恥ずかしながら
笑っちゃいけないけど、笑わずにいられないのが、国立戒壇放棄。
そんなことは、おいら27年も前から知っているよ。
懐かしいねえ。
この本を読んだ時の衝撃は忘れられないよ。
これも読みました。
日蓮正宗創価学会員時代、親父が怖かったので毎日五座三座の勤行をしていましたが、全く功徳を感じませんでした。いじめにあい続けた人生でした。
1986年(昭和61年)に夏期講習会ということで、人生初の御登山・御開扉・丑寅勤行を体験しました(中学二年生の時)が、その秋に母は多発性骨髄腫を発症しました。
翌年、8月17日に臨終し、成仏の相を現じましたが、当時中学三年生の私は、人生の転換点を味わいました。
今、振り返ってみれば、私の願兼於業の始まりだったのかもしれません。
奇跡のような経緯で大学に合格して後は、一年間創価の学生部に在籍しましたが、大学二年生になる時に顕正会に入会しました。
しかし、顕益に酔い痴れ、不幸な人生を歩み現在に至っております。顕正会の顕益はすさまじく、希望した就職はことごとく成就しました。しかし、就職先では必ず行き詰まり天職を繰り返すことになりました。
法華講員となって、安穏の境涯を得た今、自分の人生を振り返ってみるとき、仏法とは戒壇の御本尊さんから離れては、何の功徳も成就しないということです。
戒壇の御本尊様が法体で、法体を相承されているのが御法主上人猊下さまです。
信心の血脈から離れての議論は、凡夫の与太話に過ぎないのです。
創価学会員・顕正会員・正信会員・・・、理屈は色々あるでしょうが、日蓮正宗以外で成仏など不可能です。
私は両親の死相を見て確信しております。
どうか、屁理屈に心酔してる心を捨て、日蓮正宗に帰依してください。
正しい御本尊様をおうちにお迎えするだけでも、相当な変化が生じます。
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