第1回支部総登山に参詣してきました

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今日は一日中、好天に恵まれました。

久しぶりに家族そろって御開扉を賜ることができ、感激の一日でした。

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戒壇の大御本尊様に参詣いたしますと、日々の生活で心に溜まった汚れがきれいになりました。

清々しい気持ちになって帰ってくることができました。

感謝しかありません。

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晴れた日の富士山はいつ見ても美しい

静岡側の富士山の雪が少ないのは、雨があまり降らなくて風で吹き飛ばされたからだとか・・・。朝に立ち寄った西村屋さんの店員さんが教えてくれました。

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西村屋さんのとろろ定食

ボリューム満点のとろろ定食は、いつ食べても絶品です。ご飯もおかわりしてしまいました(朝10時までのみのサービス)。

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早朝の人気のない塔中参道もきれいな景色でした

桜の花が満開の時にも来てみたいですね。

法華講の皆さんと、和気藹々とした雰囲気の道中は良い思い出になりました。

今生人界の思い出というのは、総本山大石寺への感謝と感動でありたいものです。

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富士の清流に手を付けてみたら、冷たかったです。

私の登山の楽しみはもう一つ。

書籍を手にとっての購入です。

今回は2冊の書籍を購入しました。

近現代における戒壇問題の経緯と真義―総本山第六十七世日顕上人猊下御講義

と 

百六箇種脱對見拜述記

百六箇種脱對見拜述記

 

です。

近現代における戒壇問題の経緯と真義―総本山第六十七世日顕上人猊下御講義は、帰りのバスの中で拝読させていただきました。

顕正会員としては、必読の書であると思いました。

創価学会顕正会の異流儀化の原因は、正本堂の意義付けに起因しているという見方もありますが、二代の猊下様がどのようにお考えになっておられたのかがよくわかりました。

信徒の慰撫教導と激励に、懸命に取り組んでおられた御胸中が伝わってきて、顕正会側で邪難に加担していた過去の愚かな自分に向き合うことができました。

浅井昭衛は上から目線で、この日顕猊下様の苦悩や迷いをあざ笑っておりましたが、その場その場で最も最良だと思う決断をしてこられた、御宗門トップの御苦衷は野心という修羅界に染まり、自分の慢心の姿に気づかずじまいだった、池田・浅井の両人には一生かけても解らないでしょう。

真摯さという信心姿勢を学ぶことができました。

日顕猊下様は、自分の過去の言動に悔いる心をお持ちです。これが人として最も大切な部分だとも思うのです。

釈尊法華経の『不軽菩薩品第二十』に、

「我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし。」(法華経五〇〇㌻)

と説かれるように、不軽菩薩の振る舞いを心がけて折伏し、私達の過去遠々劫の罪障からくる軽率な言動と慢心を押さえ、相手の仏性を敬い長所を見つめながら折伏することが大事です。

 日蓮大聖人も『崇峻天皇御書』に、

法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。」(御書一一七四㌻)

と不軽菩薩のように人を敬いながら折伏することが大切な振る舞いであると御指南です。不軽菩薩の人を敬う振る舞いを忘れた折伏には、様々な弊害を生じさせます。折伏時の振る舞いは、非常に大事なことであり折伏する相手に影響もあります。そのために不軽菩薩の軽蔑することなく他人を敬う振る舞いが大切です。

 不軽菩薩の振る舞いを実行することで徳を積むことができます。不軽菩薩はその功徳により、大神通力、楽説弁力、大善寂力を得ることができました。
 大神通力とは、身に神通力を示現すること。
 楽説弁力とは、自在無礙に弁舌する力。 

 大善寂力とは、心に禅定、すなわち心を静め真理を観察し、心身ともに動揺することがなく、安定した状態を得ることです。

もう一度肝に銘じなければならないと、反省されられた一日でした。