2019年の新年、あけましておめでとうございます。

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皆さま、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今日から2019年が始まりました。

4月までは平成31年が続きます。

元号は何になるのか楽しみですね。

皆様は新年をいかがお過ごしでしょうか?

昨夜の新年勤行会に行ってきたという方、今朝、参詣してきたよ!という方。

それぞれ信徒としての新年をお迎えのことと思います。

私といいますと、年末からお正月三箇日は仕事です。

この記事は夕方から出勤となる、12/30に書いております。

いわゆる、予約投稿というやつです。

が、新年に至った気持ちで、「一年の計は元旦にあり」ということで。。。

一年の計画を立ててみたいと思います。(ノ∀\*)

 

箇条書きにしてみましたが、この四つを目標に頑張ってみたいと思います。

2月の支部総登山での大石寺参詣

仕事の忙しさにかまけて、大石寺への参詣が遠のいてしまっています。

当初は年に8回も参詣したこともあったのですが。

日帰り登山でも3日連続で休暇を取得しないと、安心して参詣できません。

国内といってもかなり遠方ですので。

早めに職場と相談して、なんとか御戒壇様の御元へ参詣したいです。

アダムスミス「道徳感情論」を再考

誰も語らない、トランプ現象を生み出した「歴史の原理」とは何か?(管賀 江留郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

「サイコパス」はなぜここまで人を惹きつけてしまうのか(管賀 江留郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

若者が爆発的に増えると、なぜ国や社会は「甚大な危機」に陥るのか(管賀 江留郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

いちいち頭で冷静に考えて行動する人は、なぜすぐに淘汰されるのか(管賀 江留郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

誰も読み解けなかったブッダの「真の教え」をいま明かそう(管賀 江留郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

管賀 江留郎さんの、現代ビジネスに投稿された一連の記事を読んで、アダムスミスの出世の本懐が「道徳感情論」であったことを確信しました。

また、「道徳感情論」は単なる哲学書ではなく、激動の世界を読み解き、危機を回避するための処方箋であることに気づかされました。

たんなる倫理的な本と思って読むと、冗長な文章の大著としか思えなかった、この本が生き生きとした活学の書に見えてきました。

また、後世の誤解を恐れて、「道徳感情論」「国富論」以外の未刊行の草稿は全て焼却処分してしまったという逸話も、まるで寛尊の故事に似ているような気がして、いたく感動させられてしまったわけであります。

道徳感情は人類が類として命脈を保つために、長年月をかけて獲得してきた「チームワーク」という戦略だったのです。ですから、資本主義のような金儲け主義のシステムが肥大すると、大多数の割を食った側に不満が鬱積し、逆に大動乱が生じてしまうのだそうな。

進化人類学も存在していない時代に、ブッダは2500年前、アダムスミスは250年前に、このことを見抜き、認知バイアスを克服する方法を編み出していたというのです。

管賀 江留郎さんの道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心は残念ながら古書しか在庫がありません。

「拙著『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』は、思わぬ顛末から『道徳感情論』の鍵を授かり、その扉を開いてしまったのでした。スミスさんはべつに鍵も扉も付けてないんですが、何故か最も大切な処が誰にも見えないようになっているのです。これこそまさしく、認知バイアスの為せるわざではあります」

社会・人文科学の大統一理論という、その叡智を読み解く鍵は、アダムスミスから授かったと、当人も述べていますので、私もこの視点から再読・再考してみたいと思います。

3 ブログの継続

私にとって、ブログは自己探究の一環です。また、私なりの普段着の折伏でもあります。休日の多くの時間をブログ作成に費やすようになりました。

問うて曰く経文並に天台章安等の解釈は疑網無し但し火を以て水と云い墨を以て白しと云う設い仏説為りと雖も信を取り難し、今数ば他面を見るに但人界に限つて余界を見ず自面も亦復是くの如し如何が信心を立てんや、答う数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり、瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。
 問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、四聖は全く見えざるは如何、答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万が一之を宣べん、所以世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。如来滅後五五百歳始観心本尊抄

人界に生を受け、ありがたいことに日蓮大聖人様の仏法に出会えました。毎日の記事では自分の雑多な所見を書いておりますが、日蓮正宗の正統なお話は以下の目次ページをご参照ください。 

nichirendaihonin.hatenablog.com 

nichirendaihonin.hatenablog.com

 「瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり」「所以世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ」「法華経の文に人界を説いて云く『衆生をして仏知見を開かしめんと欲す』」と観心本尊抄に説かれておりますが、これは十界互具の妙理です。仏知見を自らも開き、他人にも共感してもらうというのが、私の願いです。 

一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。崇峻天皇御書)

ブログというのは、日記形式で自分の考えを記録していくツールです。

日々・時々刻々と変転する心法の記録がブログです。

アーカイブすれば矛盾も見つかるでしょう。

でも、それが人界の互具する十界というものだとも思います。

日蓮正宗の信心を継続することで、

日蓮等の類い妙法の薬を煩悩の草に受くるなり煩悩即菩提生死即涅槃と覚らしむるを喩とは云うなり、釈に云く「喩とは暁訓なり」と薬草喩とは我等行者の事なり。(御義口伝巻上 第一薬草喩品の事)

正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり(当体義抄)

との御金言を実現していくことができるのです。私は、創価学会(破門前)・顕正会では実感できなかった、本物の仏法の功徳を積ませていただき、またその余慶として生活も守られるようになり、心法も 「平かなるは人なり」になってきました。

どうか多くの創価・顕正のざわつく心に響きますように。

願いを込めながら、継続していきたいと思っています。

日蓮正宗 寺院紹介 全国

初詣で謗法の寺社に詣でぬようお気を付けください。

日蓮正宗寺院では年末年始、勤行会を実施しているはずですから、アポを取ってお近くの寺院を訪ねてみましょう。それだけでも仏縁を得ることができます。

本尊供養御書 建治二年十二月 五十五歳御作
 与南条平七郎
 法華経御本尊御供養の御僧膳料の米一駄・蹲鴟一駄・送り給び候い畢んぬ、法華経の文字は六万九千三百八十四字・一一の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども仏の御眼には一一に皆御仏なり、譬えば金粟王と申せし国王は沙を金となし・釈摩男と申せし人は石を珠と成し給ふ、玉泉に入りぬる木は瑠璃と成る・大海に入りぬる水は皆鹹し、須弥山に近づく鳥は金色となるなり、阿伽陀薬は毒を薬となす、法華経の不思議も又是くの如し凡夫を仏に成し給ふ、蕪は鶉となり・山の芋はうなぎとなる・世間の不思議以て是くの如し。
 何に況や法華経の御力をや、犀の角を身に帯すれば大海に入るに水・身を去る事五尺、栴檀と申す香を身にぬれば大火に入るに焼くること無し、法華経を持ちまいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず八熱地獄の大火にも焼けず、法華経の第七に云く「火も焼くこと能わず水も漂すこと能わず」等云云、事多しと申せども年せまり御使急ぎ候へば筆を留候い畢んぬ。
 建治二年丙子十二月 日 日 蓮 花押
 南条平七郎殿御返事 

4 仕事の継続

顕正会の害毒を克服して、現在の仕事を継続することを今年も目標にしたいと思います。

顕正会では勤労を軽視し、仏法優先なる邪見で人を惑わせます。

しかし、勤労なくして社会人としての成長はありません。

また、逆に創価学会では社会での実証などという言葉で、出世餓鬼のような思想を吹き込んでおります。これも、間違った思想です。

何かを犠牲にして、何かを成就するなどというような、アンバランスな円満でない考えは仏法とは違う考えではないでしょうか。

さで・をはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ、あなかしこあなかしこ、御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり、かへす・がへす御文の心こそ・をもいやられ候へ、恐恐謹言。(檀越某御返事)

まことの・みちは世間の事法にて候、金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」ととかれ涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を・妙楽大師は法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」との経文に引き合せて心をあらわされて候には・彼れ彼れの二経は深心の経経なれども彼の経経は・いまだ心あさくして法華経に及ばざれば・世間の法を仏法に依せてしらせて候、法華経はしからず・やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。
 爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし・草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず・心すなはち大地・大地則草木なり、爾前の経経の心は心のすむは月のごとし・心のきよきは花のごとし、法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり。
 此れをもつてしろしめせ、白米は白米にはあらず・すなはち命なり。(白米一俵御書) 

「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」「法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり。」「白米は白米にはあらず・すなはち命なり。」の御金言には、在家の職業観が御指南されております。また、当体義抄にて

問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、答う勿論なり経に云く「所謂諸法・乃至・本末究竟等」云云、妙楽大師釈して云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・十如は必ず十界・十界は必ず身土」と云云、天台云く「十如十界三千の諸法は今経の正体なるのみ」云云、南岳大師云く「云何なるを名けて妙法蓮華経と為すや答う妙とは衆生妙なるが故に法とは即ち是れ衆生法なるが故に」云云、又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。(当体義抄)

と御指南下されておりますが、諸法とは実相であり、実相は十如十界三千の諸法であることが分かります。つまり、正しい信心を信仰修業する者にとって、いやもっと言えば、信仰者=妙法蓮華の当体となるのです。謗法の創価・顕正ならびに邪教信仰者・無宗教者は該当いたしません。

問う一切衆生皆悉く妙法蓮華経の当体ならば我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや、答う当世の諸人之れ多しと雖も二人を出でず謂ゆる権教の人・実教の人なり而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云わる可からず実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華・真如の妙体是なり(当体義抄)

信心を正しく信仰していけば、自然に自分の天職に出会えるように環境が変化していきます。今の職場が良くなる場合もあれば、良い就職先が見つかる場合もあります。

真摯に大御本尊に御祈念していけば分かってきます。

法話聴聞覚え書き 第一話

法話聴聞覚え書き 第二話

などもご参考にしてください。

最後に皆様の今年一年のご多幸をお祈りして、本年最初のブログを終了させていただきます。

管賀 江留郎さんの、<道徳感情>で激動の世界を読み解く宣言にもお耳を傾けてみてください。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

誰も語らない、トランプ現象を生み出した「歴史の原理」とは何か?

道徳感情>で激動の世界を読み解く
 

すべての悲劇の原因は<道徳感情>だった

人間の正しい心がこの世で起るすべての悲劇の原因だとしたら、我々はどうすべきなのか。迷宮に迷い込んで怒濤の展開に脳髄を掻き回され全身全霊の震えを体験しつつ、そんな究極の問いに答を見つけたいという物好きな方は、拙著『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』を読んでみていただければ。

そもそもは、あるひとりの刑事の生き様に心ふるわされて執筆をはじめたものだったのですが、筆者自身が迷宮の深みに填り込んで息も絶え絶えにもがいてるうち、どうしたものだか、冤罪や殺人のみならず、テロや戦争、革命や全体主義、果ては大恐慌に至る人間の歴史を動かす原理がじつは<道徳感情>であるなどという、大統一理論を打ち立ててしまうことになったのでした。

これだけでも大胆不敵なる所業でありますのに、重ねて剛毅なることに、それらの悲劇の克服法まで説いております。宗教や哲学、数学や民主主義というのは、数百万年の進化が人類にもたらした<道徳感情>から来る認知バイアスを克服するため発達したのです。

原理をきちんと理解したうえで、それらを的確に使いこなせば、人類を滅亡から救うこともできる。あらゆる分野の知見を縦横無尽に駆使して新機軸を打ち出した総合知の1冊となっております。

まさしく、ニーチェもカントもプラトンも超えた史上最高の偉業と称えるべき珠玉の書物、一読するやたちまちにして、この世のすべてをその手につかみ取ることができる、人間の叡智の到達点と云えましょう。

もっとも、アダム・スミスが250年前に、さらにはブッダが2500年前に、すでに解き明していたことをまとめただけなんですが。

最近はアダム・スミスの『道徳感情論』が流行っておりまして、世界中でいろいろと解説本のたぐいが出ているのですが、この真に恐るべき核心に触れているものがまったくありません。肝心のところを誰も理解できていないのです。

道徳感情論 (講談社学術文庫)

拙著『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』は、思わぬ顛末から『道徳感情論』の鍵を授かり、その扉を開いてしまったのでした。スミスさんはべつに鍵も扉も付けてないんですが、何故か最も大切な処が誰にも見えないようになっているのです。これこそまさしく、認知バイアスの為せるわざではあります。

道徳感情論』の閉ざされた扉が開いただけでも全人類への恩寵と云えますが、2500年もの間、誰ひとりとして理解できなかったブッダの恐るべき真の教えが、この<道徳感情>と認知バイアスの組み合わせからすべて読み解けるようになったのです。ブッダは人間の正しい心がもたらす惨劇とその克服法を、すでに完璧に見抜いていたのでした。

500ページ以上の本書では、シャーロック・ホームズ張りの神業的犯罪分析を披露して難事件を次々解決する世界初のプロファイラー吉川澄一や、アクロバチックなレトリックを展開して青年将校たちを扇動し国政を引きづり回したあげくに明治維新以上の革命を安保闘争の影で成し遂げた清瀬一郎、はたまた内務省と司法省の暗躍などなど、これまでどの歴史家にも知られていなかった昭和史の裏面を掘り起こすことで、この道徳感情理論の裏付けをしております。

しかしながら、なにせ大統一理論でありますから、過去だけではなく現代の世界情勢もすべてこれだけで読み解けてしまう。そういうわけで、この際やってしまおうというのが、この企画となります。

米国でトランプが大統領になったり、欧州で急進的な左翼や右翼が台頭したり、中東でイスラム国が暴れたり、はたまた金融危機といった、このところの激動に対する反応を見ていると、日本だけではなく、海外の専門家も現在の情勢や歴史の原理をじつはまったく理解していないのでないかと思えるようになったからです。

政治や経済などの簡単な分野だけではなく、腐女子はなにゆえ関係性に萌えるのかという人類に突きつけられた最大の難問にもこの理論で正解を出すことになりますが、とりあえずのはじまりはトランプ現象の読み解きから。

引用:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51997