61.生死の継を切り本覚の寤に還る

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 『総勘文抄』に、

「此の度必ず必ず生死の夢を覚まし、本覚の寤に還って生死の紲を切るべし」(御書1426ページ))

と説かれている。
 この「生死の夢を覚まし」とは、どういうことか。思えば、人々の生活は皆、生死無常そのものである。その現実が夢であると言われるのは、生と死に挟まれた毎日の生活において、本理に基づく人生の正しい目的を弁えず、五官の楽しみや権勢、名誉等の自我中心の生活に明け暮れることが、いわゆる酔生夢死であり、夢中の生活だからである。
 ならば、人生の正しい目的とは何か。それは自己の欲望のためにのみ生きるのではなく、根本的な法理を元として他を幸福に、また他を救うために、自ら尊厳の自覚をもって楽しく清らかに生活の各方面に勇往邁進しきっていくことである。これが三世常住の勇猛心であり、「本覚の宿に還る」とはこのことである。
 この尊い人生が、巧まずして自然の形で表れる唯一の秘術は、ただ妙法を受持することである。
 次の「生死の紲を切る」とは、過去・現在・未来の三世にわたり、妙法の人生としての自覚に立った生命となることであり、そこに今生のみに執われた自我の煩悩による生死の紲を切り、三世常住の本覚の寤を得る。故に、妙法の唱題こそ大切である。

 

三大秘法義

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