創価学会員さんとの対話:創価学会員さんからの質問を分析する 6

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大石寺登山、御開扉は有難いですが、脅しの材料にはいたしません。

対話の続き。

今日は、⑥「大石寺に登山しないと罪障消滅できない、成仏できない」について、日蓮正宗相伝も含めて回答したいと思います。

7項目全質問は以下の通り。

宗門はこのように主張しています。
①「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」
②「代々の法主を尊信の対象としての(我々が南無し奉る日蓮大聖人・日興上人と同等の)僧宝として定める」
③「弘安2年10月12日の御本尊を日蓮大聖人の出世の本懐・一大秘法と定める」
④「僧と俗の間には本来的な差別が存在する」
⑤「御本尊には法主の許可、開眼が必要、大石寺から下付したものでなければならない」
⑥「大石寺に登山しないと罪障消滅できない、成仏できない」
⑦「宗門の僧による葬儀を行い、戒名を与えないと故人は地獄に堕ちる」
日蓮大聖人はこのようなことをただの一つも仰せになっていません。日蓮大聖人は「謗法とは法に背くという事なり」顕謗法抄455 と仰せです。したがって、上に挙げた宗門の主張はことごとく謗法であると思います。
上に挙げた宗門の主張のどれか一つでも日蓮大聖人の御書のみを用いて正当性を証明できますか。
ご返信をお待ちしております。時間がかかっても構いません。

あのう、そう言ってきたのはむしろ創価学会さんなんですけどね。法を下げるような言動を繰り返し、組織的に日蓮正宗に迷惑をかけ続けてきた、黒歴史をお忘れになったのでしょうか?

日蓮正宗大石寺への登山、つまり、戒壇の大御本尊様への御開扉を賜ることの功徳を称揚しますが、その逆の否定の論理で罰論的な言説は吐きません。

重病や障害を乗り越えて、もしくは、乗り越えるために万難を排して登山参詣した、御信徒がいただいた大功徳のお話をお聞きしたことはあります。

また、余命宣告を受けた御信徒さんが、最期臨終の際に大御本尊様の御元へ帰ってこられるよう、今世の暇乞いと報恩感謝に訪れ、善き臨終を迎えられたお話も聞いたことがあります。

大石寺に登山しないと罪障消滅できない、成仏できない」という言葉には、畜生界的な脅しのニュアンスが、創価学会により、意図的に刷り込まれていますね。

素直な気持ちで、御開扉を受けた後の、なんとも言えない清々しい命の実感は、百聞は一見に如かずです。どうか、創価学会員さん、顕正会員さんは、日蓮正宗に入信して御開扉を賜ってください。良かったと、心から歓喜の気持ちになれます。 

nichirendaihonin.hatenablog.com

 

総本山登山の意義について
日蓮正宗総本山大石寺は、宗祖日蓮大聖人の出世の本懐、一切衆生の成仏の根源である本門戒壇の大御本尊のおわします一閻浮提第一の霊場である。私たちは、この総本山大石寺に参詣することを「登山」といいならわして、私たち自身の成仏、家族の幸せ、社会の福祉、世界平和、広宣流布大願成就を御祈念してきたのである。


1.総本山大石寺は信仰の根本霊場

いうまでもなく、日蓮大聖人の仏法の基本は、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の三大秘法にある。私たちの幸せも、世界平和も、全てこの三大秘法を受持信行するところに成就するのである。

 

三大秘法の根本は、本門の本尊、すなわち総本山の奉安堂に御安置されている弘安2年10月12日御顕示の、本門戒壇の大御本尊である。この大御本尊への内拝を御法主上人にお許しいただいて、大御本尊にお目通りできることは、真に三大秘法を受持することに当たるのであって、今生で人間と生まれた最高の幸せ、未来世にわたる大功徳の源となるのである。
また、この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が、

日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ」(『経王殿御返事』・全集1124)

と仰せのように、日蓮大聖人の御命であり、御一身である。したがって、私たちが、大石寺に登山して、御開扉を受けることは、日蓮大聖人にお目通り申し上げることである。日蓮大聖人は、『南条殿御返事』に、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり(中略)此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん」
(平成新編御書1569)

また、『御講聞書』に、
「本有の霊山とは此の裟婆世界なり、中にも日本国なり、法華経の本国土妙・裟婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり」
(平成新編御書1824)
等と仰せである。すなわち、多宝富士大日蓮華山大石寺は、現に日蓮大聖人のまします霊山浄土であり、私たちの生命のふるさとなのである。
「霊山に近づく鳥は金色となる」といわれるように、総本山大石寺に参詣して、御法主上人のお許しのもとに、本門戒壇の大御本尊の御開扉をいただき、心から罪障消滅・信心倍増・一切無障礙の御祈念をするならば、総本山第26世日寛上人が、
「此の本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の妙用有り。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕れざるなきなり」(『観心本尊抄文段』・文段集443)と仰せのように、私たちの過去世から現在に至る無量の罪業も、一切みな消滅し、現在・未来の所願ないし広宣流布の大願も成就するのである。


2.大石寺の事跡に学ぶ

その昔、日蓮大聖人の御在世に、佐渡在住の阿仏房は、当時、日蓮大聖人のお住まいになっておられた身延山まで、90歳という老体を顧みず、数度にわたって参詣をしたのである。また、日妙聖人は、女性の身でありながら、危険な道中をしのび、渇仰の思いをいだいて、日蓮大聖人にお目通りを願ったのである。現在と異なり、交通機関は全くなく、一歩一歩足を運び、山河を越えての登山であった。距離・時代を越えて、総本山大石寺への登山の基本精神は、これらの人々の「一心欲見仏不自惜身命」の信心行体に存する。この阿仏房や日妙聖人の登山の精神が、後世の檀越に大きな影響を与えたことはいうまでもない。
総本山塔中観行坊の能勢順道師が、先年編纂出版された『諸記録』に、盛岡の感恩寺信徒であった阿部重吉氏の、安政2年の登山道中日記が収録されている。それには、「御大坊様江罷上がり御宝蔵外廻りくさ取りいたし、それより奥にわくさ取、御きゃく殿の前廻りはきそうじ」(同書5-252)とある。往昔の人々は、年に数回の登山参詣など、なかなかできなかった。そのため、ひとたび登山参詣すると、数日、あるいは十数日逗留滞在したのである。そして、阿部重吉氏のように、総本山の清掃、給仕等の奉仕を、進んで行なったのである。
また、徳川時代は、新寺建立の禁止や宗教論争が固く禁じられるとともに、檀家制度が導入されたので、信教の自由は、事実上、全くなかったのである。しかも、為政者の偏見により、本宗は御禁制の宗教のように扱われ、弾圧が加えられてきたのである。
加賀前田藩の金沢信徒も、そうした圧政の中で、大聖人の仏法を学び、弘め、求道心を燃やしてきたのである。しかし、地元には寺院がなかったために、総本山への道中手形を出してもらえず、総本山への登山参詣は、全くおぼつかない状況であった。
しかし、志のある者たちは結束し、禁を犯して登山を決行したのである。喉の渇きは露を啜(すす)って癒(いや)し、夜は枯木を枕に枯れ葉に埋もれ、幾山河を越えて、総本山を目指したのである。大石寺の三門が見えたとき、皆、肩を抱き合い、涙を流して喜んだとのことである。
あるいは、前田家の参勤交代の途中、東海道の吉原宿に宿泊の折に、「抜け詣り」と称し、皆の寝静まった頃を見計らって、夜陰に紛れて宿を抜け出し、大石寺へ向かって走り、早朝まで、御宝蔵の前で唱題し、同輩の起き出す前には、吉原宿に帰ったと伝えられている。
さらに、陸奥の仙台法難によって、流島されていた覚林日如師は、仙台の信徒に宛てて、
「一、未登山輩は老少によらず随分取立候て年々に御登山の願望成就はたさせ申すべき事登山の面々より其方の功徳広大に候」(富要9-334)
「一、御本山え差上げ候風波の渡り幾日がかりもさ候へば彼此物入り島へ渡り候金銭を以て少しも余慶に役立たす候事、何人登山とても島へは渡海は無用に候只書通を以て申し入らるべく候」(富要9-334)
と、教えているのである。
この書状の意味について、日亨上人は、
「登山せざる者を勧めて登山せしめよ、其功徳は登山者に勝る、島に渡りて予を見舞ふ金銭を以て御登山の費用に補へ等の訓辞あり誠に難有き志かな」(富要9-334)と、覚林日如師の登山についての指導を讃えられている。
また、東京妙光寺檀家の話に、「米一升の請書」というのがある。これは、女の身として子供をおぶり、大晦日に箱根の関所を越えて、一升の米を、正月の元旦、総本山へ御供養したというものである。第52世日霑上人は、この奇特な婦人に「米一升の請書」をお認(したた)めになられ、その信心にお応えになられたとのことである。宗門700年の歴史には、数々のエピソードがある。現代に生きる私たちは、ともかくも、こうした先人の、営々と積み重ねた登山の実践と求道心があったればこそ、今日の登山参詣があるということを、決して忘れてはならない。

法主日如上人猊下御指南
折伏した人をできるだけ早く総本山に登山せしめるということが大事ではないかと思うのです。
これは、初登山した方々がお山の佇(たたず)まいを見て、そして戒壇の大御本尊様にお目通りして、本当に命を震わして、感動して帰っていくわけです。その感動を、体験を、できるだけ早く積ませるということが非常に大事だと思うのです。」(大日蓮平成二十二年二月号 二十八㌻)

先達から学ぶ登山の心掛け
福島の信徒・高坂辰次郎の登山
辰次郎は最初、日蓮宗の信者だったが、折伏されて大石寺の信仰に帰依した。辰次郎は罪障消滅のため、二十七歳の時、生涯に三十回登山しようと決意し、福島から大石寺まで百二十里(約四八〇キロ)の道程を一年に二回、三回と登山し、七十六歳で亡くなるまでに四十九回もの登山をした。
さらに仏法外護の志をもって自宅の土地・建物を御供養した(福島市・広布寺の前身)。信仰を受け継いだ子息の伝蔵も、生涯んび十七回の登山をしました。
(平成二十九年度 夏期講習会テキストより)

引用元:日蓮正宗 総本山の登山について

浄土真宗の元僧侶だった、現役法華講員 吉田正信さんが末期がんの奥さんを総本山大石寺にお連れした際の、感激の記事をご紹介いたします。

引用元:御開扉 | 命がかわることとはこんなに凄いことだったのか、元浄土真宗のお坊さんだった僕が本物の仏教である日蓮正宗に帰依して掴んだ幸せノート

御開扉
2016-02-07 16:03:27
テーマ:妻の信心
2013年の今日、僕は癌で末期の妻をレンタルしたエスティマの載せて、車椅子も載せて前日の夜から名神東名高速道路を突っ走り言いましたなあ

「泉!つらいやろけどーーもうすぐ着くで!君の大好きな大石寺に行くで!」

妻は体を横にして不平ひとつも言わず泣きながらこう言いましたなあ。

「とーさん!ゆっくりでええよ。気をつけて、とーさん!私を本気で連れてきてくれるその気持ちが嬉しいで!」

揺れる車はきっと辛かったと思います。

富士宮大石寺について、車椅子に泉を載せて、私は一生懸命、御開扉を受ける奉安堂に急ぎましたですなあ。

そして、御開扉!妻はこう言いましたですなあ。

「とーさん!ありがとうーこれが私にとってこの世で最後の御開扉かもしれん、だから猊下様の御祈念ほんまにほんまに嬉しい!とーさん!ここは霊仙浄土やなあ。とーさんと生きてきてよかったです。とーさんが私を本気で幸せにしてくれた。嬉しいで!子どもたちは大丈夫や、とーさん!2人で生きられるまで一生懸命生きようなあ(((o(*゚▽゚*)o)))ほんまー嬉しい!」

そんな思い出が今日の富士宮大石寺での御登山に刻まれましたですなあ(((o(*゚▽゚*)o)))

「とーさん!御開扉は出発やで!!」

そう言って泣きながら笑っていた妻が今日はご本尊様の中にいてくれましたですなあ(((o(*゚▽゚*)o)))嬉しい御登山でしたなあ(((o(*゚▽゚*)o)))😃

 

 

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