ダメおやじの語り「お前はホントに阿闍世だねぇ」:妙一尼御前御消息(平成新編御書八三一)

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法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」妙一尼御前御消息(平成新編御書八三二)

の御金言が有名な妙一尼御前御消息ですが、この御金言の中で大事なのは、「法華経を信ずる人は冬のごとし」なのか、「冬は必ず春となる」なのか。

法華経を信ずる人は冬のごとし」は因で、原因。

「冬は必ず春となる」は果、結果。

私のような凡夫ど真ん中の人間は、「冬は必ず春となる」が大好きです。

( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ

でも、そうじゃないでしょ。大事なのは「今でしょ!」。

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で、私は考えてみました。

なぜ、「法華経を信ずる人は冬のごとし」でなければならないのか?と。

法華経末法だから戒壇の御本尊様のこと)を信じるようになるのは、自分がツライ状況で、その苦境から脱することを願うからというのが、末法の凡夫の心だと思うのです。

昭和の敗戦後、雨後の筍のように新興宗教が流行しました。

その中で日蓮正宗創価学会が、功罪両面ともないながらも大躍進し、日本一の宗教団体と成長発展した原動力は、冬のごとき苦しみから脱したいと、藁をもつかむ思いで入信する人が多かったからです。

そして、訳も分からずすがりついた宗教が、唯一正しい日蓮正宗の信徒団体であったが故に、貧しさを克服し、病弱な体を頑健にし、家庭でも職場や学校でも光り輝く人材へと育っていったのです。

貧・病・争の吹き溜まりと、世間に嘲笑されながら懸命に、信心修行に励んだ草創期の創価学会員は、「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」の御金言を実証し、また、依正不二の原理により、日本国も敗戦の苦しみを乗り越え、経済発展を成し遂げていったのです。

しかし、1990年の池田スピーチ以降、創価学会員も日本の国も冬に逆戻りしつつあります。

平成初期のバブルの狂乱は、正しい信仰心を失った池田創価学会の、日蓮正宗を籠絡せんとする企みの御供養(200カ寺寄進)が原因だったと、後々気づかされました。

対照的に、バブル崩壊後、池田の乱心に乗じて教勢拡大を目論んだ男がいました。

それが、顕正会の浅井昭衛でした。

1990年代は日本にとって、第二の敗戦と呼ばれたほどの惨憺たる経済状況でした。

若者の就職は一気になくなり、バブルの主体であった不動産業だけでなく、老舗の銀行や証券会社、保険会社までもが倒産や廃業の憂き目にあったのです。

多くの若者が、戦後の創価学会に入信したように、顕正会に入会したのです。しかし、信じた法華経は偽物の法華経でしたので、冬から厳冬に落ち込んでいった人がほとんどでした。「冬は必ず春となる」とはならなかったのです。

結局、創価学会顕正会も、今では末法法華経たる「戒壇の大御本尊様」から、多くの人々を遠ざける魔民の集団となり、社会に害悪をまき散らし日蓮正宗への誤解や、偏見を助長する存在となっております。

さて、妙一尼御前御消息には阿闍世王のことが説かれております。

大覚世尊・御涅槃の時なげいてのたまはく・我涅槃すべし但心にかかる事は阿闍世王のみ、迦葉童子菩薩・仏に申さく仏は平等の慈悲なり一切衆生のためにいのちを惜み給うべし、いかにかきわけて阿闍世王一人と・をほせあるやらんと問いまいらせしかば、其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り是の七子の中に一子病に遇えり、父母の心平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云、天台摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば七子の父母平等ならざるには非ず然れども病者に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云・とこそ仏は答えさせ給いしか、文の心は人にはあまたの子あれども父母の心は病する子にありとなり、仏の御ためには一切衆生は皆子なり其の中罪ふかくして世間の父母をころし仏経のかたきとなる者は病子のごとし、しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり・我が大檀那たりし頻婆舎羅王をころし我がてきとなりしかば天もすてて日月に変いで地も頂かじとふるひ・万民みな仏法にそむき・他国より摩竭国をせむ、此等は偏に悪人・提婆達多を師とせるゆへなり、結句は今日より悪瘡身に出て三月の七日・無間地獄に堕つべし、これがかなしければ我涅槃せんこと心にかかるというなり、我阿闍世王をすくひなば一切の罪人・阿闍世王のごとしと・なげかせ給いき。

大聖人様は『涅槃経』の文と『摩訶止観』の釈とを引用されて、釈尊が涅槃に際し、阿闍世王のことが心にかかる、と仰せられたのは、父母の心はどの子供にも平等であるけれども、病気の子供には特に重いように、阿闍世王の謗法の罪障からの救済を、特に心にかけられたのであると説かれております。

「此等は偏に悪人・提婆達多を師とせるゆへなり」との仰せ、現代に約せば池田や浅井を師とする者達のようではありませんか。

提婆達多釈尊を真似て似非仏法を説いておったようです。

日蓮正宗を誹謗しながら、日蓮正宗を真似た修行をする創価学会顕正会の姿は、地獄の道を歩む姿なのです。

そして今、日蓮正宗僧俗が最も心配し、折伏教化しているのがまさに、現代の阿闍世王の眷属たる、創価学会員・顕正会員なのです。

阿闍世王は御年五十の二月十五日に大悪瘡・身に出来せり、大医耆婆が力も及ばず三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき、五十余年が間の大楽一時に滅して一生の大苦・三七日にあつまれり、定業限りありしかども仏・法華経をかさねて演説して涅槃経となづけて大王にあたえ給いしかば身の病・忽に平愈し心の重罪も一時に露と消えにき(可延定業書)

 阿闍世王は謗法の罰で苦しんだのち、仏の力で救われました。

阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ(富木尼御前御返事)

とありますので50歳で死病を克服し90歳まで生きたということでしょうか。すごいことですよね。死病を克服した後、阿闍世王は仏教を外護する大信者となり、釈尊の化導を助け、経典、中でも『法華経』の流伝に大きな役割を果たしたそうです。

阿闍世王は父を殺害し母を禁固せし悪人なり、然りと雖も涅槃経の座に来つて法華経聴聞せしかば現世の悪瘡を治するのみに非ず四十年の寿命を延引したまい結句は無根初住の仏記を得たり、提婆達多は閻浮第一の一闡提の人・一代聖教に捨て置かれしかども此の経に値い奉りて天王如来の記莂を授与せらる彼を以て之を推するに末代の悪人等の成仏・不成仏は罪の軽重に依らず但此経の信不信に任す可きのみ、而るに貴辺は武士の家の仁昼夜殺生の悪人なり、家を捨てずして此所に至つて何なる術を以てか三悪道を脱る可きか、能く能く思案有る可きか、法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり、天台の云く「他経は但善に記して悪に記せず今経は皆記す」等云云、妙楽の云く「唯円教の意は逆即是順なり自余の三教は逆順定まるが故に」等云云、爾前分分の得道有無の事之を記す可しと雖も名目を知る人に之を申すなり、然りと雖も大体之を教る弟子之れ有り此の輩等を召して粗之を聞くべし、其の時之を記し申す可し、恐恐謹言。
 文永十年太歳癸酉八月三日 日 蓮 花押
 甲斐国南部六郎三郎殿御返事

阿闍世王も提婆達多も無根初住の仏記・天王如来の記莂を受けておるのだよとの、大聖人様の御指南です。御本尊様の中に住しておりますね。

法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり」との御金言は、謗法の罰に苦しむ創価・顕正の人々にはありがたいお言葉です。

信仰心を悔い改めることで、重い宿業や罪業を積んだ者も救われるのです。

何によってか。

法華経戒壇の大御本尊様)によってです。

どうか、創価・顕正の皆さん、日蓮正宗が根本だということを思い出してください。

日蓮正宗 寺院紹介 全国

日蓮正宗の寺院をお訪ねになり、御僧侶の御教導に触れてください。「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」の御金言を、自分自身の身で読むことができます。

妙一尼御前御消息の正しい解説は、日蓮正宗公式サイト 御書解説 妙一尼御前御消息 をご覧になってください。今日の話は、あくまでもダメおやじの語りです。