大聖人様の御指南に基づく、人間として生まれた幸福境涯とはどんなものだろうか?

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夫婦で食事や晩酌を楽しむことに優る喜びはございません。

かまへて・かまへて御用心候べし、いよいよ・にくむ人人ねらひ候らん、御さかもり夜は一向に止め給へ、只女房と酒うち飲んで・なにの御不足あるべき、他人のひるの御さかもりおこたるべからず、酒を離れて・ねらうひま有るべからず、返す返す、恐恐謹言。(主君耳入此法門免与同罪事)

法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり、ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず、ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ、苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ、恐恐謹言。(四条金吾殿御返事)

多宝塔中にして二仏並坐の時・上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗ひろめ申すなり、此れ即ち上行菩薩の御使いか、貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや、法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや、女房にも此の由を云ひふくめて日月・両眼・さうのつばさと調ひ給へ、日月あらば冥途あるべきや両眼あらば三仏の顔貌拝見疑なし、さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ばん事・須臾刹那なるべし(四条金吾殿御返事)

四条金吾殿は大聖人様に愛されていたんですね。

うらやましい限りです。

四条殿にあこがれた人、多いと思います。

創価・顕正で功徳乞食があこがれるような、栄耀栄華を満喫する成功者ではないですよね。創価・顕正があこがれるのは名聞名利の士ですから。孔子様ですら否定しているというのに。。。

陽貨第十七 13 子曰郷原德之賊也章

447(17-13)
子曰。郷原德之賊也。
わく、郷原きょうげんとくぞくなり。
現代語訳
  • 先生 ――「ほめられ者は道徳の敵だ。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「一郷いちごうでのりちものといわれる者が、かえって徳をそこなう八方はっぽうじんわせ者ぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「郷党のほめられ者の中には、得てして、道義の賊がいるものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 郷原 … えせ君子。偽善者。「郷」は田舎。「原」は「げん」と同じで実直。
  • 徳之賊 … 真の徳を乱し害する者。
余説
  • 郷原 … 『集注』には「郷とは、鄙俗の意。原は、愿と同じ。荀子原愨げんかくは、注に読みて愿に作る、是れなり。郷原は郷人の愿なる者なり。蓋し其の流を同じくして汚に合して以て世に媚ぶ。故に郷人の中に在りて、独り愿を以て称せらる」(郷者、鄙俗之意。原與愿同。荀子原愨、注讀作愿是也。郷原郷人之愿者也。蓋其同流合汙以媚於世。故在郷人之中獨以愿稱)とあり、「田舎者で、俗人に媚びる人格者気どりの者」であると解釈している。
  • 徳之賊 … 『集注』には「夫子其の徳に似て徳に非ずして、反て徳を乱るを以て、故に以て徳の賊と為して、深く之を悪む」(夫子以其似德非德、而反亂乎德、故以爲德之賊、而深惡之)とある。荻生徂徠は「徳之賊也は、徳を賊するを謂うなり。有徳の人を賊害するを言うなり」(德之賊也。謂賊德也。言賊害有德之人也)と言っている。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 孟子』盡心下に「ばんしょうわく、いっきょうみな原人げんじんしょうす、ところとして原人げんじんらざるし。こうもっとくぞくすは、なんぞや、と。わく、これとせんにぐべきく、これそしらんにそしるべきし。りゅうぞくおなじくし、せいがっす。これることちゅうしんこれおこなうこと廉潔れんけつたり。しゅうみなこれよろこび、みずかもっすも、しかともぎょうしゅんみちるべからず。ゆえとくぞくうなり」(萬章曰、一郷皆稱原人焉、無所往而不爲原人。孔子以爲德之賊、何哉。曰、非之無舉也、刺之無刺也。同乎流俗、合乎汙世。居之似忠信、行之似廉潔。衆皆悦之、自以爲是、而不可與入堯舜之道。故曰德之賊也)とあり、この章の孔子の言葉の説明となっている。

大聖人様が四条殿に対して「強盛の大信力をいだして法華宗四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや、女房にも此の由を云ひふくめて日月・両眼・さうのつばさと調ひ給へ」と御指南されたのは、決して単なる「いい人」ととして虚名を得なさいと言われているのではないことは、前後の文章を読めば一目瞭然だとは思うのですが。

世間的な評判とか、高収入とか、地位とか・・・そうじゃないと思うのです。「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず」との御金言がその証拠でしょう。

私が思いますに、夫婦円満・家庭円満こそが人界第一の極楽浄土ではないだろうかと。

以前の私の家庭は、酒乱の巷でした。

幼少期の創価時代は、酒に酔って暴れる父と、暴力を振るわれる母・私。

顕正会時代は、私が酒に酔って家族に暴力を振るっておりました。

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それが、今では夜の晩酌が何よりの楽しみになりました。夫婦で毎日、笑い転げております。このひと時の為に、生き、働いておるように感じております。

女房が笑う顔を見るのが一番の幸せであります。

慢心した創価・顕正の男子諸君が読めば、「へ!しょうもない」とか、鼻で笑いそうですが。。。

それでもかまいません。

誰かを蹴落として得られる幸せでもなく、誰かを見下し泣かせて得るものでもないのですから。

女性ならば、私の女房のような人生が幸せなのではないでしょうか?嫁さんに聞いてみたら、幸せですと答えてくれました。自画自賛ではありません。

大聖人様は、後世に四条殿へのお手紙を数多く残してくださっております。

それは、四条金吾さんという、熱い心と人情と、愛すべき欠点を持った、末法の凡夫が鑑とすべき人材を通して、私たちを導いてくださっているのだと思うべきではないでしょうか?

自受法楽は、私たちの手の届かないところにではなく、信仰の寸心次第ですぐそばに見つかるものだと、教えてくださっているのだと思うのです。

創価学会員は御書根本と息巻く前に、御書を読みましょう。そして気づきましょう。本当の大聖人様の教えに。 

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