『古事記』に込められた先人からのメッセージ

 

 

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古事記のいのち: 国文研叢書 No.1

古事記のいのち: 国文研叢書 No.1

 

古代国家の復活、再生といふ悲願をこめて綴られた『古事記』は、我々に「復古・維新の精神」を活き活きと語りかけている。
■1.『古事記』に込められた「復古・維新の精神」

 春にあけて先(ま)づ看(み)る書(ふみ)も天地(あめつち)の始(はじめ)の時と読みいづるかな

 幕末の歌人・橘曙覧(たちばな・あけみ)の歌である。新年の最初に開く書が、天地の始めの時を語った『古事記』であるというのは、いかにも年の始めにふさわしい清新な趣だ。

 橘曙覧は「本居派の国学を学び、王政復古を希求」(『日本国語大辞典』)したとされている。『古事記伝』を表した本居宣長の孫弟子にあたり、明治維新が王政復古を実現し、明治天皇を中心に国民が一丸となって近代化に邁進できたのも、こういう人々の努力があったからだろう。

 しかし、考えてみれば、『古事記』が復古と維新の精神を甦らせた、と言っても、当時すでに千年以上も前の本が、どうしてそんな力を持ち得たのだろうか? 

 最近、キンドル版で再刊された国文研国民文化研究会)叢書No.1、夜久正雄・亜細亜大学名誉教授の『古事記のいのち』[1]の中に、その答えがあった。夜久教授は、『古事記』自体が「復古・維新の精神」の再生を願って書かれた、というのである。

古事記』の編纂は天武天皇(御在位673-686年)が命ぜられたのだが、御即位の10年前、663年には百済救援のために半島に赴いた大和朝廷の軍勢が、唐・新羅連合軍に大敗した白村江の戦いがあった。

 その後、大陸から日本列島への侵攻があるかとの危機意識のもとで九州・太宰府に水城や山城が築かれ、東国の防人たちが防衛の任についた。また、ご即位の前年、672年には壬申の乱があり、国内政治も動揺を続けていた。

 国家の危機と動揺の中で、国民は頼るべき「根っこ」を求める。その「根っこ」を、当時の人々は「わが国はいかに建国されたのか」という神話と伝承に求めたのだろう。幕末の志士たちは、かく書かれた『古事記』から、その「復古・維新の精神』を汲み取って、明治維新の指導的精神とした。

 とすれば、『古事記』を神話と伝承を書き表した古典文学としてのみ読んだのでは、編纂者たちの心から離れた読み方になってしまう。彼ら編纂者たちは、日本の建国にまつわる神話・伝承の中に何を見いだし、どう感じて、この書を遺したのか、そういう読み方を夜久教授はされているのである。


■2.「いはゆる聖人、君子などは一人もをらず」

 それでは『古事記』に現れた「復古・維新の精神」とはどのようなものか? 夜久教授の指摘を見てみよう。

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 従って『古事記』に出てくる英雄や神々を見てみますと、いはゆる聖人、君子などは一人もをらず、文字通り悲劇的な英雄であって、煩悶にもだへ苦しみに悩み、また失敗もあれば挫折もある、いはば、人が経験するであらうと思はれるあらゆる苦難を人間らしく経験してゐるのです。[1, p94]
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「煩悶にもだへ苦しみに悩み、また失敗もあれば挫折もある」英雄の典型が「倭建命(ヤマトタケルノミコト)」である。倭建命の生涯については、弊誌584号「日本武尊 〜「安国(やすくに)」への道」[a]に紹介しておいたので、参照戴きたい。(「日本武尊」は『日本書紀』での表記であり、『古事記』では「倭建命」。和訓は同じ。)

 倭建命について、夜久教授は次のように紹介している。

__________
 さて、具体的に皆さんといっしょに、倭建命のところを読んでみませう。まず倭建命は『古事記』の中でどういふ役割を果してゐるか、といひますと、日本の国内の統一といふ大事業を成就した英雄として描かれてゐます。大和の国を中心にして興ってきた原始日本を、いまの関東地方と九州とを合せて、拡大統一して日本国家にしたのが、倭建命の東西遠征の事業となってゐます。
勿論この統一事業は、一人二人の英雄のみによってできる業績ではないので、ながい間に累積された国民全体の歴史的努力の結果によって成就されたものとみるのが至当です。ですから倭建命の背景には、全国統一に努力した、幾百万の日本人の祖先の声がこもってゐる、と考へなければなりません。
そして、その幾百万の祖先たちの国家創成への足跡は、決して生ま易しいものではなかったはずで、沢山の悲劇を伴ふ努力であったのでせう。それゆゑに倭建命の御生涯はもとよりのこと、その御最期についての記述にいたっては、まことに悲劇的な情景を展開しての記述になってゐます。[1, p96]
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■3.最期の望郷の歌

 その倭建命の御最期の状況を夜久教授の解説を通じて、たどってみよう。命は父・景行天皇の東国の「荒ぶる神とまつろはぬ人等を言向け平らげよ」との命令を果たして、大和に帰る途中、今の三重県のあたりで亡くなるのだが、その時に数首の歌を詠む。まず最初の歌は:

 倭(やまと)は 国のまほろば、
 たたなづく 青垣(あおがき)、
 山隠(ごも)れる 倭(やまと)し美(うるはし)し

 この歌について、夜久教授は次のように書かれている。

__________
 この最初の歌は〈大和は日本の一番いいところだ。幾重にも重なってゐる青い垣根、山の中にこもってゐる大和は実に美しい〉といふ意味で、自分の故郷の大和の国を讃へた歌なのです。能煩野(のぼの)といふと三重県鈴鹿郡ですから、大和までほんのわづかといふ近くまでお帰りになったのです。
「たぎたぎしく」なった足をひきずって帰郷して来た英雄が、大和の国を間近かにのぞんでよんだ歌──この歌にも、その当時の人々の大和の国に対する非常な愛着が表はれてゐるのでせう。故郷といふもの、そこへ帰ってくれば、もう敵の土地とは違ふのだ、といふ感じ、それがここによくあらはれてゐるのではないでせうか。[1, p110]
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 この歌の音数は、4、7、5、4、6と字足らずが続き、最後には8音と字余りで終わる。足を引きずりながら、あえぎあえぎ歩く倭建命が、乱れた息の中で故郷を思いながら詠んだ歌だろう。

 九州から関東地方までという日本国の統一のためには、故郷を離れ、異郷でいのちを落とした武人たちも少なくなかったはずだ。倭建命のこの歌は、そういう人々を偲びつつ、歌い継がれてきたものだろう。「倭建命の背景には、全国統一に努力した、幾百万の日本人の祖先の声がこもってゐる」とは、こういう事である。


■4.「死んでゆく人が、残る者の祝福をしてゐる」

 倭建命が次に詠んだ歌は(通常テキストで表記できない漢字があるので、一部、ひらがなとしている):

 命(いのち)の 全(また)けむ人は、
 畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の
 くまかしが葉を
 うずに挿(さ)せ。その子。

__________
 つぎの「命の全けむ人は…」の歌について。「畳薦』は〈平群〉にかかる枕詞ですから〈命を最後まで全うする人、命を全うして凱旋する人々は、平群の山(奈良県の山)のくまかしの葉を髪にさす飾りとして挿しなさいよ、おい皆んなよ〉といふ意味です。
自分はここで死んでしまふけれども、国に帰ったらくまかしの葉を頭にさして命の長くなることを祝へよ、といったのです。[1, p110]
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 くまかしの葉を髪に挿すとは、『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』の注釈では「大きな樫。樫の常緑の葉を髪に挿すのは、その生命力につながるための共感呪術」と、説明されている。[2,p234]。

 夜久教授の説明はこう続く。

__________
死んでゆく人が、残る者の祝福をしてゐる、といふのです。死に臨んで、悲しみに耐へて、心豊かに生存者の上に心を馳せるこの心の広さは、実に深い愛情を現はしてゐるではありませんか。
自分が死んでゆくときに、残る人の祝福を祈るといふことは、容易にできうることではなく、この歌は、倭建命の御生涯の、苦難のはてに辿りつかれた一つの愛の極致の心境といふものをあらはしてゐるのでせう。そして、さうした御心境に、日本民族は深い尊敬と憧憬の念を捧げてきたものと思はれます。[1, p110]
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■5.「なつかしい、わが家の方から、雲が」

 倭建命の最期の歌詠みは、こう閉じられる。

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「また歌よみしたまひしく、

 はしけやし 吾家(わぎへ)の方(かた)よ 雲居(くもゐ)起ち来も。

こは片歌なり。この時御病いと急(にはか)になりぬ。ここに御歌よみしたまひしく、

 嬢子(おとめ)の床の邊(べ)に
 吾が置きし つるぎの大刀(たち)、
 その大刀はや。  

と歌ひ竟(を)へて、すなはち崩(かむあが)りたまひき。ここに駅使(はやまづかひ)を上りき。」
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「はしけやし」の歌は、「なつかしい、わが家の方から、雲がこちらへ湧き起ってくるよ」という意味で、[2]では次のように解釈している。

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 雲は生命力の発現。それが自分を包み込まんとするかのように自分の方にやって来ると歌う。大和に回帰しようとする願いがそこに形象されている。[2, p234]
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■6.「その大刀はや」

 最後の歌の「その大刀はや」には、次の注釈がある。

__________
「はや」は「あづまはや」の「はや」と同じ。大刀を、自分から離れてしまったものとして哀惜する。それは、美夜受比売への思いを込めたものであるとともに、大刀とともにあった、苦難を含む東征全体に対して向けられたものである。辞世というにふさわしい。[2,p234]
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 夜久教授も、この最後の歌をこう評する。

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 この歌が倭建命の辞世の歌となったのですが、この辞世の御歌こそ、まぎれもなくみことの恋愛と戦闘との激しい御生涯を、一首に集約してゐるやうに思はれます。[1, p112]
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 また、最後の一文については、こう言われる。

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 また「歌ひ竟へてすなはち崩(かむあが)りたまひき」といふところにも、日本人の「冥想によって悟りを開く」といふこととは別の、人生に没頭して最期の瞬間まで努力して、「息絶えて逝く」といふ、非常に強い現実主義の心境が、如実に現はれてゐます。
死ぬ最期まで力いっばいの努力を尽して、そして死んでゆく、さういふ生命が、積み重ね積み重ねられていく、それこそ人生なのだ、と信じて、最期まで努力を尽すのです。
いまはの極限まで、生命を生きぬいていくといふ姿。別に神の救ひを呼ぶのではない。文字通り、うたひをへると同時に息が絶えた、といふ、さういふ生涯といふものに、古代の人は非常な価値を認めたもののやうです。[1, p112]
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■7.『古事記』のいのち

 倭建命の最期に、わが先人たちは限りない愛惜の念を抱いてきた。

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 また東の方へ行って散々乱暴してめでたく帰ってきた、といふのでは英雄でもなんでもない。人間の真実の心のままに従ひながら、しかし自己一身の感情をこえて、一つの大きな国の生命の流れといふものの中に、身を捧げていったからこそ、始めて真の英雄といふ資格を獲得するのだと思ひます。[1, p102]
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 日本国の建設には、命のような真の英雄が無数にいただろう。「その英雄を書くといふことが、『古事記』の一つの目的であったのです」と、夜久教授は言う。

 先祖のそうした英雄的精神を思い出し、その精神で国家の危機を乗り越えようとしたのが、『古事記』に込められた「復古・維新の精神」だった。夜久教授は編纂者・太安万侶(おほのやすまろ)の書いた序文を辿りつつ、こう結んでいる。

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・・・安万侶のいふ歴史の真実の、さらにその背景にある民族の生き生きとした生命と、古代国家の復活、再生といふ悲願をこめて綴られ書き上げられていった『古事記』そのものの生命を、『古事記のいのち』として感受したいものです。[1, p272]
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 現代の我々も、外からは中国の軍事的圧力や北朝鮮の核ミサイル、内には反国家・伝統否定の思想の蔓延する国家的危機を迎えている。それらを乗り越えるための先人からのメッセージが『古事記』というタイムカプセルに込められている。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(584) 日本武尊 〜「安国(やすくに)」への道
 日本武尊は大君から「服(まつろ)わぬ者共を言(こと)向け和(やわ)せ」と命ぜられた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h21/jog584.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 夜久 正雄『古事記のいのち』★★★、Kindle版、国文研叢書、S41, H30復刻
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B07LGRPFY5/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

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