内外相対を確実に理解したいという願いを込めて:「現代諸学と仏法」目次

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 http://imachannobennkyou.web.fc2.com/19.htmから引用させていただいております。

ブログ管理者の問題意識

皆さんは五重の相対を御存じだと思います。

1 内外相対(ないげそうたい)
2 大小相対 (だいしょうそうたい)
3 権実相対 (ごんじつそうたい)
4 本迹相対(ほんじゃくそうたい)
5 種脱相対(しゅだつそうたい)

説明は省かせていただきますが、およそお聞き及びのことかと思います。世の中には、種々の宗教・哲学・思想が存在していますが、そもそも、文化の低い時代を指導するための教と、文化の高い時代を指導するための教とでは、その高低・浅深におのずと異なりがあります。

そこで、まず、世に存在する数多の教えの高低・浅深を弁えなくては、その時代を指導するのに適した教を選ぶことはできません。

これを明確に判別することを「教を知る」といいます。教を知るための大聖人の体系的法門としては、五重相対、五重三段、三重秘伝、四重興廃等々が挙げられますが、これらは、いわば宗教批判の原理ともいうべき法門であります。

まだ知らないという方は、高知県 日蓮正宗法厳寺 仏法理解のためになどをご参考にしてください。

私にとって、

2 大小相対 (だいしょうそうたい)
3 権実相対 (ごんじつそうたい)
4 本迹相対(ほんじゃくそうたい)
5 種脱相対(しゅだつそうたい)

は教学の勉強をするにあたって、素直に学ぶことができたといいますか、わかりやすかったのですが、1 内外相対(ないげそうたい)については、よくわからないというのが正直な感想なんです。内外相対の説明としては、

①内外相対(ないげそうたい)

仏教では、自らを内道(ないどう・因果の内にある教え、の意)と称するのに対し、キリスト教イスラム教・儒教神道唯物論等、仏教以外のすべての教を外道(げどう・因果に外れた教え、の意)といいます。

この内道と外道とを比較相対するのが内外相対ですが、その勝劣の基準は、因果の有無にあります。 およそ、あらゆる物事に因果を認めることは道理であり、これに反して、因果を無視・否定するものは邪見・偏見と断ぜざるをえません。

仏教以外の教えは、いずれも因果を無視したり、あるいは部分的な浅い因果しか説いていない教えであります。例せば、キリスト教などでは巧みに天地創造説や造物神思想を立てますが、それも因果を断絶する邪見に過ぎません。

ゆえに、「開目抄」には、 「過去をしらざること、凡夫の背を見ず。未来をかがみざること、盲人の前を見ざるがごとし」(全集 186頁)と批判されています。

これに対し仏教は、過去・現在・未来の三世にわたり、宇宙間の一切の事象が因果によって存することを示し、徹底した正しい因果の理の上から人生の指針を示す教えであります。

ゆえに、内外相対して、内道たる仏教が優れるのであります。 

のような感じの説明を何度も読んできたのですが、解ったような解らないような 。

でも、現代は内外相対の論こそが重要な時代であると確信しています。

50年近く生きてきましたが、私の生活環境は科学と技術が進歩する世界でした。

電話もカラーテレビも生まれた時からありました。飛行機・新幹線・電子レンジ・洗濯機もありました。人生の途中から、コピー機・ファックス・携帯電話・パソコン・インターネット・スマホ・ドローン・クローン・LED…と、劇的に発展した製品群が登場しました。全て科学工学技術の賜物です。経済・医学・衛生環境の発展で寿命も伸びました。

近現代の科学も内外相対でいえば、外道となります。社会科学思想である自由主義・平等思想・社会主義・民主主義・人権思想もキリスト教の焼き直しと言われております。

いわばこれだけ西洋思想・西洋科学の恩恵を被りながら、五重の相対の入り口で簡単に片づけてしまってよいのだろうか?と思うようになりました。

日本の広宣流布が進まない最も大きな要因は、国民の無信仰・宗教無関心にあると言われて久しいのですが、オウム真理教事件などによる、宗教への偏見だけがその真因ではないように思うのです。

科学で証明できないものは"迷信"であると直観してしまうのは、五感に訴えないものを信じることができないという、凡夫の愚かさだと決めつけたとしても、折伏相手の信仰の寸心を改めさせることになんら寄与しません。

日蓮正宗の信徒の方で、この問題にいち早く気づき思索を行った方がおりました。

石田次男さんです。

創価学会戸田会長の後継者と言われていた人でしたが、組織内政治に長けた池田大作によって、巧妙に排斥されてしまった知る人ぞ知る人物でした。

世界的なベストセラーになったサピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福の著者、ユヴァル・ノア・ハラリさんは、ユダヤ人の歴史学者ですが、現生人類発展のカギは虚構を信じることができるようになったことであると喝破しております。

虚構を信じるとは、宗教を信じるということです。

宗教はもちろん、国家も会社も貨幣も、人間の営みの枢要を担っているのは、共同で信じる虚構なのです。詳しくはサピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福をお読みください。

虚構とはウソのことではありません。

私は「空(くう)」の概念に近いものだと思っています。

有無の両極端ではない存在。

因果の因と果の間に介在する「縁(えん)」。

仏教の根本思想を学び、折伏する当人がはっきりとした確信を持つことなくして、説得力のある話は難しいのではないでしょうか?

私も皆様と一緒に学んでいきたいと思い、石田さんの思索をご紹介しようと思った次第であります。ご本人様も昭和の時代でしたが、多くの人に伝えてほしいとの意志があったようです。インターネットの時代こそ拡散の時代であります。

どうか多くの方の問題意識として認知されますように。

ポリ銀

 

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Ⅰ 仏法と論理学 1世法と仏法と空仮中の三諦 (1)仮名(名辞)と存在との自動対応はナンセンス - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

(2)概念虚妄・分別虚妄・文字は三世諸仏の気命 - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

(3)命題界の遣いで論理は分かれる - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

(4)世俗は<究極の真>ではない - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

(5)真ではないが使わなければならない - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

(6)三諦の基本的な意味 - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

(7)<待>と<対>との違い――絶待と待絶 - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

(8)円融三諦しか無い――破立・遮照・中道――現量・比重・思量 - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

(9)科学的形而上学的存在論の乞食スープ - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

(10)反省自覚の筋道――縦型縁起法 - 日蓮正宗法華講員 ダメおやじのつぶやき(;´Д`)

主語世界と述語世界と反省世界 (1)縁起仮有の主語世界を述語し反省する――その一 - 日蓮正宗 法華講 ダメおやじの ブログ

(2)縁起仮有の主語世界を述語し反省する――その二 - 日蓮正宗 法華講 ダメおやじの ブログ

(3)仮(主語)空(反省述語)一如の円融中道 - 日蓮正宗 法華講 ダメおやじの ブログ

(4)主語・述語と五蘊説 - 日蓮正宗 法華講 ダメおやじの ブログ

(5)主述分離への終局的な問い - 日蓮正宗 法華講 ダメおやじの ブログ

三諦論と判断論 (1)論理学は進歩する――思惟を反省する学問 - 創価学会 顕正会 につける薬

(2)繋辞、存在判断・叙述判断、概念 - 創価学会 顕正会 につける薬

(3)判断は理智作用ではない――判断は意志の行為 - 創価学会 顕正会 につける薬

(4)空仮中は判断である――概念や・事物の性質・ではない - 創価学会 顕正会 につける薬

(5)三諦の空仮中は反省判断の繋辞 - 創価学会 顕正会 につける薬

(6)無上智慧による脈絡世界での状況叙述 - 創価学会 顕正会 につける薬

(7)中の実体化と無分別体 - 創価学会 顕正会 につける薬

(8)性は体に内属しない――体その儘が性 - 創価学会 顕正会 につける薬

(9)三諦の概念化と真徳への転換 - 創価学会 顕正会 につける薬

(10)空仮中と有無二道――本覚真徳の実際 - 創価学会 顕正会 につける薬

4 哲学の手本を示す判断論 (1)唯識の沿革と基本 - 創価学会 顕正会 につける薬

(2)著有と五性各別という悪義 - 創価学会 顕正会 につける薬

(3)八識から出る判断する意志と寂静の九識 - 創価学会 顕正会 につける薬

(4)無量世に於ける眼根の因縁は――妄念を生む五蘊の心作用 - 創価学会 顕正会 につける薬

(5)見る識も見られる色も仮和合 - 創価学会 顕正会 につける薬

(6)心はただこれ名のみなリ――無所有不可得 - 創価学会 顕正会 につける薬

(7)判断における虚妄と真実 - 創価学会 顕正会 につける薬

(8)判断の経験的下部構造 - 創価学会 顕正会 につける薬

(9)判断の限界と循環問題 - 創価学会 顕正会 につける薬