地獄は実在しているようだ

「地獄の音」というYou Tube の投稿を御存じだろうか?


地獄の音


通称「地獄の音」シベリアの地下14kmで録音された人間の叫び声

tocana.jp

仏教の経典で説かれる地獄は実在しているのかもしれませんね。

ロシアの地下探査隊は地獄の扉に穴をあけてしまったのでしょうか?

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大白法・平成26年5月1日刊(第884号)より転載 御書解説(177)―背景と大意

顕謗法抄(御書 274頁)


 
 
 一、御述作の由来
 本抄は、弘長二(一二六二)年、大聖人様が四十一歳の御時に、伊豆の伊東において認したためられた御書です。題名は、大聖人様が自ら題されたものです。
 本抄の御ご真しん蹟せきは、かつて身延山に蔵されていましたが、明治八(一八七五)年の大火で烏う有ゆうに帰しました。しかし、身延二十一代の寂照日乾が焼失する前に御真蹟を対たい校こうした記録が残されています。
 なお、本抄には末尾に御述作の年次が記されていないことから異説がありますが、内容の上から、弘長二年二月に著あらわされた『教機時国抄』と同時期の御書と考えられます。
 
 二、本抄の大意
 初めに、本抄は、第一に八大地獄の因果を明かし、第二に無む間けん地獄の因果の軽けい重ちょうを明かし、第三に問答料簡を明かし、第四に行者の弘ぐ経きょうの用心を明かす、の四章で構成することを標示されます。
 第一章では、八大地獄を順に説明されます。初めに等とう活かつ地獄について、この地獄は閻えん浮ぶ提だいの地の下一千由ゆ旬じゅんにあり、広さは縦と横が斉ひとしく一万由旬で、この中の罪人は互いに害心を抱いていること。鉄の爪で互いに身を掴つかみ裂さき、血肉が尽きて骨のみとなり、あるいは獄ごく卒そつに鉄杖で全身を打たれ、身体が砕くだけて砂いさごのようになり、また利り刀とうで細かく肉を割さかれる。しかしそのたびに蘇よみがえって、またその責め苦に遭あう。この地獄の寿命は人間の昼夜五十年を四王天六欲天の第一)の一日一夜とし、四王天の天人の寿命五百歳をこの等活地獄の一日一夜として、その寿命が五百歳であることを説かれます。そしてこの地獄に堕おちる業因を言えば、生き物の命を断つ者がこの地獄に堕ちると示されます。このように以下、各地獄について、所在、縦じゅう広こう、相そう貌みょう、寿命、堕だ獄ごくの業因等について明かされます。
 第二の黒こく縄じょう地獄は、等活地獄の下にあり、縦広は等活地獄と同様で、獄卒は罪人を捕らえて熱鉄の地に伏せさせ、熱鉄の縄で身に墨打ち、熱鉄の斧で縄にしたがって切り裂き、削り、また鋸のこぎりでひく。あるいは鉄の鼎かなえに堕とし入れて煮るなど、この苦は等活地獄の十倍である。この地獄の寿命は人間の一百歳を忉とう利り天(六欲天の第二)の一日一夜とし、忉利天の寿命一千歳を一日一夜として、この地獄の寿命が一千歳であると説かれます。この地獄には、殺せっ生しょうの上、偸ちゅう盗とうを重ねた者が堕ちると示されます。
 第三の衆しゅ合ごう地獄は、黒縄地獄の下にあり、殺生・偸盗の罪の上、邪じゃ淫いんを犯した者がこの地獄に堕ちるとされます。
 第四の叫きょう喚かん地獄は、衆合地獄の下にあり、殺生・偸盗・邪淫の上、飲おん酒じゅの者がこの地獄に堕ちるとされます。
 第五の大だい叫きょう喚かん地獄は、叫喚地獄の下にあり、殺生・偸盗・邪淫・飲酒の重罪の上、妄もう語ごの者がこの地獄に堕ちるとされます。
 第六の焦しょう熱ねつ地獄は、大叫喚地獄の下にあり、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄話の上、仏法の因果を否定する邪見の者がこの地獄に堕ちるとされます。
 第七の大だい焦しょう熱ねつ地獄は、焦熱地獄の下にあり、前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受けるとされ、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見の上、浄戒の比び丘く尼にを犯す者がこの地獄に堕ちるとされます。
 第八の大だい阿あ鼻び地獄は、無間地獄といい、大焦熱地獄の下、欲界の最底にあり、この地獄は縦広八万由旬で、前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を一分とすると、この地獄の苦は一千倍勝るとされ、殺し父ぶ・殺し母も・殺し阿あ羅ら漢かん・出すい仏ぶつ身しん血けつ・破は和わ合ごう僧そうの五ご逆ぎゃく罪を造る人がこの地獄に堕ちるとされます。しかし、釈尊入滅後は殺父・殺母も世法によって厳しく戒(いまし)められており、五逆罪を犯す対象がなく、五逆罪を造る人が少ないとされ、智人を殺すなどの「相似の五逆罪」を堕獄の業因とされています。さらに末法においては、五逆罪の他に、誹ひ謗ぼう正しょう法ぼうが無間地獄の業因であることを御説示されます。
 第二章では、無間地獄の因果の軽重について明かされ、従来、無間地獄の業因は五逆罪とされますが、五逆罪よりも謗法のほうが重罪であることを示されます。
 第三章では、問答料簡として、十六の問答を通じて、謗法の相貌について詳細に論じられています。特に末法においては、誹謗正法こそ無間地獄の業因であることを明かされ、釈尊からの末法付嘱により、法華誹謗こそ最大の無間堕地獄の業因であることを指摘されています。
 第四章では、末法の行者が仏法を弘める際の用心として、「教」「機」「時」「国」「仏法流布の前後」の「宗教の五義」を挙あげられ、仏法弘通を志す者は必ず五義を知って正法を弘むべきことを御教示されています。
 中でも、第一の「教」について、如来一代五十年の説教には大小・権実ごんじつ・顕けん密みつの差別があることを述べられ、次いで、華厳・法相・三論・真言・浄土・禅の各宗の教義を挙げられて、それらはいずれも末法の時機に適わない不相応の教えであり、釈尊の出世の本懐である法華経こそ、末法適時の大仏法であることを喝かっ破ぱされています。
 さらに、信解には信しん而に不ふ解げ・解げ而に不ふ信しん・亦やく信しん亦やく解げ・非ひ信しん非ひ解げの四句がある中、第二句の解而不信こそ、よく邪見を増長するものであるから厳に慎むべきことを戒められて、本抄を結ばれています。
 
 三、拝読のポイント
 誹謗正法こそ堕地獄の業因
 大聖人様は、本抄において、八大地獄の最下にある大阿鼻地獄、すなわち無間地獄に堕する業因は、正法を誹謗する謗法にあることを指摘されています。
 故に末法の今日において、文底下種の妙法蓮華経の正法を誹謗することはもちろん、この正法を信仰しなかったり、他の宗教を信仰することが、すべて堕地獄の業因となるのです。
 
 宗教の五義を了知すべし
 大聖人様は本抄において、仏法弘通の用心として「教」「機」「時」「国」「仏法流布の前後」の宗教の五義(五綱)を知って、仏法を弘むべきことを述べられます。ただし、本抄は第一の「教」について詳述されたところで括くくられています。これは、同時期の『教機時国抄』に五義を詳述されたことによるものと思われます。
 五綱教判について、第二十六世日寛上人は『報恩抄文段』に、
「総じて蓮祖弘通の大綱は宗旨の三箇か、宗教の五箇を出でざるなり。之を宗門八箇の法義と謂うなり。中に於て宗教の五箇は是れ能のう詮せん、宗旨の三箇は所しょ詮せんなり。故に先ず須すべからく宗教の五箇を了りょうすべし」(御書文段 四六三㌻)
と、「宗教の五箇」が能詮、「宗旨の三箇」が所詮であると示されています。
 つまり、五綱教判によって、末法万年に亘わたり衆生を救済する教えが寿量文底の南無妙法蓮華経、すなわち三大秘法であることが鮮明となることから、五綱を正しく学ぶことが大事なのです。
 五綱教判によれば、正まさに末法はそれまでに弘ひろまった釈尊の文もん上じょう脱だっ益ちゃくの法華経の効力がなくなり、法華経本門寿量品の文底に秘沈された下げ種しゅ益やくの本門三大秘法が、日本乃至世界に流布すべき時であることが明らかです。我々は、この「宗教の五義」をしっかりと理解し、折伏を実践していくことが肝要です。
 
 信解の四句を肝に銘じよう
 大聖人様は本抄において、信解には、信而不解・解而不信・亦信亦解・非信非解の四句があることを挙げられ、いずれが謗法であるかを御示しになっています。
 初めの信而不解は、法を聞いて信ずるが、領解することができないことです。
 二番目の解而不信は、前の信而不解の逆で、理解はできるが信心がないことです。
 三番目の亦信亦解は、法を信じて、よく領解するということです。
 四番目の非信非解は、信も理解も共にないということです。
 この中で、三番目の亦信亦解、つまりしっかりと信じて領解するということが一番の理想であり、言うまでもなく非信非解が一番の謗法に当たります。ただし、本抄では第二番目の解而不信を詳述されたところで終わっており、信心がなく解のみ有ることを、涅槃経の文を引かれて、よく邪見を増長するものと喝破されています。
 我々は、寿量文底の妙法を唯一無二に信ずることが成仏の上で肝要なのであり、不信は謗法の根源となることから、最も戒めなければなりません。
 
  四、結  び
 御法主日如上人猊下
「あらゆる障魔を打ち砕き、不幸の根源である邪義邪宗の謗法を退治し、折伏していくことが最も肝要であります」(大白法 八七七号)
と御指南されています。
 我々は、この御指南を拝し、現代の一凶たる創価学会をはじめとした一切の謗法を徹底して破折し、明年の御命題達成に向け、いよいよ精進してまいりましょう。