親に笑顔を贈りましょう

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【親によき物を与へんと思ひて、せめてやる事なくば一日に二三度えみて向かへとなり】
  親に笑顔を贈りましょう

【親には笑顔で】
 大聖人の『上野殿御消息』南条時光殿への御手紙の中に、
「父母に孝あれとは、たとひ親はものに覚えずとも、悪しざまなる事を云ふとも、聊(いささか)も腹も立てず、誤る顔を見せず、親の云ふ事に一分も違へず、親によき物を与へんと思ひて、せめてやる事なくば一日に二三度えみて向かへとなり。」(921頁)
という有名な御文があります。
 これは、一般世間で言われる儒教で説く孝養です。古来、儒教等では、四種の守るべきことを「四徳」として教え、その第一に父母への孝養をあげています。
『例え親が筋道の違うことをしたり、他人の悪口を言ったりするようなことがあっても、腹を立てたり気分を害したような素振りを少しでも見せてはならないこと、また、親の言うことに少しでも逆らってはならないこと、さらには、親に贈り物をすること、さらにまた、何もすることがないときでも、せめて日に二三度は笑顔を見せて親に向かうようにしなさい』と説かれています。
 ここで大聖人様は、世間一般に言われる「親孝行」について述べられております。
 これは、世法・仏法にかかわらず、人として生きて行く上で親孝行は大切なことである旨から挙げられたものです。
しかし、今の御指南を聞いて、「親の理不尽な振舞も全て受け容れなければならないのだろうか?」と疑問を持った方もいらっしゃるかと思います。
親と言っても聖人君子ではありませんから、失敗や勘違いもあれば、感情的になる事もあるでしょう。老いていきますから認知症など様々な症状も出てきます。傷付けられることもあるかも知れませんが、それでも親の存在無しに、私たちはこの世に出現しません。
 勝手に生んだという意見もありますが、正しい仏の教えによれば、過去世からの因縁によって、子供が親を選んで産まれてくるのです。
 また、親の立場からすると、「大聖人様もこう仰せなのだから、子供は親には逆らわず、素直に従うのだ。」と言いたくなるかもしれませんが、あくまでもこれは仏法以前の「儒教」の教えであることを忘れないようにしなければなりません。
 ただ、「例え親に何もしてあげることが出来ない時でも、笑顔を見せることは出来ますよね」と大聖人様は仰せになり、「それが親孝行になるのですよ」と教えて下さる御言葉は、御本仏の御教えとして心に留めておくべき大事な事柄です。


【『上野殿御消息』について】
 本抄は建治元年(1275)、日蓮大聖人が五十四歳の御時、身延から南条時光殿に与えられた御消息です。
 時光殿は七歳の時に、上野郷の地頭であった父を亡くしています。その後は信心強盛な母に支えられて、亡父の信仰を継ぎ、立派に成長するとともに、若くして地頭を継承しています。
 南条家では次々と子供達が亡くなり、様々な御苦労があったことが伺えます。本抄をいただいた時は十七歳でした。
 時光殿は、亡き兵衛七郎が念仏の信仰を捨てて日蓮大聖人様の信仰に入り、家族一同に南無妙法蓮華経と唱えることを勧めたことを忘れることなく、益々強盛に信仰に励んでおりました。
 特に、亡き父への思いから、常に大聖人様に追善供養を願い出られていたことが、御書を拝すれば明らかです。 
 大聖人は本抄で、時光殿が一家の中心として、母に孝養を尽くし、父の追善供養に励む孝行の厚き姿を賞(め)でられながら、さらなる人間的成長を期待されて、倫理の基本たる儒教の「四徳」と仏法の「四恩」を説き、人としての道を教えようとされたと拝されます。
 特に「四恩」の中でも、父母の恩について詳しく述べられ、時光殿が亡父の意志を継いで強盛な信心に励むことこそ、父母の恩を報うることになると激励されています。
 よって、本抄は別名を「四徳四恩御書」と称されます。
 法華経を信じ行ずる者は、おのずから「四徳」が備わり、この経を受持することは即「四恩」を報ずることになると説かれています。
 大聖人様は、時光殿の成長をたいへん喜ばれ、大いに期待なされ、その信心と人格のさらなる成長と錬磨のために「四徳・四恩」について、大慈大悲の御教導をあそばされたのです。
 時光殿が、後に大聖人様から「上野賢人」と賞賛されることは、本抄などの御指南を心肝に染められたからであると拝せられます。


【親の恩】
 大聖人様は様々なところで親の恩について御指南くださっていますが、この『上野殿御消息』では
「父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二渧(てい)和合して我が身となる。母の胎内に宿る事、二百七十日九月の間、三十七度死ぬるほどの苦みあり。生み落とす時、たへがたしと思ひ念ずる息、頂より出づる煙梵天に至る。さて生み落とされて乳をのむ事一百八十余石。三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば、先づ此の父と母との恩を報ずべし。父の恩の高き事須弥山も猶(なお)ひき(低)し。母の恩の深き事大海還って浅し。相構へて父母の恩を報ずべし。」(922頁)
と命がけで産んでくれた母や、我が身を顧みず育ててくれた父の、恩の高さと深さをお示しです。
 その上で、
釈尊は様々なお経を説いてきましたが、法華経こそが女人の成仏する教えなのです。法華経によって八歳の竜女が成仏したのであり、釈尊の叔母にあたる憍曇弥(きょうどんみ)は法華経勧持品第十三において、具足(ぐそく)千万光相(せんまんこうそう)如来(にょらい)の記別を受けることが叶ったのです。
 さて、我等の母のことを考えてみるに、間違いなく女性の身であります。また畜生界の衆生でもなく、蛇の姿もしておりません。八歳のしかも畜生界の衆生である竜女が仏に成ることが叶ったのですから、どうしてこの法華経の功徳によって我が母が仏に成らないことがありましょうや。そのようなことから、法華経を持つ人は、父と母の恩に報いていることになるのです。我が心では父母の恩に報いていると思っていなくとも、法華経の仏力と法力によって親孝行が叶っているのです。』(923頁 趣意)
と仰せられています。

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【四徳・四恩について】
 大聖人様が、仏教の教えではない外典儒教)の四徳を説かれる訳は、「人は信心をしていればそれでよいというものではなく、実生活の中での振る舞いが大切」であるからです。
 外典三千巻に示されるところは「人の道」であり、その肝要が「四徳」であることを御教示なのです。
 大聖人様が外典に説かれる「四徳」によって人の道を示されることを不可解に感じる方もいるかもしれませんが、外典とは言え、実は仏教から顕れて来たのであり、真意は仏教と一体なのです。
 したがって私たちも、常の振る舞いには「四徳」をもって手本とすべきなのです。
 ここで「四徳」それぞれについての、大聖人様の説明を拝してみます。
1「父母に孝行あれ」
最初に述べましたが、親は、たとえどのような人であろうと、言うことや行うことに違わず腹を立てず、いつも微笑んであげなさいと説かれています。
2「主君に忠義あれ」
主人に対しては少しもうしろめたいことをしてはいけません。たとえ身命に及ぶことがあっても、主君にはよかれと思い尽くすことです。隠れての信義があれは、必ず徳となって顕れます。
3「友に礼儀あれ」
いつも会う親しい友人でも、はるばる千里を訪ねて来た人のように礼儀を尽くすことです。
4「劣れる者に慈悲あれ」
自分より劣れる者であっても驕り高ぶって軽んじたりすることなく、我が子のように思って哀れみ、慈悲をもって接してあげることです。
このように、四徳の本質は慈悲の心にあります。ですから常に豊かな唱題行によって自分の命に慈悲の心を満たし、四徳を修することを、まず自分自身が心がけなくてはなりません。
 そして子供たちにも教え、講中の育成の基本としていかねばなりません。

 次に、仏教の四恩はよく知られるところです。その名目を挙げれば、
1父母の恩
2国主の恩
3一切衆生の恩
三宝の恩
です。
 特に仏法僧の三宝への知恩報恩が大事であるところから、法華経三宝が最も勝れていることを明かされています。その際、本抄が時光殿と共に母君も御覧になることに配慮されて、女人成仏が唯一叶う教えが、法華経であり、お題目であることをお示しです。
 四恩の最初も四徳と同じく父母の恩です。しかし四徳は生きている父母への孝養は説きますが、亡くなった父母への追善供養は、正しい仏法でなければ叶いません。さらに法華経以外の経典では、女人は成仏できませんから、結局一切衆生の恩も報ずることができないのです。
 大聖人様が、八歳の竜女や釈尊の叔母を挙げられたのは、法華経以前の教えでは不可能とされていた、犬や猫などの動物を含む畜生界の衆生と、人界であっても女人の即身成仏が法華経において初めて明かされました。
 これは、一切衆生の成仏の道が法華経によって開かれたことであり、これこそが他の経々に比べて法華経が勝れた教えであることを、時光殿を通して、末代の弟子檀那に大聖人様が教えて下さるところです。故に法華経を受持することが、自分で父母の恩を報じていると思わなくても、法華経三宝の絶大威力により報恩に当たるのです。
 法華経三宝の恩を知り、その報恩の道を知ってこそ四恩報謝であり、一切の報恩が叶うのです。
 さらに、大聖人様は、この経を強く信ずる者を、釈迦・多宝・十方の諸仏をはじめ十羅刹女にいたるまで、影の身に添うごとく、必ず守護するのであるから、信心強盛ならば、現世安穏・後世善処は疑いないと、信心を励まされています。
※《日蓮正宗三宝
仏宝…日蓮大聖人
法宝…本門戒壇の大御本尊様
僧宝…日興上人以下御歴代の猊下


【真実の孝行はお題目と実践である】
 大聖人様の教えを拝する限り、親への感謝の気持ちはあっても、その思いをなかなか行動に表すことが出来なくとも、私たちが御本尊様を持ち、折伏と唱題に励む姿こそ、真実の親孝行であると言えます。
 また、真面目に信心に励んでいけば仏様の功徳によって、自然に親と笑顔で接することが出来たり、感謝を行動で顕したり出来るようになります。
 ことに、親が亡くなった後であれば尚更です。生前に孝養の誠を尽くしたと言っても、なお悔いるのが人としての心です。そのようなときにも、「日蓮正宗の信仰を貫けば亡き親が喜んでくれる」「最高の供養をしてあげられる」と前向きに励むことができます。

 先月は母の日で、今月は父の日です。皆さんの身近な家族・親族をはじめ、世の中のあらゆる人々に真実の親孝行を考え、日蓮大聖人様の信仰に導くことが私たちの使命です。
御精進をお祈りいたします。     

平成三十年六月度 御報恩御講拝読御書

     持妙法華問答抄   弘長三年 四十二歳

 寂光の都ならずば、何いずくも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて何事か楽しみなるべき。願わくは「現世安穏後生善処」の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後世の弄引なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき。
  
                        (御書三〇〇㌻七行目~九行目)

 

 

日寛上人御書文段

日寛上人御書文段

 
平成新編日蓮大聖人御書

平成新編日蓮大聖人御書

 
六巻抄

六巻抄

 
一念三千法門

一念三千法門