動執生疑を起こさせる折伏を

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 『法華取要抄』に、
 「然りと雖も略開近顕遠・動執生疑の文に云はく「然(しか)も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於て、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん」等云云。文の心は寿量品を説かずんば末代の凡夫皆悪道に堕せん等なり」(御書753)
と仰せであります。「動執生疑」は法華経の従地涌出品第十五にある、低い教えに満足し、更に上の教えを信じ難い声聞縁覚等の執着心を打ち破るものです。動執生疑とは、拘(こだわ)っている間違った教えや邪な仏教に執着している心に疑いを生じさせ、正しい仏教に目覚めさせることです。
 私達の正法を教える布教・折伏では、動執生疑を起こさせることが大事です。全く宗教や仏教に理解のない人に、あまり必要ありませんが、爾前権教という低級な教えに固執している人には、動執生疑を起こさせる必要があります。折伏では、動執生疑を誘発させるまで非常に悪戦苦闘します。
 動執生疑を起こさせる「時」というのがあります。必要なことは折伏する相手を分析する観察眼と私達の振る舞いです。そして動執生疑が起きやすい時を見逃さず、正法の鉄槌を加えることです。観察眼を勤行唱題で磨き、動執生疑の起こりやすい時を狙って折伏することです。
 動執生疑が起こりやすい生まれやすい時とは、相手が必ず人生において経験する「四苦八苦」を見逃さないことです。家庭訪問では、人間関係を徐々に深めつつ、動執生疑を起こしやすい時を見計らって、一気に世間的な話題から信心の話に持っていきます。例外もありますが、人間関係が深くなっていれば聞く耳を持ちます。人間関係という土台があやふやであれば敬遠されます。親友と呼ばれるような関係まで、作り上げていることが理想的です。家庭訪問は、人間関係を深めることが大切です。さり気なく相手が不快に感じない時を、見定めて訪問することがまた折伏成就の近道です。五義という時を知り機を知ることです。
 その反面、時と場合により謗法厳戒(ほうぼうげんかい)・破邪顕正(はじゃけんしょう)の精神をもって強折する必要もあります。その時の状況に応じて、御本尊様を信じ御題目を唱えていけば、その時が見えることを信じます。
 『佐渡御書』に、
 「仏法は摂受(しょうじゅ)・折伏時によるべし」(御書578)
と御指南でありますように、摂受と折伏を心得ていくことが大事です。末法折伏が主でありますが、『開目抄』に、
 「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし」(御書575)
と御指南のように、人の性格や育つ環境によって、摂受と折伏を使い分けていくことが望ましいと仰せです。時を無視し、摂受と折伏を間違えますと、動執生疑は起こらず折伏は成功しません。
 この動執生疑を起こさせるコツを折伏で磨けば、生活の場や仕事場での相手を納得させる交渉術に活用し応用できます。まさしくそこに信心即生活の法則があり、それを身に付ける大切な道場が、日蓮正宗寺院の御本尊様在す本堂です。

 

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