ダメおやじの疑問:宿縁によって大聖人様の仏法に巡りあうことができたとは、どういうことなんでしょうか?

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妙通寺様HPより引用

www.myotsuuji.info

本未有善(ほんみうぜん)と本已有善(ほんいうぜん)という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

本未有善(ほんみうぜん)が、仏の下種を受けたことがない人々。末法衆生と呼ばれる、現代の私たちのこと。

本已有善(ほんいうぜん)が、過去世において下種を受けたけど退転して、釈迦仏に救済された人々。

私はこんな風に理解しておりました。

本当でしょうか?

たまに、宿縁薫発して大聖人様に心服随従しました。。。というフレーズを耳にするのですが。

例えば御書にも、

日蓮去る五月十二日流罪の時その津につきて候しに・いまだ名をもききをよびまいらせず候ところに・船よりあがりくるしみ候いきところに・ねんごろにあたらせ給い候し事は・いかなる宿習なるらん、過去に法華経の行者にて・わたらせ給へるが今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか、たとひ男は・さもあるべきに女房の身として食をあたへ洗足てうづ其の外さも事ねんごろなる事・日蓮はしらず不思議とも申すばかりなし、ことに三十日あまりありて内心に法華経を信じ日蓮を供養し給う事いかなる事のよしなるや、かかる地頭・万民・日蓮をにくみねたむ事・鎌倉よりもすぎたり、みるものは目をひき・きく人はあだむ、ことに五月のころなれば米もとぼしかるらんに日蓮を内内にて・はぐくみ給いしことは日蓮が父母の伊豆の伊東かわなと云うところに生れかわり給うか法華経第四に云く「及清信士女供養於法師」と云云、法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべしと云う経文なり、弥三郎殿夫婦の士女と生れて日蓮法師を供養する事疑なし。(船守弥三郎許御書)

船守弥三郎夫妻が、伊豆に流され水没してしまうような磯(まな板岩)に放置された、流人である日蓮大聖人様を、船を漕ぎ寄せて助けただけでなく、食糧である米が不足する季節に、お食事を御給仕して差し上げた不思議を述べられております。

日蓮は日本第一の法華経の行者なりすでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり、八十万億那由佗の菩薩は口には宣たれども修行したる人一人もなし、かかる不思議の日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり、父母となり其の子となるも必ず宿習なり、若し日蓮法華経・釈迦如来の御使ならば父母あに其の故なからんや、例せば妙荘厳王・浄徳夫人・浄蔵・浄眼の如し、釈迦多宝の二仏・日蓮が父母と変じ給うか、然らずんば八十万億の菩薩の生れかわり給うか、又上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か不思議に覚え候、一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこそ天台大師・五重玄義の初めに名玄義と釈し給へり。(寂日房御書)

寂日房師宛てたお手紙には、大聖人様の御両親との宿縁の不思議について御述べになっております。御本仏様をこの世に生み出された御二方ですから、当然と言えば当然ですが。

阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし、浄行菩薩うまれかわり給いてや・日蓮を御とぶらい給うか不思議なり不思議なり、此の御志をば日蓮はしらず上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ、別の故はあるべからず・あるべからず、宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ、委くは又又申すべく候、恐恐謹言。(阿仏房御書)

而るに日蓮佐渡の国へ流されたりしかば彼の国の守護等は国主の御計らいに随いて日蓮をあだむ・万民は其の命に随う、念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりも・いかにもして此れへ・わたらぬやう計ると申しつかわし・極楽寺の良観房等は武蔵の前司殿の私の御教書を申して弟子に持たせて日蓮を・あだみなんど・せしかば・いかにも命たすかるべきやうは・なかりしに・天の御計らいは・さてをきぬ、地頭・地頭・念仏者・念仏者等・日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよう人もあるを・まどわさんと・せめしに・阿仏房にひつを・しおわせ夜中に度度・御わたりありし事いつの世にか・わすらむ、只悲母の佐渡の国に生れかわりて有るか。(千日尼御前御返事)

阿仏房・千日尼の夫妻が佐渡流罪中の大聖人様をお助けしたこと、身延に入山されてからは佐渡から何度も訪ねてきたことを宿縁による不思議との仰せ。

御本仏様に宿縁があるというのは、この末法の時代にどのように理解すればいいのかわからなくなりそうです。本未有善の荒凡夫ばかりであるはずなのに・・・。

でも、よくよく考えてみれば釈迦の法華経に「地涌の菩薩」が登場しておりますね。

御本仏様の垂迹である上首唱導、上行菩薩を筆頭に、四菩薩に連なる六万恒沙の地涌の菩薩及び眷属が。。。

爾時仏告。諸菩薩摩訶薩。止善男子。不須汝等。護持此経。所以者何。我娑婆世界。自有六万。恒河沙等。菩薩摩訶薩。一一菩薩。各有六万。恒河沙眷属。是諸人等。能於我滅後。護持読誦。広説此経。

 爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、止みね、善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ。所以は何ん、我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属あり。是の諸人等能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く此の経を説かん。(妙法蓮華経地涌出品第十五)

ダメおやじな私が、創価や顕正の徒輩のように「我こそは地涌の菩薩なり~!」と、慢心の咆哮をすることはできません。

 (/ω\) ハジカシー

ですが、不思議な因縁を感じてはおります。

平成の大退転により800万創価学会員が、戒壇の御本尊様を捨て日蓮正宗に反逆してしまいました。そんななか、さらに悪辣な誹謗を繰り返す顕正会にまで縁してしまった私。

それでも、今、日蓮正宗信徒として活動できる不思議。

昭和30年代に創価ではなく法華講に入信していた、母方の祖母の信心のおかげでしょうか?創価婦人部として御会式の手伝いをしていた、母の功徳でしょうか?

何はともあれ、このようなダメ人間の私にも、宿縁が存在していたかもしれないと思う今日この頃です。

妙通寺様のHPに私の疑問に答えが掲載されておりましたので、下記に引用させていただきます。

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四節三益について

 

    久遠以来、どのようにして衆生が種熟脱の三益を受けてきたか?

 

 仏の化導と衆生の関係について、天台大師は大きく四種類に分けることができると『法華文句』のなかで説いています。それを「四説三益」といいます。今ここでは、天台解釈の範疇よりも一歩深く、法華経文底本門を本義とする日蓮大聖人の仏法の視点に立った「四節三益」ついてお話しします。

 インド応誕の釈尊は、法華経本門を説示し、自身の本地である久遠の成道を開顕しました。しかしこれは、日蓮大聖人の仏法からすると「本果第一番成道」といい、本仏が悪縁の衆生を救済するため方便を設け、垂迹身を顕現された第一番目の成仏の姿と、その仏が説く教えの実体を指します。ですから妙法蓮華経という本法を刹那に覚知し、凡夫即極の成道を遂げた根源の本仏の本地は、釈尊説示の本果をさかのぼる「久遠元初」という本因妙の悟りを指向される日蓮大聖人を置いて他に顕わすことはできないのです。
 久遠(釈尊の本地)をさかのぼる久遠元初の往昔、ひとりの聖者として出現された日蓮大聖人が宇宙法界の真理を覚知して即座開悟し、ただちに無量の慈悲をもって一切の衆生に南無妙法蓮華経の功徳種を下種されました。その化導を受けた衆生が、それ以後、どのように対応していったかによって、それぞれの姿に別れていく。これが「四節三益」ということです。

 

第一類
 まず第一類の衆生は、南無妙法蓮華経の教えを仏様より下種されました。そして、その功徳を聞いて一度は信じたものの、以後、悪縁に引き落とされ、あるいは己心の魔に負けて退転してしまったのです。これらの衆生は、南無妙法蓮華経の悪口は言いません(誹謗しない)が、不信謗法となってしまいました。ですからその後、数億年、数十億年という永遠の月日を経て、途方も無いほど遠回りをしながら何度も何度も釈尊のよ、うな垂迹(仮の・方便)仏に出会い徐々に、根本の仏種(南無妙法蓮華経の功徳)を調熟させていきました。そして、その最後の締めくくりとして三千年前に、インドに出現した釈尊による法華経の説法を聞き成仏することができた衆生であります。

 

第二類
 次の第二類の衆生は、久遠元初に仏から折伏されて南無妙法蓮華経の下種を受け、そのまま素直に信心して、当座に成仏していった方々であります。これらの尊貴の衆生はその後、常に本仏の化導を助けるため、いつでも、どこででも一心に南無妙法蓮華経の仏法を受持し続けていく衆生であります。代表的な衆生が、法華経に登場する久遠本仏の本弟子である「地涌の菩薩」です。

 

第三類
 次の第三類の衆生は、久遠元初に仏から下種を受けたものの、その時ですら信じることができませんでした。信じないどころか、ただちに本仏や本法を誹謗したのです。そして死後に、それらの人々は、永遠の時間を地獄・餓鬼・畜生・修羅等の四悪趣で苦しみ抜くことになります。
 永遠の時を経て謗法罪を少しづつ消滅させ、ようやく三千塵点劫という大昔に、大通智勝仏という仮の仏に出会い、その仏によって再び法華経を聞かされて深い信心の境界に入り成仏した人。あるいは、その三千塵点劫の法華経説法が縁となり、その時には信受することはできなかったけれども、仏になるための種を徐々に養うようになり、今から三千年前、インドの釈尊説示の法華経に出会って、ついに成仏した衆生です。これには、舎利弗とか目連とかの、釈尊の弟子がこの部類に入るとされます。

 

第四類
 そして第四類の人は、これはもう、どうしようもない。久遠元初でも仏の言葉を信じることなく、以後、仮の垂迹仏に出会っても信仰心すら持つこともなく、インドに釈尊が出現して、ようやく法華経に接し、仏法に多少の興味を持つようになった衆生です。しかしそれでも、釈尊の在世では成仏はできなかった。そういった人々は、釈尊滅後、末法に入るまでの二千年の間(正法時代・像法時代)に、方便の諸経を縁として仏種を調熟しながら、徐々に成仏していったとされます。またこれらの衆生の一部は、成仏が間に合わず、末法にまで流入するとされました。

 このように、仏により聞法下種を受けた後、成仏していく姿には、それぞれ異なった姿・形があるのです。しかし、様々な姿形の違いがあるとはいっても、最終的には、根源の南無妙法蓮華経を深く信ずることによって、誰もが成仏していくことには違いはないのです。

 

末法は「本未有善」の衆生 ~誰もが南無妙法蓮華経を信ずべき時

 末法に生を受けた我々は、「本未有善の衆生」と言われます。「本未有善」とは、いまだかつて南無妙法蓮華経の下種を受けたことがない、あるいは完全にその本種を失ってしまい成仏の根源である仏種が「無」となった状態を指します。ですから、我々本未有善の衆生は、釈尊のような垂迹仏や、阿弥陀如来のような架空の仏を拝んでも、種のない畑に肥料や水を撒くようなもので、成仏という果を得ることは絶対にできません。
 本未有善の末法衆生は、久遠元初・本因妙の本仏であられる日蓮大聖人の仏法を素直に信じ、成仏の根源種である南無妙法蓮華経の下種を最初から受けていく必要が、誰にでもあるのです。
 今、南無妙法蓮華経の大御本尊を目の当たりに拝することのできる我々は、これより先、けっして退転などせず、素直に日蓮大聖人の仏法を信じて、かつて地涌の菩薩方がそのまま信じて即座に成仏し、永遠の時の流れの中、常に大聖人とともに同じ道を歩み、時には大聖人の代理として、人々を救済する大慈悲を起こして折伏に挑戦していく。尊い功徳の人生、功徳の道を歩んでいくことこそ、自身の尊い仏縁と使命を全うする唯一の道と言えるのではないでしょうか。

新編妙法蓮華經并開結

新編妙法蓮華經并開結