創価学会員との対話:池田先生を裏切るのですか?
私が創価学会を脱会したのは、1992年の1月。
同時に顕正会へ入会した。
生まれたのが1972年の6月。御授戒を受けたのが同じ年の7月。
典型的な創価2世だった。
父も母も熱心な創価一家。
聖教新聞を3部購読していた。
人間革命も全巻揃えられていた。
父は現代の御書というフレーズが気に入り書写していた。
池田先生に違和感を覚えたのは、中学生の頃から。
聖教新聞に掲載される、池田先生の指導を読み始めた時期に重なる。
「なぜ、池田先生は日蓮大聖人様以外の人の話をするのだろう?」。
素朴な疑問だった。
会館で見せられるシナノ企画フィルムでも、世界の偉人と会談する先生は、偉人に折伏を行っていなかった。
周りの大人に、私の素朴な疑問に答えてくれる学会員はいなかった。
そして、高校生になり御書も読み、教学試験の研鑽をする中で、いよいよ池田先生の欺瞞に気付くようになった。
ナポレオンやトルストイの話は面白いには面白かったが、仏法との関係性がつかめなかった。
高校三年生の時、例の11.16スピーチを会館で見て、「ああ、この人は本物じゃない」と確信することができた。
池田先生に感謝するとするなら、あのタイミングで馬脚を露わにしてくれたことかな。
そうじゃなきゃ、私の履歴書は創価大学卒という十字架を背負うことになっていたから。
「池田先生を裏切るのですか?」
当時、創価学会員が私に投げかけた言葉。
でも、池田先生を裏切るとか、そんなレベルのことじゃないと直感はしていた。
もしも、日蓮正宗の信仰が本物で、日蓮大聖人様が御本仏であるのならば、1990年から1991年に起きた創価学会の造反は、前代未聞の大惨事を引き起こすことになるだろうと思った。
そして、28年が過ぎた今、自分の直感が正しかったことを確信している。
しかし、日蓮大聖人様への信仰心は消えていなかった、おそらく過去の宿縁があったのではないか。
そうとしか考えられないのである。