始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず

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戒壇の大御本尊様に懺悔滅罪を御祈念いたしましょう

過去現在の末法法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず(聖人御難事)

私の隣人(創価学会員)に罰の現証が出ているようである。

過去5年間にわたって、さんざん嫌がらせを受けてきた。

  • 挨拶をしても薄ら笑いを浮かべ無視
  • 我が家に向かっての放尿
  • 私や妻の車のナンバープレートをこれ見よがしにメモ
  • 弊のそばに立ってのぞき見、盗み聞き

つまらない嫌がらせだが、その男が昨年末からぱったりと姿を見せなくなった。

仕事の定年を迎えてから、意気揚々と始めた家庭菜園も草生している。

一月ほど前にたまたま姿を見たが、げっそりと痩せほつれていた。歩くのもやっとという感じだった。

創価は他人の不幸は暴き立てあざ笑うが、自分の身に起きた現証はひた隠しにする。

仲間の創価学会員にも詳細は秘密にしているようだ。

この男に罰が出たのは我が家への嫌がらせが原因なのか、創価が法体を受持しないと宣言したからなのかは、私には断定できない。

しかし、今思えば不憫に感じる。

何度か正面切って仏法対話を試みたが、話題が信心の話になると走って逃げていく。

なぜこんなに臆病なのか?

謎である。

しかし、顕正会もよく似たものだから、おそらく総大将の臆病風に感染しているのだろうと思う。

池田先生も浅井先生も、本を出版しているけれど言論戦の矢面に立った姿を拝見したことはない。

子供の時に池田先生が、世界の学者や偉人と対話している記事を読んだが、折伏には程遠い世間話だった。

隣家の男も創価の活動家だったかどうかも怪しい。

その程度の中途半端な創価気どりで、隣家の法華講員に嫌がらせをして、座談会では魔と闘ったなどと吹聴していたのだろう。

隣家との不仲は互いの先代から続いたものだ。

当時は創価と顕正という、謗法同士の諍いに過ぎなかった。

しかし、今度は創価法華講

事情が違ったようだ。

昔の私なら相手の罰に歓喜したかもしれない。しかし、今の私は哀しんでいる。

できるなら、日蓮正宗に縁をさせてあげたい。

その思いで御本尊様に御祈念申し上げている。

順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり(開目抄下)

しかし、安穏に過ごしてきた一闡提人とて、人生の最期には現証を受ける。

それが冒頭の御金言である。

私も隣家の男の悠々自適ぶりに首を傾げた時期もあった。

しかし、60そこそこ、定年した矢先の出来事に仏法違背の恐ろしさを痛感している。

本人はともかくせめて家族だけでも気づいてほしい。

悪業の連鎖を断ち切ってほしい。

日蓮正宗に一日も早く戻り、戒壇の大御本尊様に懺悔して罪障消滅を成し遂げてほしい。

 

悪変じて善となる―変毒為薬の実証明らかに (法華講員体験シリーズ)

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