ダメおやじが語る:仏法を信仰する者の職業観について

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西島さんみたいにスーツ姿が似合うと、それだけでプロフェッショナルな匂いが…

まことの・みちは世間の事法にて候、金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」ととかれ涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を・妙楽大師は法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」との経文に引き合せて心をあらわされて候には・彼れ彼れの二経は深心の経経なれども彼の経経は・いまだ心あさくして法華経に及ばざれば・世間の法を仏法に依せてしらせて候、法華経はしからず・やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。(白米一俵御書)

 大聖人様の職業観とはどのようなものだったのでしょうか?

御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり(檀越某御返事)

「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」の御金言は、在家の職業を応援してくださっているお言葉にも聞こえます。

実相って何でしょうね。

実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり、天台云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」と云云、此の釈の意は実相の名言は迹門に主づけ本有の妙法蓮華経と云うは本門の上の法門なり、此の釈能く能く心中に案じさせ給へ候へ。(諸法実相抄)

諸法実相抄には、

実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり

と御述べになった後、再度、

万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり

と、述べられております。

世の中の全てが法華経(大御本尊様)であるという意味でしょうか?

私たちの職業も法華経の一分なのでしょうか?

確か、一切衆生の恩という言葉がありましたね。

 三世の諸仏の世に出でさせ給いても皆皆四恩を報ぜよと説き・三皇・五帝・孔子老子顔回等の古の賢人は四徳を修せよとなり、四徳とは・一には父母に孝あるべし・二には主に忠あるべし・三には友に合うて礼あるべし・四には劣れるに逢うて慈悲あれとなり。

 一に父母に孝あれとは・たとひ親はものに覚えずとも・悪ざまなる事を云うとも・聊かも腹も立てず誤る顔を見せず・親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり、二に主に合うて忠あるべしとは・いささかも主にうしろめたなき心あるべからず、たとひ我が身は失しなはるとも主にはかまへてよかれと思うべし、かくれての信あれば・あらはれての徳あるなりと云云、三には友にあふて礼あれとは友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず、四に劣れる者に慈悲あれとは我より劣りたらん人をば・我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし、此れを四徳と云うなり、是くの如く振舞うを賢人とも聖人とも云うべし、此の四の事あれば余の事にはよからねどもよき者なり、是くの如く四の徳を振舞ふ人は外典三千巻をよまねども読みたる人となれり。

 仏教の四恩とは一には父母の恩を報ぜよ・二には国主の恩を報ぜよ・三には一切衆生の恩を報ぜよ・四には三宝の恩を報ぜよ、一に父母の恩を報ぜよとは父母の赤白二渧・和合して我が身となる、母の胎内に宿る事・二百七十日・九月の間・三十七度死るほどの苦みあり、生落す時たへがたしと思ひ念ずる息・頂より出づる煙り梵天に至る、さて生落されて乳をのむ事一百八十余石・三年が間は父母の膝に遊び人となりて仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし、父の恩の高き事・須弥山猶ひきし・母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし、二に国主の恩を報ぜよとは・生れて已来・衣食のたぐひより初めて・皆是れ国主の恩を得てある者なれば現世安穏・後生善処と祈り奉るべし、三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば昔は一切の男は父なり・女は母なり・然る間・生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり、四に三宝の恩を報ぜよとは・最初成道の華厳経を尋ぬれば経も大乗・仏も報身如来にて坐ます間・二乗等は昼の梟・夜の鷹の如くして・かれを聞くといへども・耳しゐ・目しゐの如し、然る間・四恩を報ずべきかと思ふに女人をきらはれたる間・母の恩報じがたし、次に仏・阿含小乗経を説き給いし事・十二年・是こそ小乗なれば我等が機にしたがふべきかと思へば・男は五戒・女は十戒・法師は二百五十戒・尼は五百戒を持ちて三千の威儀を具すべしと説きたれば・末代の我等かなふべしとも・おぼえねば母の恩報じがたし、況や此の経にもきらはれたり、方等・般若・四十余年の経経に皆女人をきらはれたり、但天女成仏経・観経等にすこし女人の得道の経文有りといへども・但名のみ有つて実なきなり、其の上未顕真実の経なれば如何が有りけん、四十余年の経経に皆女人を嫌われたり、又最後に説き給いたる涅槃経にも女人を嫌はれたり、何れか四恩を報ずる経有りと尋ぬれば法華経こそ女人成仏する経なれば、八歳の竜女・成仏し・仏の姨母憍曇弥・耶輸陀羅比丘尼記莂にあづかりぬ、されば我等が母は但女人の体にてこそ候へ・畜生にもあらず蛇身にもあらず・八歳の竜女だにも仏になる、如何ぞ此の経の力にて我が母の仏にならざるべき、されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり。
 然る間・釈迦・多宝等の十方・無量の仏・上行地涌等の菩薩も・普賢・文殊等の迹化の大士も・舎利弗等の諸大声聞も・大梵天王・日月等の明主諸天も・八部王も・十羅刹女等も・日本国中の大小の諸神も・総じて此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり、相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし、恐恐謹言。
 日 蓮 花押
 上 野 殿(上野殿御消息)

上野殿御消息を拝すると、人間として大切なことが全て説かれているように思います。

現在の民主主義国家に住む者としては、

二に国主の恩を報ぜよとは・生れて已来・衣食のたぐひより初めて・皆是れ国主の恩を得てある者なれば現世安穏・後生善処と祈り奉るべし、三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば昔は一切の男は父なり・女は母なり・然る間・生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり

国主の恩と一切衆生の恩をあわせて、職業観の基礎とすべきでしょうね。つまり、人や社会の為に働いているのだという自覚をもって、日々の仕事に精励すべきであるということです。

創価学会の教える、修羅界丸出しの「社会に実証を示す」という、出世主義、名誉欲、金銭欲丸出しの職業観も不可。

顕正会で教える、仏法のためなら仕事は二の次、社会のモラルなんて気にしないというのも不可。

現時点でダメおやじの私が持っている職業観は、下記の通りです。

  1. 謗法行為に縁遠い職業
  2. 仏法の修行のできる環境
  3. 嘘をついたり人を騙さずに成立する職業
  4. 自己の職業に達成感・満足感を得ることのできる職業

上の4箇条を念頭に置いて職業選択すれば、職業を通して罪業を積んだり、地獄界の苦しみを味わうことが少ないのでなかろうかと思うのです。

1・2は特に注意したいですね。

上記のような職業はできる限り避ける方がよいかと。

あまり言うと仏法が職合差別しているとか、誤解されても困りますのでこの辺で。

日蓮正宗は信徒の職業について一切干渉しておりませんので、誤解なきようお願いいたします。

私の考えは、70億人いる人類の中でほんの80万人未満しかいない、日蓮正宗信徒であるならば、一切衆生の恩を報ずるにしても、境界を向上させてより良き職業に精励すべきと考えているだけです。

そして、職業遂行の中に縁覚の境地を味わえるならば、幸福な職業人として人生を全うできるのではないだろうかとも、感じ考えているのです。

我々仏法を信仰する者においては、人としての振舞こそが出世の本懐であるということを今一度よく考えてみるべきではないでしょうか?

一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。(崇峻天皇御書)

 

 

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