法華経を理解するために・・・現代語訳のご紹介
縁とは不思議なものですね。
休日の今日、久しぶりに書店をのぞきました。
初めは、ネットで知った福岡伸一さんの、西田哲学に関する本を探しに行ったのです。
福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一
- 作者: 池田善昭,福岡伸一
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2017/07/07
- メディア: 単行本
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が、なかなか見つけることができずにいましたら、書棚に植木雅俊さんの縮訳版「法華経」を見つけてしまいました。
まさに、これを読みなさいという啓示でも受けたかのような、信仰者にありがちな「運命を感じてしまう」感情が湧き起ってしまいまして・・・(笑)。
つい、購入してしまいました。
以前、サンスクリット語訳、漢訳、現代語訳、三訳対照本を購入したことがありました。
松岡正剛さんの千夜千冊で紹介されているのを見て、チャレンジ精神が沸々と湧いてきたのでしたが、本の分厚さと翻訳の冗長さに辟易してしまい(謝)、挫折してしまったのです。
それ以来、法華経の現代語訳からは遠ざかっていました。
まあ、言い訳としましては、鳩摩羅什訳じゃないとだめだから・・・みたいな。
でも、鳩摩羅什訳だけでは、いくら読み下しがついていても、私の理解力は及びませんでした。
御義口伝で読むんだよ!とのお叱りの声も聞こえてきそうですが、御義口伝から読んでも法華経のどの場面を指しているのか、法華経の通読経験がないと不可能です。
ということで、今回は植木さんの努力に敬意を表しつつ、その現代語訳を熟読玩味させていただこうと思うのです。
法華経という言葉を、創価学会の時も顕正会の時も、そして現在の法華講でもよく聞いてきました。
また、日蓮正宗の教学では、末法の法華経は戒壇の大御本尊様であることも、聞きかじってきました。
でも、一度くらいは、いや、何度でも通読できるようになりたいとも思っておりました。
鳩摩羅什訳・御義口伝にも死ぬまでには目を通したいと思っております。
大聖人様は法華経の身読(しんどく)をされたが故に、法華経の行者と御名乗りです。
今、末法が極限状態となりそうな、物騒な世界情勢・自然災害濫発の日本で、唯一正しいお題目(本門の題目)を唱えさせていただく身としまして、不勉強のままで終わりたくないという気持ちが、日々高じてきております。
なぜ生まれ、そして死んでいかねばならないのか?
そもそも"自分"とは何か?
人として生まれた以上、この究極の問いに答えを得ることはできないまでも、力の及ぶ限り考えつくして死ぬことが、凡夫の出世の本懐である「人のふるまい」だと考えるに至りました。
日蓮正宗の正統な「本門の題目」(戒壇の大御本尊様を信じ、血脈の通った御本尊様に唱える題目)についての、正当な御指南については拙ブログの過去記事をご参照ください。
nichirendaihonin.hatenablog.com
ちなみに植木さんは、本年4月にNHKの番組「100分de名著」で、解説者として御出演になったようです。