持信行する、日蓮正宗の寺院や御本尊様を御安置する家に守護の力をもたらします。

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