誠実に生きることの尊さ

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『日曜講話』第八号(平成元年5月1日発行)
誠実に生きることの尊さ

 皆さん、お早うございます。アメリカを代表する民衆詩人の一人であります、ウオルト・ホイットマンという人の詩に「英雄の武勇伝を読むとき」という詩がございます。私も大変この詩が好きでございまして、時々、思い返しては、詩を読むことがあるのでございます。今日は、そのホイットマンの「英雄の武勇伝を読む時」という詩を御紹介しながら、お話をしたいと思います。

 「征服した英雄の武勇伝を読み、偉大な将軍の勝利を読むとき、私は、将軍を羨みはしない。大統領の座についた大統領も、高層な邸宅に住む金持ちも、私は、羨むことはない。だが、愛情に結ばれた恋人たちの話を聞き、その絆の強さを聞くとき、一生を通じて寄添い、危険にも、反感にもめげず、変わることなく、長く、いつまでも、青春を過ぎ、中年を過ぎ、老年を過ぎ、いかに変わることなく、いかに愛情深く、誠実であったかを聞くとき、そのとき、私は、考込み、身の置き所のない羨ましさに、急いで立ち去るだろう」

という詩でございます。人間は、その人の肩書き、地位とか、財産とか、そういうことによつて、その人の値打ちが決まるのではないということであります。どんな境涯に生まれ、どんな貧しい一生を生きたとしても、その人が、やはり、立派に誠実に生きて、また御夫婦なら御夫婦、家族が、心を一つにして誠の志を持って生きる。その真面目に生きる、誠実に生きるということの尊さを歌った詩でございます。 この誠実ということは、何もこれは、新撰組近藤勇土方歳三の専売特許ではないのでございまして、古今東西、西洋の人びとにとっても、東洋人にとっても、また私達日本人にとっても、古来、人間の生きる道において、まことに大切な徳目として挙げられているものでございます。

 中国の「荀子」という方の言葉の中にも「心を養うは、誠より良きはなし」ということも言われてございまして、誠実に生きる人は、決して人を恐れる必要もなければ、また人に恥することもなく、堂々と生きることが出来るということでございます。これは、ただ単に私達が生きていく上においてのみ、また立派な、また和やかな、安穏な、家庭や、人生を生きていく上にとってだけ、大切なことではないのでございまして、真実の仏法を求める信心の姿の上においても、やはり誠実な信心ということが大切なのでございます。

 大聖人は『衆生心身御書』という御書の中に、次のように御指南あそばされております。

 「設いこう(功)をいたせども、まこと(誠)ならぬ事を供養すれば大悪とは、なれども善とならず。設い心おろ(愚)かに、すこ(少)しきの物なれども、まことの人に供養すれば、こう(功)大なり。何に況や心ざしありて、まことの法を供養せん人人をや」(全一五九五)

ということを言われております。やはり仏法も、真実の法というものが大切であります。また真実の仏のもとに、その真実の仏の指南に従って、一人一人が、また真の信心を貫く、正しい信心と共に、誠実な信心を、常に倦(う)まず弛(たゆ)まず、営々として貫くということの大切なことを、大聖人は、この『衆生心身御書』を通して教えて下ださっているのであります。

 いやしくも、私達は、一閻浮堤第一の正法を貫く者でございますから、世間の人よりも先んじて、この尊い信心を行ずる者として、世間の人よりも、なお誠実に生き、また誠実に仕事をし、誠実に、自分の家庭や、人生や、生涯を貫いていくという、そうした不退転の覚悟に立って、「世間の人は、自分の姿を通して、日蓮正宗の姿を見るのだ。自分の信心を通して日連正宗を見ておるんだ」ということを、よく心に置いて、どこまでも、その信心に恥じない、大聖人様に恥じない、そういう信心を全うしていただきたいということを申し上げまして、本日の御挨拶とさせていただく次第でございます。大変、御苦労様でございました。

(昭和六十三年十月十六日)