創価学会員さんとの対話:創価学会員さんからの質問を分析する 4

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差別ってなんでしょうか?

対話の続き。相手は音信不通ですが。

今日は、④「僧と俗の間には本来的な差別が存在する」について、日蓮正宗相伝も含めて回答したいと思います。

7項目全質問は以下の通り。

宗門はこのように主張しています。
①「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」
②「代々の法主を尊信の対象としての(我々が南無し奉る日蓮大聖人・日興上人と同等の)僧宝として定める」
③「弘安2年10月12日の御本尊を日蓮大聖人の出世の本懐・一大秘法と定める」
④「僧と俗の間には本来的な差別が存在する」
⑤「御本尊には法主の許可、開眼が必要、大石寺から下付したものでなければならない」
⑥「大石寺に登山しないと罪障消滅できない、成仏できない」
⑦「宗門の僧による葬儀を行い、戒名を与えないと故人は地獄に堕ちる」
日蓮大聖人はこのようなことをただの一つも仰せになっていません。日蓮大聖人は「謗法とは法に背くという事なり」顕謗法抄455 と仰せです。したがって、上に挙げた宗門の主張はことごとく謗法であると思います。
上に挙げた宗門の主張のどれか一つでも日蓮大聖人の御書のみを用いて正当性を証明できますか。
ご返信をお待ちしております。時間がかかっても構いません。

SNSで絡んだことのある創価や顕正は、時々、「僧侶が上で在家が下っていうのはおかしい」と、けっこうなテンションで批判してくる。

こういった言説の心理的な背景には、創価や顕正の僧侶蔑視の感情が潜在していることの証拠でもあるのだ。

僧侶のくせに・・・ってのがまずあって、

  •  妻帯しやがって 
  •  肉食しやがって
  •  蓄財しやがって
  •  偉そうな口ききやがって

〇〇しやがっての誹謗が起こるのだ。

 

そして、誰のおかげで〇〇できているんだと、恩着せがましい言葉が続く。

  • 折伏ができているんだ
  • 生活できているんだ

創価も顕正も組織ファシズムだから、自分らの組織の中では厳格な縦社会をつくっているのにもかかわらずだ。

  • 池田先生
  • 浅井先生

どの口でこんな言葉が言えるのだろうか?

在家で無為徒食の人間を、生き仏の如く崇め奉る神経は、顛倒の衆生と呼ぶのにふさわしい。

日有上人様の化儀抄を引用させていただこう。

一、貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮花経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか、信心の所は無作一仏、即身成仏なるが故に道俗何にも全く不同有るべからず、縦ひ人愚癡にして等閑有りとも我れは其の心中を不便に思ふべきか、之れに於いて在家出家の不同有るべし、等閑の義をなほ不便に思ふは出家・悪く思ふは在家なり、是れ則ち世間仏法の二つなり。

「貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり」と仰せのように、僧侶と信徒は勿論のこと、どんな人でも御本尊を拝する姿において平等である。しかし、同抄の次下の文に、

「然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」と仰せられているように、平等の中にも、おのずから僧俗の違いは厳然として存在し、そこにはお互いに、礼儀をわきまえる必要があるのだ。

大聖人は、『災難対治抄』(御書一九七㌻)に、

「礼儀を破るは仏の出だしたまへる五戒を破るなり。」

と仰せであり礼儀の大切さを示されている。

いま私達は広宣流布を目指し、御法主上人猊下の御指南の下、お互い励まし合い、助け合い、僧俗一致して、大折伏戦を展開している。

破門されて以降の創価学会は、宗門を攻撃し続けることでしか、自らを存続させられない。だから、正しい僧俗観を理解しようなどとは全く思っていないのである。

日亨上人は「化儀抄註解」に、「竹に上下の節の有るがごとく其ノ位をば乱せず」との御文を、僧俗平等の義・差別の義、常同常別・二而不二と釈されている。
 日蓮大聖人が説かれた「僧俗の立場」の御教示は、結論を先に述べるならば「二而不二」、すなわち「二にして二ならず」という関係である。立場・役割の現実的な相違は、否定し得ないものであるから「二而」である。また、御本尊に対し奉る信仰面で捉えるならば、「平等」であり「不二」である。
 仏法には、このような拝し方をすべき法門が多々存する。例えば、「色心不二」「因果不二」「依正不二」「仏凡不二」など、「二而不二」の義で示され、その立場から拝さなければ、到底真実義に至ることのできない教説は、多岐にわたって存するのである。

平等や対等を要求する者というのは、大抵が修羅の慢心の心に侵されているのだ。

謙虚な人間は、相手にへりくだるのであって、「お前と俺は対等だよな?」なんて脅し文句みたいなことは言わない。十四誹謗も憍慢から始まって、恨善に至ることを記しておこう。

①憍慢きょうまん(驕おごり高ぶって正法を侮あなどること)
②懈怠けたい(仏道修行を怠なまけること)
③計我けいが(自分勝手な考えで仏法を推おし量はかること)
④浅識せんしき(自らの浅はかな知識で、深く広い仏法を判断しようとすること)
⑤著欲じゃくよく(欲望に執着して正法を軽んじ、求めようとしないこと)
⑥不解ふげ(仏法を正しく解わかろうとしないこと)
⑦不信ふしん(正法を信じないこと)
⑧顰蹙ひんじゅく(正法を非難すること)
⑨疑惑ぎわく(仏法を疑い、迷うこと)
⑩誹謗ひぼう(仏法を謗そしり、罵ののしること)
⑪軽善きょうぜん(根本善である正法を受持する者を軽蔑けいべつし、莫迦ばかにすること)
⑫憎善ぞうぜん(正法を受持する者を憎むこと)
⑬嫉善しつぜん(正法を受持する者を怨嫉おんしつすること)
⑭恨善こんぜん(正法を受持する者を恨うらむこと)

「有る人此を分かって云はく「先に悪因を列(つら)ね、次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に靉慢(きょうまん)・二に懈怠(けだい)・三に計我(けいが)・四に浅識(せんしき)・五に著欲(じゃくよく)・六に不解(ふげ)・七に不信・八に顰蹙(ひんじゅく)・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善(きょうぜん)・十二に憎善(ぞうぜん)・十三に嫉善(しつぜん)・十四に恨善(こんぜん)なり」と。此の十四の誹謗は在家出家に亘(わた)るべし。恐るべし恐るべし。」(『松野殿御返事』御書1046)

 

 

日寛上人御書文段

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六巻抄

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