九思一言を心がけましょう

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 日蓮大聖人は『崇峻天皇御書』に、
 「孔子と申せし賢人は九思一言とて、こヽのたび(九度)おもひて一度(ひとたび)申す」(御書1174)
と外道である儒教孔子でさえも、九回も思い止まって慎重に言葉を選んで話しなさいと言っているのであるから、尚更、仏法を信ずるものは言葉を選んで話していきなさいという御指南です。
 人間は、「一言」で人生を棒に振ることもあり、何気なく発した言葉には相手の受け止め方により千差万別です。相手を十分に知って慎重に話していくところに「我此土安穏」があります。日々の勤行唱題は、「九思一言」を心がける信心が大切です。『十字御書』に、
 「わざわいは口より出でて身をやぶる」(御書1551)
と御指南であります。災(わざわ)いは、口から出て私達の身を破っていくと仰せです。「口は禍(わざわい)の門 舌は禍の根」という諺もありますように、六根の舌根によって身を滅ぼすことがあります。
 信心は、「六根清浄」を得る功徳があります。口からわざわいが出そうな時は、御本尊様の御前で唱題することを心がけましょう。そこにまた煩悩即菩提の意義があり、掛け替えのない成仏の因を積むことが出来ます。同じ口から出す言葉でも、話す言葉の内容によって人生を大きく左右するものです。勤行唱題根本に、言葉を選んで生活していくことが「九思一言」です。
 私達の迷いの根源である貪瞋癡の三毒が強盛になりますと、九思一言を忘れる傾向があります。三毒の貪瞋癡を感じたときに、一歩踏み止まり御題目を心で三唱して冷静になり言葉を選んで振る舞うか、三毒の感情にまかせて思ったことを率直に言葉に出すかで未来が変わります。出来れば良い方向に変えたいと思うのが常でしょう。しかし、言わなければ気が済まないと言う人も居られるでしょう。言葉の内容にもよりますが、日蓮大聖人の教えにそった姿で話すことが大事です。我見や我慢偏執からくる言葉には後味が悪いものです。
 「九思一言」は、貪瞋癡の三毒を正しい方向へ扱う時に大切なことです。貪る気持ちや瞋る命、愚癡を変毒為薬させる作用が「九思一言」にはあります。三毒が、私達の表情に出るときは、意識せず無意識のうちがほとんどです。ここに十分注意し、九思一言を実行することが大事です。九思一言は外道で説く教えですが、日蓮大聖人は『法門申さるべき様の事』に、
 「外道の法と申すは本(もと)内道より出でて候」(御書431)
と御指南のように、外道の教えは内道である仏教から出ているということです。長い歴史の中で、様々な形で仏教は伝わってきております。更に低い教えも法華経という最高の経典に会入されることで、本来の意味が活かされます。難しくなりますが、相待妙と絶待妙という法門によって低い教えも本当の意味を持ちます。
 私達は毎日の生活において、御本尊様を信じるところ勤行唱題を根本に「九思一言」を心がけていくことが大切です。その心がけが人間関係を円滑にし、成仏の境界、常寂光土へと着実に向かいます。

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