三大秘法義 本門の題目

31.地涌の菩薩の因縁

大聖人は、末法において妙法蓮華経を弘め唱える者は、男女共に地涌の菩薩の出現であると仰せられている。しかしまた、末法は釈迦仏の化導の仏縁による本已有善の衆生は消滅し、仏法に縁のない本未有善の衆生のみが生ずる時であるとも仰せである。この違いを…

30.御本尊の体用

末法に上行菩薩が出現し給うことは法華経本門の経々に明らかであるが、その出現は法体の妙法蓮華経を弘めるためである。故に、能証の智と所証の境、人と法が一体であることを示されるために、御本尊の方式として中央に南無妙法蓮華経と顕され、その直下に日…

29.一念三千の妙法

方便品の十如実相は、法界中の地獄界より仏界までの十界と、その住処のすべてが、妙法蓮華経の五字の姿であることを顕している。十如は十界万物の存在と活動の法則を示したもので、それが差別であるとともに平等であり、差別する十界の一々に他の一切を具え…

28.末法流通の正体

御書中において「題目の五字・七字」という語は、御本尊の法体を示すところと、題目という修行を示されるところがある。『観心本尊抄』の、 「但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此れは但題目の五字なり」(御書六五六ページ) との御教示は、その文の…

27.諸天善神の守護

南無妙法蓮華経と唱える者は、法華経の行者である。その者が、心が不実であっても、智慧がなく愚かであっても、また種々の不浄な行いがあっても、諸々の戒による徳がなくとも、題目を堅く信じて唱える者は必ず菩薩、諸天、十羅刹等が、法華経の恩徳を報ずる…

26.不断煩悩・不離五欲・得浄諸根・滅除諸罪

南無妙法蓮華経には、すべての教えと行の真理が具わっている。人々の命は必ず、時が至れば生から死へと転変していく。そして多くの人は、この変化に苦しんでいる。これは人々が、生死について苦の一面のみを見ているからである。真実の我々の命は、空理の平…

25.題目の実践

本門の題目は、寿量文底秘沈の大法である御本尊に向かい奉り、信と行の意義において実践することである。その理由は、本門の本尊・題目が三世十方の仏の師範と仰ぐ根本法であり、一切衆生が仏と成る唯一の道だからである。 南無妙法蓮華経ばかりを唱えるから…

24.異体同心

日蓮大聖人の弟子檀那は等しく、この上ない妙法という大正法を受持信仰しているので、他の世間の無信仰の者や種々の邪法を信ずる者たちが、常に異見・異論を生じ、互いにせめぎ合っているような姿ではならない。妙法を信ずる者は、自己と他人を区別したり、…

23.生死を正しく解決する大道

生と死ということを全体的、客観的に見て、聖者がこれを示されるとき、世の中のすべては生死の二法であると説かれる。天地、日月、五星より、あらゆる十界の存在がすべて生死の二法である。生死とは、詳しくは生・住・異・滅で、すべての存在は生じ、存続し…

22.唱題体達

すべての存在には、そのものを顕す名が付いている。仏の深く広い無限の内容を具える根本の悟りにも、それを顕す名前が説かれている。それが南無妙法蓮華経である。名があれば、そこには体、宗、用があり、教がある。この題目には仏の広大な悟り、すなわち人…

21.増善改悪の徳

妙法蓮華経には、あらゆる経々の功徳が具わるのである。譬えば、大網を引けば、それに付随する網の目がすべて動くように、また衣の角を引けば、付属の糸筋がそれに引き寄せられるように、妙法信仰の一行に、あらゆる功徳と善根が動き顕れる。 つまり、人々の…

20.三惑能転の功徳

寿量品に、 「擣簁和合」(法華経四三六ページ) と説かれるように、妙法の題目は、釈尊一代五十年の教法をすべて擣き簁い分け、これをまとめて妙法という良薬に丸じられたのである。この良薬の効能は莫大であり、病者が自分の病も知らず、また薬のなんであ…

19.内証の成仏

法華経の教えによれば、一切衆生は必ず仏性を具えている。この仏性とは、妙法蓮華経である。この妙法の原理は、一切衆生に、また天地法界の一切に通じている。故に『法華初心成仏抄』に、 「一度妙法蓮華経と唱うれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切…

18.四句の要法

法華経神力品において、釈尊は、 「以要言之。如来一切所有之法。如来一切自在神力。如来一切秘要之蔵。如来一切甚深之事。皆於此経。宣示顕説。(要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚…

17.妙とは蘇生

「妙とは蘇生の義」(法華題目抄・御書三六〇ページ) と説かれる。四十余年の方便経においては、二乗は無余の涅槃に入って、その身が灰となり、その智が滅すれば心をも滅するのであり、迷いの凡夫は仏に成ることができても、二乗だけは仏に成れないと示され…

16.具の義

妙とは、具の義と示される。法華経方便品に、 「欲聞具足道(具足の道を聞きたてまつらんと欲す)」(法華経九七ページ) とあるように、具足の意義が法華経の真髄である。古往今来の宗教哲学において、その一切は神が人間や万物を造ったと言い、また仏教で…

15.教・行・人・理の所開と能開

法華経に、 「方便の門を開いて真実の相を示す」(法師品・法華経三二八ページ) とあり、妙とは方便の門を開くということである。 その内容とは、教・行・人・理の四について方便がある。 教において、蔵・通・別の三教は方便で、円教が真実であり、また、…

14.妙法深縁の徳

法華経の題目は、その意味も義理も知らない人が、ごくたまに南無妙法蓮華経と唱えても、既に深縁が生じたのであるから、その功徳で、将来は妙法の悟りを極めるに至るのである。それは、題目が八万聖教のすべてを括る肝心であり、一切の仏が、この題目を肝要…

13.妙法の三世の功徳

末法の我々は機根が下っているため、自分自身の前世のことは暗昧である。しかし、仏法の三世の因果より見れば、すべての衆生が、前世より善悪の種々の業を作っている。よく見れば、人々の過去の因縁がどうであったかは、現在の結果を正しく見れば、そこにお…

12.現世安穏後生善処

妙法を持ち、唱えていけば、必ず現世が安穏になり、後生は善処となる。故に、この根本の道から外れ、忘却して、いたずらに軽薄な欲望に基づく名誉や利得のためのみに狂奔すべきではない。あらゆる内や外からの障害に惑わされず、世事においては正しい道の上…

11.開会の大功徳

釈尊の四十余年の諸経は、法華経の一分一分を方便として説かれた。これを相待妙と言う。したがって、やがて法華経にすべてが帰入する。これを絶待妙と言う。また、それぞれの方便経を説いた仏も、文上では釈尊の分身であり、文底では日蓮大聖人の分身である…

10.身・口・意三業の功徳成就

愚かで、文章も読めないような人が、南無妙法蓮華経を唱えて利益があるのか、という疑問を抱く人もあろうが、利益は必ず存するのである。唱題により、我々の身と口と意のうち、まず口業の功徳を成就する。これにより、仏の種子がおのずから胸に収まり、身業…

9.順逆二縁共に成仏す

妙法の功徳は、教えを聞いて正しい信仰に入る順縁の人と、教えを聞いて背き逆らう逆縁の人を、共に救う。随喜し、唱題する者は仏と成る。また、順わず、逆らう者も、法界全体に広がる眼に見えない網のような因縁においての絶対な妙法と善縁を結ぶ故に、この…

8.本地甚深の奧蔵

天台の釈に、 「此の妙法蓮華経は、本地甚深の奥蔵(中略)三世の如来の証得する所なり」(玄義会本上25ページ) と説かれている。これは、あらゆる経典のなかで、妙法蓮華経が唯一最高の教法ということである。 日寛上人は、この文について、 文に「本地」…

7.心中の仏顕る

一念に法界三千を具すという観念も、一心に空・仮・中の理をすべて具すとの観法も、ことごとくそれが妙法蓮華経に収まっている。また、法界のすべてに通じ、すべてを具える妙法蓮華経は、我らの一心に収まっているのである。したがって、人法体一の妙法を唱…

6.尊厳の体に帰す

我々の身体や性質は、各人共通して同じところもあるが、また各人各様で、あらゆるところが異なっている一面もある。すなわち、平等の面と差別の面である。身体や精神に色々な故障があったり、性格の違いや対人関係の問題で、多くの人が互いに悩んでいる。こ…

5.真実を開く

吾人の心は、常に善や悪についてあれこれと迷い、悪を捨てて善に向かわなければならないと思っているが、現実の相において愚かな心は、善に背き悪を行じている。これは、小さな道徳観に縛られているからで、善と悪を相対して考える差別の心である。さらに、…

4.我が心を磨く

我々の心には本来、無明という煩悩があり、これによって常に種々の迷いが生じている。故に、我々の心は、磨かない鏡のようなもので、常に曇っている。しかし、鏡を磨けば煌々とした明鏡となるように、曇りが晴れれば真実の法を悟った心となる。故に、迷いの…

3.我が一念の妙法

妙法蓮華経には、釈尊の説かれた八万聖教の意義と、三世十方の諸仏・菩薩の悟りが具わっている。しかし、さらにその当体に即して絶対的な本仏がまします。すなわち、久遠の根本の時と末法の時が、そのまま相即する実在としての人法一体の本仏日蓮大聖人であ…

2.真実の悟り

真実の悟りを得るには、どうしたらよいか。 世の中には、あれも悟り、これも悟りという言葉がいっぱい広がっている。しかし、ほとんどが枝葉の言である。真実の悟りは、我々のすべてに元から具わっている不思議な真理を観じて、それを知ることであるが、一般…