創価学会員さんとの対話:創価学会員さんからの質問を分析する 2

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創価学会と言えば対話がウリですが…

「真摯」さんからお返事が来なくなってしまいました。

まあ、それもありかな。

よくあることです。

誹謗中傷とか人格攻撃とかしてこなかっただけ、本当に真摯な人柄なのかもしれません。

日本人は、若い世代の方がまともな人間が多い証拠でもあります。

昭和一桁~団塊ジュニア世代まで、性質(タチ)の悪いのが多いですから(笑)。

前回は、①と御書のみという条件付けに対する破折と回答をしましたので、 

nichirendaihonin.hatenablog.com

今日は、②「代々の法主を尊信の対象としての(我々が南無し奉る日蓮大聖人・日興上人と同等の)僧宝として定める」について、日蓮正宗相伝も含めて回答したいと思います。

7項目全質問は以下の通り。

宗門はこのように主張しています。
①「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」
②「代々の法主を尊信の対象としての(我々が南無し奉る日蓮大聖人・日興上人と同等の)僧宝として定める」
③「弘安2年10月12日の御本尊を日蓮大聖人の出世の本懐・一大秘法と定める」
④「僧と俗の間には本来的な差別が存在する」
⑤「御本尊には法主の許可、開眼が必要、大石寺から下付したものでなければならない」
⑥「大石寺に登山しないと罪障消滅できない、成仏できない」
⑦「宗門の僧による葬儀を行い、戒名を与えないと故人は地獄に堕ちる」
日蓮大聖人はこのようなことをただの一つも仰せになっていません。日蓮大聖人は「謗法とは法に背くという事なり」顕謗法抄455 と仰せです。したがって、上に挙げた宗門の主張はことごとく謗法であると思います。
上に挙げた宗門の主張のどれか一つでも日蓮大聖人の御書のみを用いて正当性を証明できますか。
ご返信をお待ちしております。時間がかかっても構いません。

14僧 宝 – 日蓮正宗法華講宝相寺支部ページさんから転載させていただきます。

14僧  宝
教学ノート

大白法 平成27年9月16日付

  僧宝とは、仏が説かれた教えを自らも学び行じ、後世に誤りなく正しく護り伝える僧侶のことを言います。
 日蓮大聖人様は『四恩抄』に、
「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」(御書268)
と、例えば薪がなければ火は消え、大地がなければ草木は生えてこないように、仏宝と法宝は僧侶が習い伝えなければ、未来には伝わらないと仰せられています。
 このように、僧侶には仏宝と法宝を正しく伝持するという極めて大きな役割があるため宝として敬うのです。
総本山第26世日寛上人は『当流行事抄』に、
「僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」(六巻抄197)
と僧宝とは、第二祖日興上人であると仰せられています。
 これは『日蓮一期弘法付嘱書』に、
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり」(御書1675)
と仰せのように、日興上人は、大聖人様から血脈相承(師から一人の弟子だけに伝え授けられること)された御方である故に、僧宝と立てられるのです。
 また日寛上人は『三宝抄』に、
「吾が日興上人、嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来、日目・日道代々咸く是れ僧宝なり」(歴代法主全書)
と、大聖人様より血脈を相承された日興上人と、日興上人以来代々法を受け継がれた御歴代上人も僧宝であると示されています。
 さらに、日興上人は『日興跡条々事』に、
「(大聖人様から)日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す」(御書1888)
と仰せられています。
 つまり、日興上人以来、歴代の御法主上人猊下が、大聖人様からの血脈を相承され、本門戒壇の大御本尊様(法宝)を相伝されていることによって、日蓮正宗には現在に至るまで正しく仏法と法宝が伝えられているのです。
 私たちは、日興上人をはじめとする御歴代上人を僧宝と拝信することが大切であり、その上で日々の仏道修行に励んでいくことが肝要です。
★ポイント
 日興上人は、
 「なをなをこのほうもんは、しでしをたゞしてほとけになり候。しでしだにもちがい候へば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むけんちごくにおち候也」(歴代法主全書)
と仰せられ、師弟の筋目を正すことの大切さと、血脈付法の御去主上猊下に随順してこそ成仏が叶うことを御指南されています。

ちなみに、Web版学会御書全集で「僧宝」を検索しますと、

日蓮大聖人御書全集 全文検索

自由語検索 検索結果一覧

僧宝での検索結果は3件でした。
それぞれの御書名をクリックすると御書の本文がご覧になれます。

 

1建長寺道隆への御状

 

173ページ

 建長寺道隆への御状  夫れ仏閣軒を並べ法門屋に拒る仏法の繁栄は身毒支那に超過し僧宝の形儀は六通の羅漢の如し、然りと雖も一代諸経に於て未だ勝劣・浅深を知らず併がら禽獣に同じ忽ち三徳の釈迦如来を抛つて、他方の仏・菩薩を信ず是豈逆路伽耶陀の者に非ずや、念仏は無間地獄の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪

2顕謗法抄

 

448ページ

するや、仏舎利弗に告わく相似と言うべからず所以は何ん若し般若波羅蜜を破れば則ち十方諸仏の一切智一切種智を破るに為んぬ、仏宝を破るが故に法宝を破るが故に僧宝を破るが故に三宝を破るが故に則ち世間の正見を破す世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり無量無辺阿僧祇の罪を得已つて則ち無量無辺阿僧祇

3顕謗法抄

 

459ページ

つて智慧有ること無き是の人は則ち能く無明を増長す若し智慧有つて信心あること無き是の人は則ち能く邪見を増長す善男子不信の人は瞋恚の心あるが故に説いて仏法僧宝有ること無しと言わん、信者は慧無く顚倒して義を解するが故に法を聞く者をして仏法僧を謗ぜしむ等と云云、此の二人の中には信じて解せざる者を謗法と説く如

 

と、すばらしい御書が出てきましたね。

顕謗法抄・・・謗法を顕す御抄です。

答て云く大品経に云く「舎利弗仏に白して言く世尊五逆罪と破法罪と相似するや、仏舎利弗に告わく相似と言うべからず所以は何ん若し般若波羅蜜を破れば則ち十方諸仏の一切智一切種智を破るに為んぬ、仏宝を破るが故に法宝を破るが故に僧宝を破るが故に三宝を破るが故に則ち世間の正見を破す世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり無量無辺阿僧祇の罪を得已つて則ち無量無辺阿僧祇の憂苦を受るなり」(顕謗法抄)

涅槃経の九に云く難じて云く涅槃経三十六に云く我契経の中に於て説く二種の人有り仏法僧を謗ずと、一には不信にして瞋恚の心あるが故に二には信ずと雖も義を解せざるが故に善男子若し人信心あつて智慧有ること無き是の人は則ち能く無明を増長す若し智慧有つて信心あること無き是の人は則ち能く邪見を増長す善男子不信の人は瞋恚の心あるが故に説いて仏法僧宝有ること無しと言わん、信者は慧無く顚倒して義を解するが故に法を聞く者をして仏法僧を謗ぜしむ等と云云、此の二人の中には信じて解せざる者を謗法と説く如何、答えて云く此の信而不解の者は涅槃経の三十六に恒河の七種の衆生の第二の者を説くなり、此の第二の者は涅槃経の一切衆生悉有仏性の説を聞いて之を信ずと雖も又不信の者なり。(顕謗法抄)

現在の創価学会の姿を鏡に映したようですね。

有解無信の故に邪見を増長して正見を破る姿。

私が日蓮正宗創価学会(昭和63年頃)で教学試験の勉強をしたときに使用していたテキストでは、僧宝の説明には日興上人様から歴代猊下様はもちろんのこと、そこから敷衍して日蓮正宗の御僧侶や創価学会員も、僧宝の一分であると至極まっとうな会通をしておりました。 

今は何といっているんでしょうか?

仏教の人間主義の系譜

創価学会は、釈尊以来の仏法の正統を現代に受け継ぐ団体です。
「仏」と「法」と「教えを実践する人々」を大切に敬うことは、仏法者の基本です。それゆえ、これらをそれぞれ仏宝・法宝・僧宝とたたえ、三つ合わせて三宝と呼びます。
仏宝とは、教えを説く仏です。法宝は、仏が説く教えです。僧宝とは、教えを信じ実践する人々の集いです。
現代日本では、男性の出家者のみを僧と呼びますが、「僧」は、僧伽の略で、〝集い〟を意味する古代インドの言葉「サンガ」に漢字を当てたものです。意味をとって「和合」と訳され、二つ合わせて「和合僧」とも言います。
長い歴史を持つ仏教では、時代や社会の変化により、必要性に応じて、さまざまな教えが広められて、人々を教え導いてきました。
それぞれの教えに基づいて、尊崇する三宝の内容も異なっています。
日蓮大聖人の下種仏法において尊崇する三宝とは、生命の根源の次元である久遠元初の三宝です。「久遠元初」とは〝久遠の過去から永遠の未来まで常に〟という意味です。実践に即していえば、凡夫が妙法を自身の生命に開き顕す根源の成仏の時を意味します。「久遠元初の三宝」とは、私たちの成仏のために永遠に尊崇する三宝です。
久遠元初の仏宝は、凡夫の身に成仏の根源の法を開き顕された久遠元初の自受用報身如来であられる日蓮大聖人です。
久遠元初の法宝とは、大聖人が万人成仏の法として説き示された南無妙法蓮華経の御本尊です。
久遠元初の僧宝とは、この仏宝と法宝を護持し正しく伝えた日興上人です。
以上が、下種仏法で尊崇の対象となる三宝です。
この三宝に南無することによって、下種の利益を得て、成仏が可能となります。
「南無」とは古代インドの言葉で、「帰命」などと漢訳されます。身も心も従い基づいていくこと、全身全霊で信じ根本としていくことです。
尊崇の対象となる三宝を正しく護持して伝え広める人々の集いも、広い意味での僧宝です。今日では、日蓮大聖人の御心と御振る舞いを継承し、世界広宣流布を推進している創価学会が、僧宝に当たります。

今は「久遠元初の僧宝とは、この仏宝と法宝を護持し正しく伝えた日興上人です。」と、僧宝を日興上人と定め、「今日では、日蓮大聖人の御心と御振る舞いを継承し、世界広宣流布を推進している創価学会が、僧宝に当たります。」と、大きく論理の飛躍をしております。

僧宝の日興上人様の「なをなをこのほうもんは、しでしをたゞしてほとけになり候。しでしだにもちがい候へば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むけんちごくにおち候也」(歴代法主全書)とのお言葉、肝に銘じられた方がよいかもしれません。

 

日興上人身延離山史

日興上人身延離山史