ダメおやじの「御書拝読」(崇峻天皇御書)

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御書を読むと教養も身につくし、信心も深まるよ

崇峻天皇御書(新編1173・全集1173)

第一秘蔵の物語あり書きてまいらせん、日本始りて国王二人・人に殺され給う、其の一人は崇峻天皇なり、此の王は欽明天皇の御太子・聖徳太子の伯父なり、人王第三十三代の皇にて・をはせしが聖徳太子を召して勅宣下さる、汝は聖智の者と聞く朕を相してまいらせよと云云、太子三度まで辞退申させ給いしかども頻の勅宣なれば止みがたくして敬いて相しまいらせ給う、君は人に殺され給うべき相ましますと、王の御気色かはらせ給いて・なにと云う証拠を以て此の事を信ずべき、太子申させ給はく御眼に赤き筋とをりて候人にあだまるる相なり、皇帝勅宣を重ねて下し・いかにしてか此の難を脱れん、太子の云く免脱がたし但し五常と申すつはものあり此れを身に離し給わずば害を脱れ給はん、此のつはものをば内典には忍波羅蜜と申して六波羅蜜の其の一なりと云云、且くは此れを持ち給いてをはせしが・ややもすれば腹あしき王にて是を破らせ給いき、或時人・猪の子をまいらせたりしかば・こうがいをぬきて猪の子の眼をづぶづぶと・ささせ給いていつか・にくしと思うやつをかくせんと仰せありしかば、太子其の座にをはせしが、あらあさましや・あさましや・君は一定人にあだまれ給いなん、此の御言は身を害する剣なりとて太子多くの財を取り寄せて御前に此の言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、有人蘇我の大臣・馬子と申せし人に語りしかば馬子我が事なりとて東漢直駒・直磐井と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ、されば王位の身なれども思う事をば・たやすく申さぬぞ、孔子と申せし賢人は九思一言とてここのたびおもひて一度申す、周公旦と申せし人は沐する時は三度握り食する時は三度はき給いき、たしかに・きこしめせ我ばし恨みさせ給うな仏法と申すは是にて候ぞ。
 一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。
 建治三年丁丑九月十一日 日 蓮花押
 四条左衛門尉殿御返事

御眼に赤き筋とをりて・・・

私にとって思い入れの深い御書がいくつかあります。

その中の筆頭がこの崇峻天皇御書です。

初めて読んだのは中学生のころ。

大聖人様が、四条金吾殿の性格を心配して贈られたお手紙です。

崇峻天皇の欠点が自分の欠点のように思えて、この御書を自分に与えられた御書だと拝しております。

なかなか性格的欠点は直りませんが、創価・顕正のころよりはマシになってきたかなと。

「御眼に赤き筋とをりて候人にあだまるる相なり」と御書にありますが、昔から自分の眼を鏡で見ては気になっておりました。

あるんです。というか、あったんです。長いこと。

最近、ふと気が付きましたが、消えておりました。

10年くらい前、糖尿病の気があり、眼科の診察を受けたときに、病院の先生からも指摘されました。

「目の血管がすごく太いわね。でも、これはお母さんのお腹にいたときにできたもので、心配はないのよ・・・」

心配だよ。。。(笑)。

宿業が相に顕れてるってことじゃねえか。。。

このころは顕正会をやめる直前でした。

 

五常と申すつはもの

五常とは、

五常 - Wikipedia

五常(ごじょう)または五徳(ごとく)は、儒教で説く5つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。三綱(君臣・父子・夫婦間の道徳)とあわせ、「三綱五常」と表現することも多い。

まあ、 道徳のことでしょうか。

崇峻天皇五常の実践を心がけますが、意識しているときは我慢できても、持って生まれた性格というのはなかなか頑固で、失言により臣下に内心を勘繰られ殺されちゃいます。

現代でも論語好きの、凶悪な経営者とかいますものね。

ないものねだりなのか、欠点の裏返しなのか、道徳や修養のみに頼ることの無力さが露骨に分かります。

戦前回帰で教育勅語の精神を・・・なんて話を最近聞きますが、旧日本軍の新兵いじめや、上官のパワハラがすごかったことなど、みんな忘れてしまったのでしょうか?

私も長年「論語」や「易経」、「貞観政要」を愛読してきましたが、読んだだけでは君子としての立派な人格は全く手に入りませんでした。

 

王位の身なれども思う事をば・たやすく申さぬぞ、孔子と申せし賢人は九思一言とて

それでも大聖人様は、四条金吾殿に処世の心得を教訓されております。

夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり。(開目抄上)

開目抄の冒頭の有名な御金言です。

儒とは儒教儒学のことで、「論語」や「貞観政要」などの教訓。

外とは外道のことですが、現代では学校教育や職業教育で習う一般知識。

内とは内道(仏教)ですが、現代では日蓮正宗の信仰・修行・教学研鑽。

孔子が此の土に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり、礼楽等を教て内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため・王臣を教て尊卑をさだめ父母を教て孝の高きをしらしめ師匠を教て帰依をしらしむ、妙楽大師云く「仏教の流化実に玆に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」等云云、天台云く「金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云、止観に云く「我れ三聖を遣わして彼の真丹を化す」等云云、弘決に云く「清浄法行経に云く月光菩薩彼に顔回と称し光浄菩薩彼に仲尼と称し迦葉菩薩彼に老子と称す天竺より此の震旦を指して彼と為す」等云云。(開目抄上)

大聖人様が外道と区別して、儒教を重要視されたのは使命ある菩薩が、中国において賢王・賢人として人の道を説いたことを、御認めになっているからだとわかります。

孔子老子の説いた教え、後の太宗皇帝の徳治などを無視し、人の道を正すことなく仏道修行のみが完成するというのは間違った考えですね。

創価学会員や顕正会員だったころの自分を振り返れば、言動は荒く言行不一致の全く信用ならない人間でした。

自己の保身に反するだけでなく、仏法の品格にまで傷をつけてしまっておりました。

「礼楽等を教て内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため」との御金言ですが、戒定慧とは三大秘法「本門の戒壇(戒)・本門の本尊(定)・本門の題目(慧)」のことです。

戦後、礼楽等が消滅して西洋外道思想のみが残り、全く信仰心の薄い国民性となったことを思えば、大聖人様の御金言の意義深さが骨身にしみますね。

 

教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。

最後に仏の出世の本懐が人の振舞であることを御教訓され、お手紙を締めくくられております。

仏の出世の本懐とは、人の振舞として成就されるという御指南ですが、大聖人様に即して拝せば「法華経の身読」です。我々、末法の在家信者の立場でいえば、信心を通して人間性を向上させていくということでしょう。

信心修行を通じて、心に「論語」や「貞観政要」などの世間の善論を留めていくならば、祈りも正しい祈りに変わっていき、人格も変化していくのです。

創価学会顕正会のような三毒の祈りは、かえって悪趣に縁をしてしまう因となるのです。

日蓮正宗創価学会時代にも、学会は間違った指導をしておりました。幸福製造機などという言葉が表しているように、自分の目線の低い願望を成就するためだけに、何時間も唱題をしていたのです。

人を呪うような祈りをしたこともありました。

おそろしいことです。

 

「中務三郎左衛門尉(四条金吾)は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ(崇峻天皇御書)」

主の御ためにも(学校・職場など)仏法の御ためにも(日蓮正宗の修行・信心組織)世間の心ねも(地域社会での評判)と、三拍子そろっての日蓮正宗法華講員になれるよう、心掛けていかねばなりませんね。

草創期の創価学会員は、無学な人も多かったと聞きます。

それが御書の研鑽を通じ、教養・仕事・信心・信用を身につけていったのです。

どうか、日蓮正宗の御書を手に入れて勉強してみてください。

学会版の全集しかない人は、それでも結構だと思います。

単なる知識とか、重箱の隅をつつくような揚げ足とりの勉強ではなく、末法事の一念三千というくらいですから、「事」(事実・実際・現実・事相)に即した勉強をして参りましょう。

 

平成新編日蓮大聖人御書

平成新編日蓮大聖人御書