世界広布のいぶき

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『日曜講話』第九号(平成元年7月1日発行)
世界広布のいぶき

 皆さん、お早うございます。十二月に入りまして、過去三回、日曜日の勤行会があったと思います。長い間、住職といたしまして、留守を申し上げまして、大変心苦しく思っている次第でございます。中には住職が病気になったのかと思って、心配をしてくださった方もあったようでございます。

 実は十一月の三十日に、こちらを発ちまして、アメリカのサンフランシスコ、ロスアンゼルス、それから、南米のサンパウロリオデジャネイロ、更にアルゼンチンのブエノスアイレスまで行きました。そして帰りには、ハワイの本誓寺へ足を伸しまして、住職並に寺族、在勤者に対します指導会と、一番大事なことはアメリカのお寺の来年度の予算を決めるという理事会がございまして、海外部長といたしまして、始めての海外出張であったのでございます。

 私といたしましては、一九八〇年だったと思いますが、日顕上人が、ワシントンのお寺の落慶法要を奉修なされまして、その後、ニューヨークやハワイのお寺、ロスアンゼルスのお寺等々を一巡されました時に、私もお供をさせて頂いたその時から数えますと、八年振りのアメリカでございました。

 アメリカや南米に参りまして、特にNSAの本部、それからブラジルに参りました時には、NSBの本部にも表敬訪問させて頂きまして、理事長始め大勢の檀信徒の方々にも直接お目にかかりました。その時、海外部長として少し話をして頂きたいということでございまして、現地の皆さんにも種々お話を申し上げさせて頂く機会を持ちました。

 その中で実感として思うことは、アメリカも、かつては、私達が子供の頃に抱いたアメリカのイメージと申しますか、何んともいえない遠い理想の国家として輝いていたように思うのであります。民主主義ということを教えてくれたのもアメリカでございますし、民衆の力や、あるいは自由や平等や、そして又、誠実に生きる、あるいは明るく生きるというようなことを教えてくれたのもアメリカでございました。

 そのアメリカが、いつの間にか、経済的にも政治的にも、だんだんと力を失ってきて、今や世界の盟主とは、なかなか言い難いアメリカになってしまっております。

 又、ブラジルという国も、私達が小学校時代に習ったブラジルは、新しい首都をリオからブラジリアへ移し、新しい建築の粋を集めて、新しい国家が建設されているというようなことを、歴史や地理で習ったことを覚えております。その輝いていたブラジルというものが、今や全く借金の国になりまして、リオデジャネイロという所へ参りますと、ここは、かって首都だった所でございますが、市そのものが破産をいたしまして、大学の先生がストライキをする。病院のお医者さんがストライキをする。看護婦さんがストライキをする。ですから当然患者さんは大迷惑で、救急患者以外には治療もしてもらえない、そういう悲惨な国土世間になってしまっているわけであります。

 日本に、いろんな物を輸出したいと思いましても非常に遠い国でございますから、輸送のコストも高くなってしまって、なかなか売れないし、買ってもらえない。また観光客に来て欲しいと申しましても、非常に遠くて来てもらえない。そういうことで国の発展ということも、なかなか望めないところでございます。

 かつては大勢の人達が日本から新しい生活を求めて、新天地をブラジルに求めて、移住した方もたくさんおりました。今はそうした方々が、逆に日本に里帰りして、出稼ぎに帰って来るような時代でございます。

 しかし、そういう国の人達が、やはり今こそ大聖人様の仏法によって、本当に人生というものは、私達一人一人が誠実に生きて、働いて、そしてまた社会を、家庭を、人生を、全部、この信心の力によって建てなおして、立ち上っていかなければいけないということを、信心を持った人が実感として、そのことを感じ始めてきたのであります。そして、その人達の団結によって、一歩一歩、広宣流布が進んでいるということを、目のあたりにいたしまして、今こそ、大聖人様の妙法広布の時代が、この地球全体の規模で始まっているということを、つくづくと感じた次第でございます。

 昨日も二人の僧侶を学会本部に連れて参りまして、来年の二月に行われるヨーロッパへの出張御授戒の打合せをして来たのでございます。一人の僧侶は、二月一日にフランスへ発ちまして、約二千体の御本尊下附が予定されております。もう一人の僧侶は、デンマークとオランダとスペインに出張御授戒に参りまして、ここでも約七、八百体の御本尊の下附をすることになっております。海外の方々は入信して勤行も覚え、そして今から楽しみにして出張御授戒を待っておられるのでございます。

 又、今年は十月に約十日間をかけまして、イギリスとドイツ、そして又、イタリアにも出張御授戒をいたしました。これも三つの国で約五千体の御本尊下附をいたしました。

 又、アメリカには、現在六ケ寺のお寺がございます。この六ケ寺のお寺を通しまして、本年度は、約五万八千体の御本尊下附をいたしました。又、南米におきましても約二万世帯の御本尊下附を行いました。

 このように世界各地で、年間やはり十万体位の御本尊下附が、今日、行われている次第でございます。

 私達は、この日本という大聖人様が御出現された広宣流布の根本の妙国にあって、このように私達が営々として信心を貫くことができるということも、やはり、この土に生れた幸せ、この妙法にめぐり合せた幸せを深く噛みしめると同時に、今こそ、海外の人達が新しい信心のいぶきに燃えて、私達と同じ信心に立ち上っているということを、よく知って頂きたいと思うのであります。

 アメリカに参りましたときにサンフランシスコで、咸臨丸と申しまして、皆さん方も御存知だと思いますが、日本からの使節である木村長門守や勝海舟が、初めて太平洋を

渡ってアメリカを尋ねて行った、その使節が着いたその場所に、私も案内してもらって行って参りました。その時につくづく思い出したことは、その当時のアメリカの民衆詩人の代表といわれたホイットマンが、その江戸の末期の勝海舟福沢諭吉等々が初めてアメリカのサンフランシスコに上陸した、その姿を見ていたわけであります。その時のことを歌った詩もございますが、ホイットマンの詩の中に、こういう詩があります。「勝ち得た名声を思う時」という詩でございますが、

 「名優の勝ち得た名声や偉い将軍達の戦功を思う時、私はその将軍達を羨みはしない。現職にある大統領も高層の邸宅に住む富豪も羨みはしない。しかし愛する人達の友愛、それがどんなものであったか。一生を通じ危難と誹謗の中に変ることなく、何時までも何時までも、青春期を通じ、中年期と老年期を通じて、如何に彼等が果敢であり、如何に愛情深く、忠実であったかを聞く時、私はその時寂しくなり、私は激しい羨望の念に打たれ、急いでその場を立ち去ってしまう」

ということを歌っております。やはり人間というものは、決して大統領だった、あるいは大将軍だった、大政治家になったということが尊いのではなくて、名もない一人の庶民であったとしても、その人達が平穏な家庭をもち、その平凡な人生を、愛情深く、逞ましく、うまずたゆまず努力して、そして一歩一歩、自分の人生を自分なりに、どこまでも正しく誠実に生きていくことの尊さを歌った詩でございます。

 私達も信心を通して、その信心による心の革命から始まって、その人の命を六根清浄の命へと改革していく。その人の家庭を改革していく。その人の人生を、生き方を改革していく。そういう志をもった誠実な人達が、社会を連帯して改革していく。そして日本なら日本、アメリカならアメリか、ブラジルならブラジルの一国を建て直していく。正にそうした明るい人生や、明るい未来を、その希望というものを、この大聖人様の仏法をもって、今こそ、そこに新しいしい光と、いぶきを与えて、世界の広宣流布へと立ち上って行く。そうした姿が、今この大聖人様の仏法によって、私達の信心によって、世界各地で、今新しい第二の意識革命、家庭革命、人生革命、そして又、国土を真実の寂光土へと転換していく運動が、起っているんだということを理解して頂きたいと思います。

 又、アメリカのサムウェルウルマンという方が「青春」という詩を作り、その詩が残っています。これにはどういうことが書かれているかと申しますと、

 「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。バラの面差し、紅の口唇、しなやかな額ではなく、逞ましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう」

というような詩を歌っております。

 このようにアメリカ人の持っていた青春の気概とか、誠実に生きる喜びとかいうものが、先ほど申しましたように、大聖人様の太陽の仏法によって、いま又、そこに光を投げかけられて、新しい運動として燃え盛ってきている。それが今日の私達の信心の同志の姿なのだということを、実感として、私も心から感動して帰ってきた次第でございます。

 どうか皆様方も、そうした海外の信徒に負けない信心にもう一度立ち返って、そして又来年から新しい出発をして頂きたい。私もそのことを心に期して帰って参りましたことを御報告申し上げまして、一言、御挨拶とさせて頂く次第でございます。御苦労様でございました。

(昭和六十三年十二月二十五日)