顕正会員に伝えたい本門の戒壇の意義

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戒壇の大御本尊様が秘蔵厳護されている、大石寺奉安堂。

顕正会員の皆様、歳末の候いかがお過ごしでしょうか?
今からでも遅くありませんから、日蓮正宗に帰依しましょう。恋慕渇仰している戒壇の大御本尊様への御開扉を賜ることができます。どうか、一日でも早く間違いに気づかれることを願っております。

日蓮正宗 寺院紹介 全国

あなたのお住まいの地域にも、必ず日蓮正宗の末寺が建立されているはずです。全国の寺院紹介のリンクから所在地を検索して、必ずアポを取って訪問してくださいね。私は頭破七分のためマナーをわきまえることができず、いきなり訪問してしまったのですが、それでも御僧侶はお話を聞いてくださいました。しかし、御法務で対応できないこともございますでしょうし、社会人の最低限の礼儀として訪問予約をしてください。

さて、本題。

顕正会のホームページが、リニューアルされているのを本日知りました。

kenshokai.or.jp

今風のデザインになってますね。

ここへきてやっと、ネットへの過剰な偏見を改めたということでしょうか?

さて、HPの中身はというと、あいかわらず広布事相上の戒壇義について固執し続けていますね。顕正会の会員数がどれほど増えようとも、日蓮正宗とは何ら関係ないのですが、悩乱の現証でリンクしてしまっているんでしょう。顕正会の掲げる文証を引用してみましょうか。

富士大石寺歴代上人の文証
日蓮大聖人のこの重き御遺命を奉じて、富士大石寺歴代上人が七百年来、異口同音に広宣流布の暁の国立戒壇を叫び続けてこられた、その文証を挙げてみよう。

二祖日興上人
広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(門徒存知事)

「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」(大石寺大坊棟札)

二十六世・日寛上人
「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法、乃至、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云云」(報恩抄文段)

三十一世・日因上人
「国主此の法を持ち広宣流布御願成就の時、戒壇堂を建立して本門の御本尊を安置する事、御遺状の面に分明なり」

三十七世・日琫上人
「仏の金言空しからずんば、時至り天子・将軍も御帰依これ有り。此の時においては富士山の麓・天生原に戒壇堂造立あって……」(御宝蔵説法本)

四十八世・日量上人
「事の戒壇とは、正しく広宣流布の時至って勅宣・御教書を申し下して戒壇建立の時を、事の戒壇というなり」(本因妙得意抄)

五十六世・日応上人
「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申す曠々たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって……」(御宝蔵説法本)

以上は明治以前の先師上人の御指南である。「国立戒壇」の文言こそ用いておられないが、意は国立戒壇建立を指すこと、天日のごとく明らかである。

次いで大正以降の歴代上人の文証を挙げる。

五十九世・日亨上人
「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華十一号)

「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)

六十四世・日昇上人
国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)

六十五世・日淳上人
「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(日淳上人全集)

「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)

「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります。大石寺大坊棟札に『修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく、広宣流布を待つ可し』とあるのが、それであります」(大日蓮34年1月号)と。

およそ血脈付法の正師にして、国立戒壇を熱願されなかった貫首上人は七百年間一人としておられない。

細井管長も曽ては国立戒壇
創価学会に迎合して国立戒壇を否定した六十六代細井日達上人(以下、細井管長と呼ぶ)ですら、登座直後においては歴代上人と同じく、御遺命の正義を次のように述べていた。

「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華35年1月号)

「真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」(大日蓮35年1月号)

「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮36年5月号)と。

創価学会も曽ては国立戒壇
創価学会も曽ては当然のごとく国立戒壇を唯一の目的としていた。

同会第二代戸田会長は
「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である」(大白蓮華五十八号)

「我等が政治に関心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華六十三号)

また三大秘法抄を講じては
「『戒壇を建立すべきものか』とは、未来の日蓮門下に対して、国立戒壇の建立を命ぜられたものであろう」(大白蓮華六十六号)と述べている。

御遺命破壊の元凶たる第三代会長・池田大作すら曽ては
 「『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』の御予言こそ、残された唯一つの大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(大白蓮華五十六号)

また
国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華五十九号)と言い切っていた。

以上を見れば、富士大石寺門流七百年の唯一の宿願が国立戒壇の建立にあったこと、太陽のごとく明らかであろう。

正本堂がなくなっちゃってるんで、国立戒壇という言葉にすがりつくしかなくなっているようですね。現在の日蓮正宗は、国立戒壇という用語の使用を禁止しています。

それはどうしてなのかというと、広布事相上の事の戒壇は本門寺本堂戒壇だから。日蓮正宗の教義にない言葉を、使うのはやめましょうということなのです。それが、1970年(昭和45年)のことですから、今年で48年になりました。

古参の顕正会員さんで70歳以上の人ならいざ知らず、50代の人でもリアルには実感できない言葉で、まさに妄念の中にのみ存在している言葉です。

冷静に考えれば分かることなのですが、将来の広宣流布の時の話ですから、現時点において、熱い議論をすることには意味はないのです。

では、当時、なぜ急に国立戒壇という言葉の使用をやめようとなったかご存知でしょうか?

日蓮正宗から言い出したのではないのです。

創価学会は当時、日蓮正宗創価学会を名乗る信徒団体でした。創価学会員には当時も今も実感はないでしょうけど、法華講だったのです。

日蓮正宗とは別の宗教法人格を取得しておりました。これにも色々ないきさつがあったようです。昭和20年代の創価学会員は、御僧侶に暴力をふるうことがよくあったそうです。宗教法人格取得に反対する僧侶を、会員がつるし上げにして黙らせていったというのが実情だったそうです。戸田会長自身も暴力を振るった、狸祭り事件は有名ですね。創価学会員が未だに大好きで、尊敬してる池田センセーも率先して暴力を振るっていました。

国立戒壇建立の発願を国会で成し遂げるためとの名目で、公明党という政党も結成し折伏行と政治活動の二枚看板で、会員を活動に駆り立てていきました。

我が国は政教分離国家です。

宗教団体が政党活動を派手に行えば、批判が出るのは当然で、イデオロギー宗教政党共産党から、政教一致批判で質問を受け、池田センセーは証人喚問の危機に遭遇したのです。

修羅界の常で、普段は威張っていても、肝っ玉は小さいのでブルっちまったようで、日蓮正宗に泣きついてきたんだそうです。

国立戒壇て言うのをやめてもいいですか。」

何が威風堂々でしょうか。


【学会歌】 威風堂々の歌


池田先生の踊る威風堂々の歌

カッコつけて粋がるのは会員の前だけ。

浅井センセーと同じです。

泣きつかれた日蓮正宗としても苦笑したでしょうが、慰撫教導の意味もこめて許可せざるをえなかったと拝察しております。

創価学会公明党への批判は、池田センセーの起こした不祥事や、暴力をともなうような強引な折伏活動など、日蓮正宗の知らないところで世間からも巻き起こっていたようです。

当時の世相は左翼ゲリラが闘争を繰り広げ、三島由紀夫が割腹自決した時代です。


東大安田講堂の闘いの記録「嘆きの旅」


大義のために死す 三島由紀夫 誕生の日


[昭和45年11月] 中日ニュース No.880_1「三島由紀夫割腹自決」

創価学会日蓮正宗内での暴れっぷりと拍子をあわせているようです。まさに自界叛逆の現証でした。

ですから、日蓮正宗にとっては創価学会は黒い歴史の象徴なのです。そんな団体が公明党を使って世間に標榜していたイデオロギー用語、「国立戒壇」を復活させることはないと思います。

未だに折伏をした相手から「日蓮正宗創価学会でしょ?」みたいに言われて、拒絶されることがあります。悔しいかぎりです。

戸田会長も臨終には悪相を現じてお亡くなりになりました。

在家の分際で、大聖人様の仏法を飯のタネにした罪は重いのです。

浅井センセーも同じように堕獄の相で亡くなられるでしょう。

顕正会で居れば居るほど、自分の持って生まれた福徳を浪費するだけです。

創価学会員にも当てはまることですが、福運の尽きたときの消耗具合は、世間一般の人の比ではありません。これは自分自身が体験したことですから、確信をもって断言できます。

さあ、顕正会員諸君、本門戒壇の大御本尊様の御元へおいでください。

御開扉を受けることができます。

戒壇の大御本尊様の御前でお題目を唱えることが、事の戒壇を自身で直接賜ることになるのですから。

法義に関する詳しい説明は、私の教化親にあたるトチロ~さんに譲りたいと思います。

下記のリンクから報恩坊様のHPへどうぞ。

珠玉の戒壇義が学べます。

kenshokai-hashaku.com