異体同心の信心

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幕末の志士が異体同心だったかどうかは、分かりませんが

 「異体同心」とは異体異心の反対語で、異体同心の意味は身体は異なっていても、心を同じにしていくことです。この異体同心、信心には当然必要であり、生活にも不可欠な心がけです。家族や仕事場における人間関係には大事になることが「異体同心」です。
 日蓮正宗の信心における「異体同心」を育成する修行が勤行唱題です。また総本山の登山等です。日蓮大聖人は『生死一大事血脈抄』に、
 「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり」(御書514)
と御指南のように、御開扉や丑寅勤行等で御法主上人猊下と異体同心して唱える御題目には血脈が流れ通っております。
 末寺では、六根のうち耳根を敏感にさせ養うことに通じ、御経を唱える導師のリズムと速さに合わせることで六根清浄の仏因を積みます。更に僧俗和合という異体同心を養い、自己中心的な異体異心の命を罪障消滅させます。勤行唱題は、人間関係の円滑性を磨く大事な修行です。唱題行は異体同心を心がけることが大切です。
 それぞれの家庭においては、導師のリズムと速さの他に、息継ぎのタイミングを御経が途切れないように、心がけることで些細な気配りが養われます。この勤行唱題で養った気配りを生活の場に延長させ、あらゆるところに応用することで更に異体同心の心を全体に広げることが出来ます。異体同心の気持ちは教化育成と折伏によって広げられ、自然と異体同心の和が広がっていきます。それが日蓮大聖人が仰せになる「立正安国」につながります。
 世の中を見ますと特に、政治を考えた場合、異体同心ではなく異体異心の姿が明白です。異体同心の気持ちが崩れると人間関係が悪くなります。政治に関わらず、この異体異心に迷い悩んでいる人は多いことでしょう。人それぞれに拘(こだわ)りや執着心がありますので、異体同心は難しいところがあります。互いに譲り合う気持ちが欠如し妥協しないところに原因があります。また他人には劣りたくなく勝りたいという、人間の本能的なものが邪魔することがあります。これがまた己心の魔や師子身中の虫に変わります。勤行唱題では、この点も自己を見つめていくことが大切でしょう。
 異体同心は、相手のことを思いやる気持ちがまず大切です。自己中心的な考えでは、異体同心は不可能です。日蓮大聖人は『異体同心事』に、
 「異体同心なれば万事を成(じょう)じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なし」(御書1389)
と御指南であります。更に同抄に、
 「同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書1389)
とも仰せであります。
 日蓮正宗の僧俗と法華講中においては、「異体同心」が重要です。異体同心を忘れたところには、日蓮正宗の信心はありません。異体同心を養い教化育成される場所が、日蓮正宗の寺院です。本堂に在す御本尊様に御住職様と共に、勤行唱題するところに「麻畝の性」となって、悪い性格が直され異体同心が養われていきます。寺院での唱題行には積極的に参加しましょう。

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