【三世の中に未来の事を知るをまことの聖人とは申すなり】  占いで幸せにはなれません

【三世の中に未来の事を知るをまことの聖人とは申すなり】
 占いで幸せにはなれません 

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【青梅一の占い師?】
 インターネットに『ヤフー知恵袋』というサイトがあります。様々なジャンルの質問を投げかけると、閲覧して答えを知っている方が、気軽に答えを投稿出来る場所です。
 以前、有名大学の入試の際、受験生が携帯電話からこのサイトを使って問題の解答を求めたカンニングが発覚し、騒ぎになったこともあります。
 ここに、2010年に、こんな質問と回答が載りました。

 質問 「東京都青梅市在住です!この辺りで、よく当たる占い師さんを教えてください。」
 答え 「日蓮正宗専光山慈本寺さんを紹介させていただきます。御住職は小橋道芳師です。
 どのようなことを占ってほしいか分かりませんが小橋道芳師より仏法の上から納得行く方向に物事が進んで行くように懇切丁寧に御指導いただけるものと確信いたします。」

 投稿された方は、どなたか分かりませんが、ご丁寧に住所や電話番号まで載せています。たぶん法華講の方で、「インチキ占い師にダマされる位なら、日蓮正宗の寺院へ言って欲しい。」との願いで書き込まれているのでしょう。
 よく文章を読めば「丁寧に仏法上の指導が行われる」と書いてあるだけで、占いが当たるとは一言も書いていません。
 しかし、この質問に対して他に投稿する方もおらず、閲覧した人は「青梅でよく当たる占い師は、どうやら慈本寺の小橋住職らしい。」と勘違いしてしまうのです。

【そっちですか!】
 そして、年に数人は、この投稿を見たと言う方から「占って欲しい」と連絡があります。
「悩みは聞くけど、占いはしません」と言っても「姓名判断をして欲しい」と食い下がってくる方もいます。
 ある時、御婦人から「アパートの隣人の生活音がうるさくて眠れないけれども、怖くて注意出来ない。」と電話で相談を受けたこともあります。「大家さんや不動産会社に対処してもらってください。」と常識的な回答をしても納得してくれません。
 そこで思わず「私に何が聞きたいのですか?」と言うと「占ってもらって、例えばあと二ヶ月もすれば騒音も収まるから大丈夫だよ、とか言って欲しい。」との返事でした。
 また、別の女性はお寺に来て、自分の悩みを話しながらさめざめと泣くので「一緒にこの信心をして徳を付けていけば、悩みは乗り越えられますよ。」と言うと、今まで泣いていた顔が一変し「そっちですか!」と醒めた様子で帰り支度を始めるのです。
「そっちですか!」の言葉の裏には「私は自分の将来を占って欲しくて来ただけなのに、この住職は信者になって修行しなさいと勧めて来るなんて…。面倒臭いしガッカリした。」という思いが隠されています。
 人は誰しも未来を知りたいと願い、幸福を得たいと望みますが、そのもっとも手近にある方法が占いであるといえます。
 先ほど挙げた二人の女性も、「あなたの問題は解決しますから大丈夫ですよ。」と誰かに後押しされたいだけなのです。
 最近も立て続けに「占って欲しい」と問い合わせがあり、「相談は受けるが占いはしない」旨を伝えたところ、嫌な思いをすることがありました。
 占って欲しいと慈本寺へ連絡をしてくる方や、皆さんの周りにもいるであろう占いを信じている方の為に、ハッキリと「世にある占いは全部インチキである」ことを、この際お話ししておこうと思います。

【世に氾濫する占い】
 占いは、私たちの周りに氾濫しています。
人々は初詣などで、嬉々としておみくじを引き、書かれている内容に一喜一憂する姿が見られます。
 血液型占いなどは国中に浸透しており、「A型は几帳面な性格で、大らかなO型と相性が良い。」などと日常の会話で、当たり前のように語られています。
 最近では携帯電話やパソコンから、様々な占いのサイトへ簡単にアクセスすることができる環境があります。
 また、占い師やスピリチュアル・カウンセラーといった人達が、テレビにもよく登場し、違和感なくお茶の間で受け容れられています。
 
【古代より存在していた占い】
 科学のない時代、占いは世界中で信用され、結果は絶対的なものでした。 日本においても、占いは重要視されてきました。
 古代国家において占いとは、政治的に必要な行事として欠かせないものでした。
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によると、鹿の肩甲骨を焼いてひびの入り方によって吉凶を占う方法が行われていました。これを太占(ふとまに)といいます。しかし、律令期に入るとウミガメの甲羅を用いて占うようになります。亀の甲羅を焼いて占うことを「亀卜(きぼく)」といいます。
 また、邪馬台国を治めていた卑弥呼(ひみこ)は、占いを用いていたと考えられています。
 占いが政治において非常に重要視されていた例と言えます。
 また、8世紀になると、陰陽道(おんみょうどう)が発展してきます。法律によって、陰陽寮(おんみょうりょう)という、占いなどを担当する役所が定められ、設けられたのです。これも邪馬台国卑弥呼と同じく、占いが政治において重要であったことを示す例です。
 ちなみにこの陰陽寮が廃止されたのは、なんと明治になってからなのです。
 平安時代鎌倉時代には、占いはかなり多様化します。江戸時代には、占い師という存在が一般的になってきたようです。有名な占い師や易者も記録に残っています。
 こうして、占いが一般庶民にも普及するようになってしまいました。

【占い師について】
 今でも、人の弱みにつけ込んだ、詐欺・悪徳商法まがいの方法が横行しており、占い師に洗脳されて人生を棒に振った人は多数います。
 これだけ科学が発達し、オカルトを信じない人が多い中だからこそ、少しでも占いが当たったり、不思議な現象にあったりすると、逆に簡単に洗脳され、さながら生き仏の如く尊信するのです。こういう迷いの衆生に乗じて、様々なおかしな宗教や占い師が出て民衆を誑(たぶら)かしていることは今も昔も変わりません。
 しかし、たとえ熱湯に身体を沈め、何キロも離れた人の行動を透視する精神力があるとしても、それが真の即身成仏の手本ということはできません。
 私達はあくまでも『利根・通力』を信じてはいけません。通力無比の目連尊者が、実母が餓鬼道で苦しんでいる姿を透視することは出来ても、結局自力では助けられなかったのは何故でしょう?
 ここに即身成仏とは大聖人の仰せの如く利根と通力によらず、まず法の正邪を分別して、選び取っていくことが大切だからです。
 我々凡夫に未来を見通せる力などありませんし、もし霊能者の能力が本物であったとしても、何の救いにもならないことを知らなければなりません。
 
 大聖人は、
「通力ある者を信ぜば、外道・天魔を信ずべきか。(中略)仏の最後の禁しめに、通を本とすべからずと見えたり」(御書330頁)
と仰せです。通力のある者(超能力など)を信ずることは、天魔、外道を信ずるようなもので、絶対にあってはならないと戒められています。
 また、大聖人様は、
「譬へば犬は鼻のかしこき事人にすぎたり。又鼻の禽獣(きんじゅう)をかぐことは、大聖の鼻通(びつう)にもをとらず。ふくろうがみゝのかしこき、とびの眼のかしこき、すゞめの舌のかろき、りうの身のかしこき、皆かしこき人にもすぐれて候。」(御書924頁)
とも述べられています。
 人間より勝れた能力なら、人間以外の動物が沢山持っています。
 私たちが今生人間界に生を受けた目的は、通力のような超人的な力を得ることではなく、成仏という揺るぎない幸福境界を確立することにあります。
 大聖人様は、
「成仏するより外の神通と秘密とは之これ無きなり」(御書1766頁)
と仰せになり、即身成仏という我々の生命の中に、清浄無垢な仏の境界を顕現することが、肝要であることを御教示されています。

【占い師の特徴】
 結論から言えば、占いは全てがインチキと言えます。
 「占い師の特徴」として
・雰囲気を出すため、衣服やメイクに懲っている
・鑑定相手の外見や話し方やリアクションで推測している
・マイナスの話から入り不安をあおる
・人の寿命を平気で決めつけたように言って脅かす
・断定的な言い方をし、主観を無理に押し付ける
・視点が定まらない、情緒不安定の人がいる
・人よって料金格差がある
・何かにつけて物を売りつけようとする
などが挙げられます。
 世間では若い学生でも、街角にいる占い師や、インターネットなどの鑑定に、面白半分に手を出す人がいますが、厳に慎むべきです。
 もし、その占い師に未来が見えるならば、株でも相場でもその人は大金持ちになっているはずですし、個人的に幸せになっているはずです。
 また、占い師自身が、何故、その仕事を選んだかというと、自分自身が思い悩んだ経験があるからという方が非常に多いようです。
 それらを、大聖人様の仏法に巡り会って実践しない限り克服することは出来ませんから、共倒れになってしまうのです。
 もし仮に人々の不幸が見えたとして、その占い師達に具体的な解決方法があるのでしょうか?

 また、世界中の教祖と言われる人は、信者へ○年以内にこの教えを広めないと「核戦争が起きる」「飢饉が起こる」「国が滅びる」などと大真面目に予言し、今でも洗脳しているのです。
 仏法においては『心地観経』に、
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」(御書 五七一)
と説かれているように、人間の行動のすべてに因果があることを明かしています。
 本来、我々の人生や生活は、その時々の心と行為によって幸不幸の差が生ずるのです。しかし、物事を固定化して結論づける占いは、人間が自らの努力によって幸福を得ようとする意欲を失わせ、占いの吉凶に一喜一憂させて他に依存する心を増長させるものです。
 したがって、「占い」や「予言」は人生を助けるどころか、かえって人々を惑わす弊害のほうが大きいのです。

 【未来は仏にしか見えない】
 世の人々は、未来が見えないから不安になり、未来が見えるとする占いにすがってきました。
 今年は豊作になるのだろうか?災害や流行病など起きないだろうか?国は安泰なのか?家族は無事に過ごせるのだろうか?この人と結婚して大丈夫なのか?といった様々なことを占い、占い師に助言を求めてきたのです。
 大聖人様は『三沢抄』に、
「聖人は未萌(みぼう)を知ると申して三世の中に未来の事を知るをまことの聖人とは申すなり。」(御書1203頁)
と仰せのように、聖人というのは仏法の上から正しく未萌(未来)を見通し、予見せられる力を持っている方で、これは仏様のことなのです。

 御本仏日蓮大聖人様は、『立正安国論』にて一国が正法に背くとき、三災七難が起こるとの、仏法と世法の深い関係が経証をもって示されました。
 中でも、七難の内、未だ現われざる〝自界叛逆難いかいほんぎゃくなん(同士討ち)〟と〝他国侵逼難たこくしんぴつなん(外国より攻められる)〟が必ず起こるであろうと予言(よげん)され、正しい法を信じるように幕府へ諌暁されました。
 この大聖人様の仰せの「自界叛逆難」は、文永九年(一二七二年)二月の名越時章北条時輔らの、いわゆる「二月騒動」として現実となり、更に残る「他国侵逼の難」も、蒙古襲来によって、遂に実際のものとなったのです。
 大聖人が、他国侵逼の大難が起こることを予言されたのは、九州を知っていたためでも、蒙古の事情に通じていたためでもなく、仏法に通達された仏だからであり、一切経に示されている法理から導き出された結論だったのです。
 過去・現在・未来のことを正しく明かしたのが法華経であり、未萠を知る大聖人こそ真実の御本仏なのです。
 大聖人様は、常に日本の安穏と民衆の幸福を心から祈られ、いたずらに預言の的中を誇ったりしませんでした。逆に弟子檀那一同に対し、
「他人に対してはもとより、たとえ私語のなかでも、蒙古の襲来を話題にして、大聖人の予言の的中を誇ったり、語ったりしてはならないと厳しく戒められ、これに背いたものは破門にする。」(御書1559頁・趣意)
とまで戒告されたのです。

【現当二世の御本尊】
 私達が朝晩拝している御本尊様の右上に『為現当二世』としたためられています。「現当二世」とは、現世と当来世(未来世)のことを指します。
 日蓮大聖人は、末法の全人類を三大秘法によって、現当二世にわたりお救い下さる下種の御本仏であられ、御本尊様はその御魂魄なのです。
 過去の苦しかったことや自分の過ちを、無かったことには出来ませんが、皆さんの未来は御本尊様を信じ行じていけば必ず開いていくのです。

 努力なしに望みをかなえようとし、無い物ねだりをするところに、悲劇や破綻が起こるのです。ですから、占いを信じ安易に自分の人生を賭けてしまうことほど危険なことはありません。
 初めは軽い気持ちで占ってもらっていたのに、占い師に洗脳されてしまうなど、占いを信じたことによってかえって苦悩が増すことも多いのです。
 特に日蓮正宗の信徒にとって、占いを信じると言う事は、御本尊様以外を信じることになりますので謗法になります。
 皆さんの周りに、占いを信じている人、占い師や予言者に傾倒している人がいたら、大聖人様の正しい法をどうか教えてあげて下さい。

 

平成新編 日蓮大聖人御書(大石寺)

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妙法七字拝仰 上巻

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妙法七字拝仰 下巻

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