創価ダメ出しブログさんに学ぶ:創価&創価アンチ(脱会系非日蓮正宗)破折の真骨頂

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仏法は数式では語れません。あなたの人生も…

創価ダメ出しさんは、創価系破折の達人です。

創価系の破折は三刀流の使い手でなくては、他方から切りかかられて手傷を負わされる可能性がありますから(笑)。

  1. 創価信者
  2. 創価脱会自己流派
  3. 創価脱会無信仰系

それぞれの代表的なサイトやランキングは以下の通り。 

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犀の角のように独り歩め

創価学会とは — 対話を求めて — 静かに創価学会を去るために

まじめな法華講員さんは、読まない方が身のためです。

雙林・最後の涅槃経に云く「菩薩是の身に無量の過患具足充満すと見ると雖も涅槃経を受持せんと欲するを為ての故に猶好く将護して乏少ならしめず、菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無れ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ、何を以ての故に是れ悪象等は唯能く身を壊りて心を壊る事能わず、悪知識は二倶に壊るが故に、悪象の若きは唯一身を壊る悪知識は無量の身無量の善心を壊る、悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては三趣に至る」等と云云此の経文の心は後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし一切の悪縁よりは悪知識を・をそるべしとみえたり。(顕謗法抄)

悪知識は悪縁の大将ですからね。

でも、日蓮正宗の信仰に強い確信を持ち、見識を養って破折をしたいと思われる方も多いでしょう。

創価が破折できれば、顕正会も正信会も他門日蓮宗も、そして、旧来の諸宗・外道などの新興宗教や科学者・哲学者の浅識も、みんな破折できるようになります。

最近、購入した本を紹介しますと、 

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

 

 

の二冊がお勧めです。

読みやすいし、面白い。

哲学や科学の知識や考え方も身に付きます。

でも、それに染まってはならないのです。悪知識にしてしまうかどうかは、自分の信心が大切です。

一、義道の落居無くして天台の学文す可からざる事。(日興遺誡置文)

「義道の落居」と言うのは、大聖人様の仏法をきちんと理解することをいいます。ですから大聖人様の仏法をきちんと理解出来るまでは天台の教学(私に会通いたしますと、世間の諸学問も含むかと)を学んではなりませんという御指南です。。大聖人様の仏法は客観で説かれた教えではありません。しかし現代教育が進んだ今日に於いて一気にひろまった「客観癖」にやられてしまった多くの人々(代表が創価学会)は、主観で説かれた数々の教えをことごとく客観で展開し流布してしまいました。その結果が立て続く今日の天変地異でしょう。諸天善神、仏、菩薩様のお怒りにいい加減気づきましょう。

創価の口癖に、仏法は科学という戸田さん発案の言葉がありますが、あれは間違いです。仏法は科学(客観・データ・数学)ではありません。 

では、破折の真骨頂を創価ダメ出しさんに学びましょう。

ミイラ取りがミイラになる。

俺のエントリーしてる日本ブログ村の「創価批判」村。
最近、当ブログの読者の天覇さんや鯛焼き支部長ブログを出禁?(笑)
になった梵我一如さんのブログが新たにエントリーされ少し賑やかになり良かった。
自分がアンチ創価だからなのかアンチ創価系のブログの方が読んでいて楽しい。
創価村」にエントリーされているブログも含め、どうも学会員ブログってつまらない。
多分、創価系ブログは「信心」について書いていないから面白くないのだと思う。
大作センセとか創価の活動とかブログ主の体験談とか提灯記事ばかり。
たまぁ~にアンチ創価を批判している記事もあるけど、法門法義からの批判ではなく
新報や地涌などの自分達創価側の使い古されたテキストを基にしたアンチ批判で、
そんな主張に共感する人間がお仲間以外にいるのか?と思わざるを得ない。

さて以前当ブログのコメントで創価系ブログのいくつかを推奨していただいた。(天覇さんのブログとか)
創価系というよりもどちらかというよりもアンチ色ある創価系ブログのご紹介だったが、
その中のひとつの「創価学会日蓮仏法と活動」というブログを久しぶりに読んだ。
ずっと以前に当ブログと俺のことも一度記事にしてもらったので時折読んではいた。
(俺へのプロファイリングはあまり当たっていなかったが)
ブログ主の雅彦氏(?)は創価民には珍しく教学を一生懸命学んでいる様子で、
創価臭が抜け切れていない部分があるにせよ、共感できる部分もあった。
一時、「気楽に語ろう」渡辺氏 や想学談林「運ちゃん」氏 などを批判(破折)していた。
渡辺・運ちゃん両氏はいわゆる「学術」中心の日蓮本仏否定論者だ。
それに対して雅彦氏は異議を唱え「日蓮本仏」を主張して批判していて共感する部分はあったのだが、
ここ最近の記事を読むと、御本尊の相貌のこととか開眼についてとか少し雲行きが怪しい感じになってきた。
まぁでもそれはそれで創価民である雅彦氏の立場ならば仕方のない事だと思うが、
今年になってからの記事だと思うが、「大御本尊の真偽を検証すべき 」などと言い出した。
その記事とは(太字は雅彦氏の記事から引用)

大御本尊の真偽の問題をハッキリさせる事が重要だろう。第三者機関に依頼し科学的に検証すべきだ。選択肢としては筆跡鑑定や筆法鑑定や放射性炭素年代測定などがある。これらを組み合わせて精度の高い検証をして貰いたい。

という内容である。この記事を読んだ感想は「ミラ取りがミイラになった」かぁ。である。
渡辺氏や運ちゃん氏が大聖人本仏・大聖人仏法を否定していることに関して散々批判をしてきた張本人が、
大御本尊を科学鑑定して真偽をハッキリさせろ。と言うなんて実に滑稽だ。
大御本尊の科学鑑定云々についてはまたそのうち記事で書くが、
結局、雅彦氏は大聖人仏法云々と言ってるのに、
「学問」を盾に御書を偽書としたり、大御本尊を偽物と結論付けている人達と全く同じ主張をしているわけで
彼自身が大聖人仏法が何であるか全く理解できていないのである。
これでよく渡辺氏や運ちゃん氏を批判できるもんだと思う。
俺から見れば「大御本尊を科学鑑定せよ」と言った時点で
残念ながら大聖人仏法に対する信心のない無信心の人と変わらなくなってしまった。
日興遺誡置文に曰く、

◆義道の落居無くして天台の学文す可からざる事。

いつも書くが、「科学的」とか「学術的」な方向に走って大聖人仏法を見失うのは
結局は、「義道の落居」つまり大聖人仏法の法門の筋道が分からないまま、他の学問を学んでしまうからなんだね。
渡辺・運ちゃん両氏は俺と同じ広宣部出身だから尚更そうなる可能性が高い。
広宣部出身者ってのは教学マニアが多く理解力もある人が多いからちょっと間違えると大聖人仏法から逸脱しちゃう。
俺も3年間くらい御書を離れ釈尊の経典や天台や龍樹挙句の果てには道元親鸞まで読んだけど、
こうした釈迦仏法を学んでいくと、「法」が中心になってしまい「人(仏)」については稀薄になっちゃうんだよね。
そうなるといつのまにやら大聖人仏法から離脱してしまう。
いやその感覚ってすごく分かる。凄くわかるんだけどその仏法の知識はもう仏法じゃないって俺は思う。
雅彦氏に関しては恐らくは渡辺・運ちゃん両氏よりも教学的な知識は乏しいと思われる。
なので彼の場合は、大聖人仏法が何たるかという確信を持たないまま、
色々な知識に触れているうちに「大御本尊を科学鑑定せよ」などという方向にブレたのだと思う。
大聖人仏法の法門法義の筋道を理解しない創価民が大作センセのスピーチや創価教学を学ぶとやはりこうなる。
渡辺・運ちゃん両氏のように「大聖人仏法否定」であればそれはそれで特になんとも思わないが、
「大聖人仏法」の正当性を主張している人間が「大御本尊を科学判定」なんて言うのは、
雖讃法華経・還死法華心というものであり「大聖人仏法」を否定するより悪い。
大聖人仏法とは何か?それは「戒壇大御本尊」なのである。大御本尊の中に大聖人仏法の全てが存在する。
それ以外の所に大聖人仏法はないのである。大御本尊へ信を取ることが
日興上人のいわれる所の「義道の落居」なのである。
それなくして他宗の法門を学んでも意味がない。ましてや邪教の教えをや。である。
雅彦氏には早く「義道の落居」を遂げて欲しいと思う。
また彼のように教学が好きならばそれも可能だろう。
ただ、創価教学から脱皮する必要はあるが頑張って欲しいと思う次第だ。